0449 革命

 会場はこの上ない静寂せいじゃくに包まれた。

 数百人、もしかすると千人以上の人々が集まっているこの会場の全員が私に注目していた。

 私は……分かっている。もう後には引けないことを……。

 

 目を閉じる。

 不思議と心は明鏡止水めいきょうしすいの如く落ち着いていた。

 ゆっくりと目を開ける。

 

 さあ、早枝ちゃん。言ってやって。

 耀ちゃんの笑顔が眩しい。

 

 行け、長内。まさに今こそ僕の意志が君の背中を押す時だ。

 潮さんの言葉だった。

 

「では、よろしいでしょうか?お隣の女性、いかがですか?」私はマイクを受け取る。

 

「はい。私は児童相談所の福祉職員で、長内早枝と申します。常々つねづねいじめ問題には関心があり、本日のシンポジウムにご参加の諸団体の皆さんの活動も以前より存じ上げています」

 

 会場は静まり返ったままだった。

 

「それで?あなたのお考えは?」宮本さんが続きを促す。

「これからお話しします私の考えが、パーフェクトにいじめ問題を解決できると断言するほど私は思い上がっていませんが、少なくとも具体的な提案ができると考えています」

「はい、それで構いませんよ」

「私のプランは三つです。一つ目は、『義務教育の定義を緩和すること』です」

「緩和?」

「日本の義務教育は、教育を受けさせる義務と同時に、就学させる義務でもあります。つまり学校に通わなくては教育を受けたことになりません」

「当たり前だ」

「では不登校のお子さんを持つ親御さんは国民の義務を果たしていないと?」

「その場合は、文部科学大臣の定めるところにより、保護者の義務を猶予又は免除することができるんだよ」

「それだけ?でいいのですか?その子どもはどうなるんですか?皆さんが重要視する子どもの自己信頼心や自己有用感はどうなるのですか?一度でも脱落したら終わりなんですか?」

「そんなことは言ってないよ」

「そうですよね。ですから義務教育の定義の緩和とは、諸外国に見られる『ホームスクーリング』による履修を義務教育の履行として認めることです。不登校児にも義務教育の機会を残してください」

 

「まあいいでしょう。どうぞ続けて」

「二つ目は、いじめを『ハラスメント行為として法を確立をすること』です」

「ハラスメントだって?」

「なぜ大人の世界に蔓延する迷惑行為は、認知された途端とたんにハラスメント行為として法整備されるのに、いじめは何十年も放置されたままなのですか?このままこれからも事件が起きてから調査に乗り出し学校と教委が頭を下げ続けるのですか?」

「放置などされているわけがないだろ」

「そうでしょうか。もしも国の政策に、いじめのにいる世代の子たちが参加できていたら、とうの昔に法整備されているのではありませんか?いじめというが可能なシステムが既に確立されている筈です。実際にスウェーデンでは、いじめが人権に関するとして捉えられるように既になっています」

 

「それから?次は?」

「三つ目は……」

 私がこれだけ一人で喋り続けていても会場は深閑しんかんとしていた。まるで学生の頃に一度だけ経験した、弁論大会でひたすら喋り続けたあの時みたいだった。

「三つ目は何ですか?」

「クラス分けを廃止することです」

「なんだと?」

「子どもたちをあの閉鎖的な学級という、同質性で縛り付けるコミュニティ内で、個性も多様性も重んじられず、が正しいと教えられ続け、そこから少しでも逸脱したらアウト。結果いじめに苦しむか不登校です。本来、学校は学舎まなびやなのに、それ以外の辛労しんろうが学生の本業を妨げるなんて、なんて無益なのでしょうか。ダイバーシティやインクルージョンは大人になってから教わるものなのですか?」

「じゃあどうすれって言うんだい」

「オーストラリアの学校制度の中高段階には、日本独特の学級という閉鎖的な空間はありません。生徒は毎日・毎時間、決められた教科ごとに決められた教室に移動します。そして、選択教科などもそこには入っており、毎度同じ生徒が同じ場所に集まるということはありません。同じ学年に生徒が200人居れば、1年間で毎日違う200人の生徒と入れ替わりながら学習を共にします。何年も同じ学校に通って話したこともない同級生がいるなんて寂しいと思います。そのためにも学校の現場にもっとICTテクノロジーを導入してください。変革し難いのは、学校という世界だけ時代の流れから完全に取り残されてしまっているからなのではないでしょうか」

 

 この巨大ホールの空気の流れだけが止まったようにシンとしてした。

 

「私の申し上げたいプランは以上の三つです」

 

 しばらく司会の宮本さんも黙ったままだった。

 そしてある一人の女性が言葉を発した。

 

「あなたの言葉はきっとこの会場の人々に伝わり、心を動かすことでしょうね」

 

 その人は、来賓として招かれ、今はパネラーとして登壇している、現文部科学大臣〈市川いちかわ房枝ふさえ〉さんだった。この日本の第一党の次期総裁選にも出馬を予想され、初の女性総理大臣をも期待させる、世の女性たちの羨望の的ともいえる方……。

 私はその相手の壮麗さに、もう一言も言葉を発せられずにいた。

 

「まるで、ジャンヌ・ダルクのようでしたよ」

 

「市川大臣?」宮本さんは驚いていた。

 

 

 

 

「ではあなたは、なぜ長い間いじめが無くならなかったのだと思いますか?」

 

 

 

 

「それは……」

 

「そんなことは簡単だ」

 そう小さく呟いた潮さんの意志が私の背中を押した気がした。

 

 

 

 

「いじめ問題に取り組むすべての大人が、もう子どもに戻ることがないからです」

 

 

 

 

「そうですか。分かりました、では本気でやりましょう」

 

 

 

 

 その市川大臣の言葉は本当だった。

 

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「長内の映像がネットのトップニュースにあがっているのだよ」

「もう……、本当にもう深い海溝の底に隠れて陸上に現れたくない気分です」

 私のシンポジウムでの発言は、那珂文舎オンラインで放送されたために、一気にネットやSNSで拡散され大騒ぎになった。

「若いジャンヌ・ダルクが今の日本の教育界に革命を起こす。だそうだ。完璧なのだよ。こんな見事なの仕方は見たことがない。いい意味で怒涛の如く燃え広がっている」

「もう本当にやめてください」

 

 市川大臣の本気は驚異的だった。

 まさにそれはトップダウン。都知事も巻き込んだ上で、都内の5か所の中学校では、いきなりその年の夏休み明けから『クラス分け廃止』がテスト運用された。たった3か月でだ。この情報技術革新に手を挙げた企業もまた驚異的なスピードを見せた、極めて理想的な産学官連携だった。

 また、いじめは『バリーハラスメント』と呼ばれるようになる法整備が、法務大臣主導にてこちらも急速に推し進められた。

 そして、義務教育の定義の緩和は、市川大臣が自ら法改正に乗り出すのだそうだ。

 

 ――潮さんはニヤついてこう言った。

「市川大臣に見事に利用されたな」

「何がですか?」

「君の発言が話題になり世論を動かした」

「はい」

「大臣はその若い女性革命家の願いを叶えることで国民を自分に惹き付けた」

「素敵な方ですよね」

「彼女は冬の総裁選に出馬するのだろうな」

「ああ、なるほど……」

 

 私はどんな結果であれ、『いじめ』が子どもたちの心を少しでもおびやかすことが、いつか本当に無くなってくれることを、心から願っています。いつまでも。

 

 

 

 

 アレルギー性カテゴライズ〈柔編〉

 女性革命家【終】

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