第6羽 ロク、背中を拭いてもらう
寝る前は寒かったため重ね着して布団を被っていたのだが、起きた時にはたっぷり汗を掻いてしまっていた。熱の逃げ場がなくなりこもってしまったからだろう。
風邪は薬のおかげで少しだけマシになっていた。体全身の倦怠感は未だ抜け切っていないが、動く気力ぐらいはあった。枕元に置いておいたスポーツドリンクを一口飲む。
(体、拭きてえ)
上に着ていた服を脱ぐ。半袖姿になると肌に当たる空気が心地よく感じられたが、これもまたすぐに寒く感じてくるのだろう。
そうなる前に二度寝したいところだったが、汗だくのままでは寝心地が悪い。だから汗をさっと拭いてしまいたかった。
(タオル、タオル……)
脱衣所まで取りに行くため、ベッドから降りようとした時。
コンコン。ドアがノックされた。
「先輩、起きてますか?」
「ああ、ちょうど起きたところだ」
「入って構いませんか?」
「いいぞ」
ドア越しのやり取りが終わり、小鳥が静かに入室してくる。片手に、水とタオルの入った桶を持っていた。浴室にいつも置いている桶だ。
「先輩の体を拭きにきました」
「待て、小鳥遊にも熱があるだろ? 安静にしてなきゃ……」
「もう熱は引きました」
「え?」
「薬のおかげかと思います」
「早いな」
風邪薬には解熱効果がある。どうやら小鳥は薬が効きやすい体質らしかった。まだウイルスをやっつけることはできていないだろうが、熱が下がり、他人の看病に気を回せる程度の余裕はあるようだ。
「もし先輩が嫌ならやめておきますが、拭きますか?」
「あ、えっとじゃあ……」
胸が少し高鳴る。
「お願いします」
「ふふ、どうして先輩が敬語なんですか」
緊張して敬語になってしまったロクが面白かったようで、小鳥は顔を綻ばせた。そのままベッドの側まで近づいてくる。
「さ、脱いでください」
「分かった」
今朝、妄想してしまった小鳥の看病。それが現実になると、想像よりも遥かに恥ずかしかった。羞恥で動きが固くなり、服を脱ぐ仕草がゆっくりになる。
「…………」
熱が引いたはずの小鳥の頬が、微かに染まったことにロクは気づかなかった。小鳥に背中を向けたからだ。
「前は自分で拭くから、背中を頼む」
「……はい」
小鳥は散らかっている床に桶を置いて、水に浸したタオルをギュッと絞った。絞ったタオルから出た水は、桶に溜まった水の上に落ちていき、水と水のぶつかる音を発生させる。
それがロクの想像力を刺激した。背を向けているため、実際に小鳥が絞る姿を目にした訳ではない。しかしその様子が脳裏にありありと浮かんだ。全て自分のためにしてくれているのだと思うと、つい嬉しくなってしまう。
小鳥は二、三回、水分がある程度なくなるまでタオルを絞ったあと、一度広げて半分に畳んだ。膝立ちしてロクの背中と向き合う。
「拭きますね」
「ああ」
ぴとり。
(!)
ひんやりとした感覚が背中に走った。冷えたタオルが、汗だくだった体に染み渡る。冷たくてとても気持ちがいい。
拭き方も丁寧で優しく、タオルの感触がよく分かった。汗でベタついた背中が拭かれた所から爽快になっていく。ずっとこうされていたい気分だ。
「終わり、ました」
「ありがとう」
しかし、そんな心地よいひとときはすぐに終わってしまう。ロクは体の向きを変えて小鳥と視線を合わせた……が、気恥ずかしくなって少し逸らす。
「あとは自分で拭くから、タオル、渡してくれ」
「はい。でもその前に……」
小鳥はタオルをもう一度桶に浸した。その後、何度か絞ってからロクに差し出してくる。
「どうぞ」
「さんきゅな」
軽く礼を言ってから受け取った。
「私は反対の方向を向いてます。終わったら声をかけてください」
この後ロクは下半身も拭くつもりでいる。ということはズボンを脱ぐことになるので、それに小鳥は気を回してくれたのだろう。くるりと、ドアの方を向いて待機してくれた。
「…………」
なんとなく、体を拭く前に悪戯したくなったロク。床に座る小鳥を見下ろして……
ぴと。
「ひゃっ!」
小鳥の首筋に冷えたタオルを当てた。すると、若干小鳥の体が浮く。
「な、何をするんですかっ」
「悪い。つい」
「つい、じゃないです!」
初めて見る小鳥の慌てた顔と、初めて聞く動揺した声。ロクはたまらず吹き出してしまった。
「あはははは!」
大きく口を開けて笑う。ロクが小鳥の慌てた顔を初めて見たように、小鳥もまた、ロクの満面の笑顔を初めて見た。うっかり見つめてしまい、そんな自分に気がついた小鳥はさっと顔を横に逸らした。
「……そんなことをするなら、おかゆ作りませんから」
「えっ、作ってくれるのか?」
「だから、作らないって言ってるんですっ」
つーんとそっぽを向く。
「……元々は作るつもりでしたが」
「頼む、作ってくれ」
「い、嫌です」
「今のは悪かった、謝る。だからお願いだ。風邪の日にまで、栄養の悪いご飯はダメだと思うんだ」
「…………」
懇願するロクの表情を、小鳥はちらりと横目でうかがった。狼狽したような顔は、何だかんだまだ熱があるらしく、赤みがかっている。
「……分かりました」
「いいのか?」
「はい」
「よし!」
ロクのした小さなガッツポーズに、素っ気ない顔をしていた小鳥はとうとう頬を緩めてしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます