0446 意志

 耀ちゃんのほっぺたが私のおでこに当たって肌の温もりが伝わってきた。彼女は私を包むように優しく抱きしめた。その赤み掛かった瞳は、泣き腫らして今も潤んでいる。私は自分が生きてるんだと、あらためて実感できた。

 耀ちゃんにもう一度逢えて嬉しかった。

 

「早枝ちゃん。生きててくれてありがとう」

 

「耀ちゃん。私の命を救ってくれてありがとう」

 

 耀ちゃんは柔和な微笑で私を見つめていた。こんなにも私を好きでいてくれる彼女を悲しませてはならないと自分をいさめた。

 

 私の身体に色々と繋がれている医療機器の動きやモニターの表示が規則的で、まるで私の心臓の鼓動を聞かれてるみたいで恥ずかしかった。

「あのこれね、奈菜実ちゃんから」

 それは、小川奈菜実さんから耀ちゃんが預かってきてくれたお手紙だった。

 その文面は、私のこの怪我が奈菜実さんので、どう償っても償い切れない過ちだと一心に詫びる内容だった。

 私は、『そんなことはないよ』とすぐにでも彼女を諭してあげたかった。

 手紙のおわりには『私は、いじめに断固として戦います。あなたのように』と記されていた。何だか照れ臭くて胸の奥が慎み深くなった。

「元気になったら、また行きたいな。赤心の家」

「うん。行こうね」

 そして耀ちゃんは、私が疲れているからと気を遣って「またね」と病室を去った。

 

 お父さんは穏やかな顔をして「よかった」とだけ言った。お母さんもホッとしたように、私の身の回りの世話を焼いていた。

 児相の皆さんも町田所長も「身体に障る」からと、しばらくお見舞いは控えると潮さんから伝言された。

 それから……、私を刺した少女は殺人未遂で逮捕され、拘留期間の延長もありそうだと聞かされた。

 私はふと、森兔方輔君のお父さんの言葉が頭に浮かんだ。私は帰ろうとしている潮さんに、この話を初めてする。

 

『正義なんていらないのではないか』

 

 ――『正義』によって自分の愛する家族を奪われた人の心の叫びだと、私は彼に伝える。……そして。

「私は自らが信じる『正義』を貫こうとして生死の境を彷徨いました。私のことを愛する人たちからをも、その存在を奪い去る結果となり得たことです」

「ああ、そうだな」

「その正義による行動は間違っていたのでしょうか」

「…………」

「潮、さん?その本……」それは私の本だった。

「君は……、この著書のソフィア・ペロフスカヤをどう読み解いた?」

「彼女はテロリストです。それ自体に何の正当性もないと思っています。彼女の行動力や人としての魅力は目を見張るものがあります。だがしかし、人が人を傷付けることは悪でしかありません」

 

「それは彼女の信ずるではないのか」

 

 頬をヤツデの天狗てんぐ羽団扇はうちわぱたかれた気分だった。私の正義は、誰かの正義でないのかも知れない。誰かの善は、私の悪なのかも知れない。潮さんの言う通りだった。

 

「そ……、そうですね」

 

「しかし、だからと言って正しいと思えることを行動できなくては、何ら人の行動に意味などなくなってしまう。君は君の信ずる行いをして人を助けるのだろう?」

 

「はい、その通りです。ありがとうございます。心が落ち着きました」

 彼は私の本をベッドの横に置いた。

「その本は、私が子ども時代に辛いことがあった時、当時可愛がってくれた図書館の司書さんが、難しい本だけどいつかあなたの自信に繋がると、私にくださったんです。彼女はいつも私の背中を押してくれました。私はいつも、こんな時あの人なら何て言うだろうといましめます。だけど今回は失敗しちゃいました……」

 

「もう挑戦しないのか?」

 

「えっ?……何を?」

 

 いつも彼の言葉は意味深いみしん小難こむずかしく、私の思考を掻き回します。またぞろ、この時の彼の言葉も期待を裏切らず、私を突き動かす知恵を与える彼の意志が込められていたのでした。

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