第5羽 ロクと小鳥、風邪をひく

 ゲームで夜更かしした翌日、土曜日の朝。


「……風邪引いた」


 ロクは見事に風邪を引いていた。起きた瞬間から全身が怠く頭が痛い。そのせいで中々ベッドから出る気になれない。


(昨日、あれだけ濡れたもんな。当然か)


 風邪を引かせたくないからと小鳥に傘を渡した訳だが、ロク自身が風邪を引いていては意味がなかった。本末転倒である。


(……小鳥遊に、看病してもらえたりすんのかな)


 ふとそんなことを考える。家族が家にいた頃は、熱が出た際、いつも看病してもらっていた。一人暮らしになってからは……そもそも発熱したことがない。


 ともかく、昨日からこの家に住んでいる後輩に看病してもらえる可能性は十分にあった。


「やばい、ちょっと期待してる自分がいる」


 体調が悪いのにテンションが上がってしまう。これでは変態だ。なんとか気持ちの昂ぶりを抑えようとするも、その度に、小鳥に看病してもらう自分の姿を想像してドキドキしてしまう。


(……とりあえず何か飲むか。ちょっと喉乾いた)


 このまま寝転がっていては永遠に妄想しかねない。一旦ベッドから出て、ついでに水を飲もうと気怠い体に鞭打って立ち上がった。


 ドアを開け、自室から出る……と。


 ガチャリ。


 ちょうど奥の部屋からもドアを開ける音が聞こえた。元々は両親が、今は小鳥が使っている寝室である。寝室から出てきたのは案の定小鳥だ。


 互いに向き合いながら歩き、階段の前で合流する。近距離まで接近したことでロクはあることに気付いた。


「お前、顔赤くないか?」

「風邪を引きました」


 小鳥の体が火照っていたのだ。


「先輩も、赤いですね」

「俺も風邪引いたみたいだ」

「…………」

「…………」


 その場に立ち尽くす。まさかのダブルノックアウトだった。


  ・

  ・

  ・


「確かここに……あった」


 ロクがテレビ台に備えられた引き出しを引くと、そこにはマスク五十枚入りの箱が入っていた。箱の中には個別に包装されたマスクがギッシリと詰まっている。二枚取り出し、うち一枚は小鳥に渡した。


「これ」

「ありがとうございます」


 二人ともマスクを装着する。多少息苦しく感じるが外すわけにはいかなかった。なにせ今から出かけるのだから、つけていなければ周りに迷惑をかけてしまう。


「行くぞ」

「はい」


 天気は昨日に引き続き雨だった。家を出たロクと小鳥は、それぞれが傘立てから取ったビニール傘を差す。これで昨日とは違い、片方が雨に打たれ続けるということはない。


 二人の目的地はドラッグストア。目当ての商品は風邪薬とスポーツドリンク、それから熱さまし用冷却シートである。


「寒いな」

「寒いです」


 ロクも小鳥も、六月とは思えないほど厚着をして外出していた。それでも体温が上がっている今、外が肌寒く感じてしまう。


 ちらりと小鳥の様子をうかがう。ロクの方が身長が高いこと、小鳥が傘を差していることから、その表情はよく見えない。しかし昨日に比べて随分と歩行速度が落ちていた。体調の悪い証拠だ。


「……ついて来なくても良かったんだぞ」

「私は先輩の家に住まわせてもらってるんです。先輩にだけ買いに行かせるなんて真似できません」

「律儀だな」

「常識です。迷惑ばかりかけるわけにはいきませんから」

「迷惑ばかり、か」


 この日のロクは、風邪を引いており思考回路が鈍っていた。言い換えると頭がボーっとしていた。だから普段は恥ずかしくて言えないようなことでも、ポロリとこぼしてしまう。


「昨日食べたカップラーメン、いつもよりすげえうまかったんだよ」

「?」

「昨日やったゲームも、すげえ楽しかった」


 赤信号で二人の足は止まる。


「小鳥遊がいたからだ」

「!」

「迷惑ばかりなんかじゃ、ない」


 すぐに青信号に変わった。水溜まりを避けるようにしながら横断歩道を渡る。


「……そうですか」

「そうだ」


 小鳥は僅かに傘の位置を下げた。そして俯いて地面を見ながら歩く。ロクから、顔がより見えないようにするためだ。


「先輩は……」

「ん?」

「先輩は少し、恥ずかしい人ですね」

「どうして急にディスられたんだ?」


 小鳥の顔はただでさえ熱で火照っていたのに、更に赤みを増していた。


  ・

  ・

  ・


 買い物を済ませてドラッグストアを出た直後のことだった。


「あの、私の家に寄ってもいいですか?」

「へ?」

「制服や私服などを取ってきたくて」

「いや、それはいいんだが……帰る場所がなくなったって言ってなかったか?」

「はい。ですが、母がいなくなっただけで家自体はまだ残ってるんです。それも、家賃が払えないので月末までですが」

「家賃ってことはマンションか何かか?」

「そうです」


 なるほどとロクは納得する。どうやら帰る場所がなくなったというのは比喩的な表現だったらしく、物理的になくなるのは来月らしい。


「ていうか昨日から思ってたんだが、母親のことを警察に言うつもりはないのか? 育児放棄って確か犯罪だろ」

「……ないです。母には、幸せになって欲しいので」

「……そっか」


 それ以上は何も言わなかった。まだ知り合って間もないロクには、小鳥の家庭事情に足を突っ込む資格がない。言いたいことは山ほどあったが辛抱する。


 風邪薬等が入ったレジ袋を手に下げ、小鳥の案内に従ってマンションまで向かった。その場所はドラッグストアから存外に近く、風邪を引いてるにも関わらず寄って帰りたいと言ったのも頷けた。


 小鳥が、持っていた鍵を使ってオートロックを解除する。五階までエレベーターで上がり、


「ここです」


 進んで三つ目のドアの前で立ち止まる。もう一つの鍵を使って中に入った。初めての女子の家(既に誰も住んでいない)だった。


「少しここで待っていてください」


 そう言われて、玄関で待たされる。小鳥の私物はまだこの家に残っているそうなので、きっと見られたくないものもあるのだろう。


(……制服や私服か。結構待つことになりそうだな)


 少し気が滅入った。この時点でロクはかなり体が怠かったのだ。ずっと我慢しているが、正直早く帰って寝たい。


 しかし嬉しいことにロクの予想は外れて、小鳥はすぐに玄関に戻ってきた。まだ五分と経っておらず、両手で大きなスーツケースの持ち手を持っている。


 どの服を持って行くか迷わずに、素早く詰めたのだろう。


「お待たせしました」

「ん」


 小さく頷いて、手を差し出す。スーツケースを渡せのサインだ。


「……私が持ちます」

「いいから。ん」


 ちょいちょいと手を動かす。二度目の渡せのサインだった。


「……ありがとうございます」


 渋々といった表情で、小鳥はロクにスーツケースを手渡す。


 ズシリ。


(重っ!)


 意外と重かった。慌てて小鳥がしていたように、両手でスーツケースを持つ。片手で持とうというのは無理があった。こうなるとドラッグストアでの購入物が邪魔になってくる。


「忘れもんはないよな?」

「はい」

「よし、帰るか」


 二人はマンションを出た。その後はロクの家まで直行し、食パンを一枚食べた後に風邪薬を飲んで、各自の寝室に各々向かった。


 すぐさまベッドに倒れこむ。ロクはベッドに寝転がって僅か一分ほどで眠りに落ちた。


 次に起きたのは午後三時。約四時間ほど眠っていたことになる。


「……汗、かいたな」

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