0445 光明

 潮さんはひとりごとを言っていた。

 

 なんだか私に謝っているようだった。

 

 そしていつものように、自分の手をジッと見てから、ほっぺたに当てていた。

 

 私が話しかけると、驚いて慌てたように動き出したみたいだった。

 

 おもしろかった。

 

 眼鏡がなくてぼんやりと見渡すと、私は病院のベッドで寝ていることに気が付く。

 潮さんの声で目が覚めたことの理由を特に考えなかったのは、彼が近くで話していることがくも自然に感じることの表れなのかも知れない。

 それと同時に腰に激痛が走った。自分では体を動かせなかった。

 

 私は少女にナイフで刺されたんだった。

 

 あの時の記憶が少しだけある。下から見上げたのは鬼女きじょのごとき奇怪な生き物だったのは強烈に覚えている。そして自分が『死ぬ』ということへのすさまじい畏怖いふが私を覆い包む。怖くてもう思い出したくなかった。

 

 そこへドクターたちが一斉に現れた。私はされるがまま、それに委ねた。その時に多くのことを短時間で済まされたことは理解できた。そしてドクターの先生たちが、安堵の胸を撫で下ろす様子を見て取ることができた。

 

「私、生きてたんですね」思わず声に出てしまった。

 

「ああ、生きていてくれた」潮さんが答える。

 

「さっき、私のことと、初めて名前で呼んでくれていましたね」

 

「そう、だったかな」

 

 潮さんが、今こうして私が目を覚ますまでの、これまでの出来事をひと通り説明してくれた。私の腰のあたりを損傷させた刺し傷は、太い血管まで達し大量の出血があったのだそうだ。何時間にも渡って行われた大手術は成功したのだと教わった。

 あの時に救急車を呼んで、私を助けてくれた耀ちゃんも、奈菜実さんもずっと泣いていたこと……。知らせを受けて駆け付けた、お父さんお母さんもずっと付きっ切りで看ていてくれたこと。児相のみんなも、町田所長もとても心配そうだったと……。

 そして意識不明から3日振りに目を覚ました時に、たまたま潮さんが横で話し掛けていたのだということだった。私は彼の声に起こされた。

 

「あの、前から気になっていたことが……」

 

「何かな?」

 

「潮さんが、自分のてのひらをジーっと見て、それから自分のほっぺたに手をあてる仕草は、どんな理由や意味合いがあるのですか?」

 

「…………」

 

「差支えなければでいいですけど」

 

「僕は両親を亡くしている……。生前の僕の母親は、僕に何かを教えたり考えさせたり、何かを感じさせたり思いを巡らさせたりする時、こうして母の両手で僕の頬を包んでいた。こうすると今でも落ち着いて思考を働かせることができるのだよ」

 

 私の目の前に、少年がいた。

 透き通る白い肌の美しい少年。水月くらげくん。

 潮少年は、無垢な澄んだ瞳でこちらを見て「こうすれば落ち着くんだ」と私に教えてくれた。

 この子はこれまで、こうして長いあいだ、少年時代をひとりで乗り越え、くじけることなく、素敵な青年に成長したのだなと思うと、潮少年がとても愛おしく感じた。

 今まで私が彼のそんな表情を垣間見たのは、彼が自身に思いを巡らせていたり、人の気持ちになって考えている姿だったのだ。そう思えば納得です。

 

「ねむくなってきました」

 

「ああ、休んだ方がいい」

 

 

 

 

 私は夢をみた。

 

 夢の中の私は水族館にいた。

 すごく大きな水槽の中に、何メートルにもなる巨大な魚や、手のひらほどの小さな魚が一緒に泳いでいる。

 それらは素早い動きのものや、ゆっくり動くもの、また同じ場所から動かない魚もいた。

 群れをなして動き回る小魚たちが、ひとまとまりの大きな群れからいくつもの小さな群れに分かれて、また一緒になってまた別々に分かれたりしている動きが美しかった。

 どの魚も、色も形もまったく違う種類で、海底の砂地には甲殻類なんかも見えた。

 

 その水槽は、海の中そのものだった。

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