0431 真理

 彼女は、心の底から鋼鉄のような革命家だった。

 

 彼女は、労働者や農民を愛し、彼らのために働いた。

 

 彼女の肖像からは、彼女のまじめな勇気、輝かしい知性、愛情深い性質を感じる。

 

 彼女が最期に、母に書いた手紙は、かつて母の心が述べた、愛情深い魂の最も美しい表現だった。

 

 

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

「愛」という感情は、そもそも人が生まれもって有する先天的なものではありません。この世に生を受けて、初めて育まれる心には、無償の「愛」を親から与えられることで知る、後天的な人の知性があるといえるでしょう。

 

「私はそんな、当たり前だと信じていたことが当たり前でない今の時代にとても危機感を覚えます」

 

 

 

 

 一昨日、都内で起きた無差別殺傷事件では、発生当時「複数人が刺された」と119番通報があった。警察によると、小学生15人を含む17人が刺され、中学2年の男児(14)と女性(41)が死亡した。警察は刺したとみられる男の身柄を確保したが、男はその場で自殺を図っており、搬送先の病院で死亡が確認された。

 警察によると、犯人は都内に住む50歳の男で無職、家庭は年老いた両親との年金生活だった。男は中学当時のいじめをきっかけに不登校となり、高校は中退。いわゆる『ひきこもり』だった。

 警察によると、男は両手に包丁を持って現れ、バス停前で並んでいた児童に切り付けた。被害者はそれぞれ、多摩地域の病院6カ所に搬送された。死亡した2人が搬送された病院によると、いずれも首や背中に深い傷があったという。

 

 

 

「なぜ罪もない人たちが傷付かなくてはならないのでしょうか」

「わからない」

「なぜ人が人を傷付けるのでしょうか」

「人が人を傷付けることなど、ハミルトンがすでに結論付けているのだよ」

「ハミルトン?」

「ウィリアム・ドナルド・ハミルトンは、自ら提唱した社会行動学で『嫌がらせ的な社会特性は同時に利他的りたてきでもある』と述べている」

「無差別殺傷は、嫌がらせ行動なんかとはまったく別物です」

「わかっている。社会行動学の上では、利他的行動も、嫌がらせも、本人は自分がどうなるかはあまり気にしていなくて、が得をするのが目的ではなく、それによって利益を受けるかもしれないの相手を気にしている」

「納得できない説法を聞かされているような気持ちです」

「とはいえ、心理学的にはまったく違う見方なのだよ」

 

 私は潮さんと、少しずつ春めいて来たかに感じられる遊歩道を、ともに早歩きしていた。児童相談所の相談件数は依然として驚くほど多く、私たちにゆっくり話す暇などない。

「なんだか、鼻がムズムズします」

「もう植物が芽吹めぶくのか、いささか早い気もするのだよ」

「まさか……」

「何アレルギーだ?」

「言いたくありません」

「それは植物が人類へ行う利他的嫌がらせ行動なのかも知れぬ」

「いいえ。ただの繁殖戦略だと思います」

 

 この時の私たちは、この日やっと所に戻ったらお昼休憩でした。『仕事に出ていてもお昼になったら昼休み』という文化はいつの時代からなのでしょうか……。そんなことを考えていたら、どこかのお宅から流れてくるお料理のイイにおい。ご飯どきにはよくあるシチュエーションです。その時……。

「潮さん、ちょっと先に戻ってて頂けますでしょうか」

「ああ、構わん」

 潮さんを見送った私の視線の先には、高い塀の上から鋭い眼光でこちらをにらむ、その居丈高いたけだかな態度。そして今は少しだけ春めいた風が、わずかになびかせる換毛期の様子です。

 そう、いつも私がこの道を通る時にそうしてこちらの様子をうかがうフリをして、思わせぶりに去って行くあの姿。白と黒の毛模様を鼻筋を境に八の字に分け、黒の仮面に黒のマントを手首と足首まで捲り、白の靴下に白の手袋の模様をした、あの『はちわれ猫』に私はいつもらされたままです。

 

「あのモフモフにさわりたい!!!」

 

 そう思い続けてどれだけの月日が……。でも今日の私はちょっと違います。

 秘密兵器「チャオちゅ~る」です。猫のといえば、チャオちゅ~る!CMでもおなじみの液状スティックタイプです。これを無視して立ち去ることのできる猫はこの世に存在しません。

 私はその1本を取り出し、切り取り口から開封した。はちわれの表情が一変したように見える。

「さあ、その嗅覚でこの宗田かつお&かつお節フレーバーを嗅ぎ付けなさい!そして刮目かつもくせよ!」

 はちわれは微動だにせず私の手元だけを凝視した。それは本能ほんのう気位きぐらいとが、あの子の中でコンフリクトしているかのように見えた。

 その時だった……。

 

「あっ!!!」

 

 アイツは塀の向こう側に降り去ってしまった……。

 

「あっ!!!」

 

 と思いきや、塀下の隙間から出て来てくれたではありませんか。

「かわゆ~い」

 はちわれは、ペロペロとチャオちゅ~るを舐める。私はやっとこのモフモフを撫でることに成功したのでした。

「きゃっふ~モッフモフです~」

 チャオちゅ~るに夢中のはちわれをイイことに、その肉球も嗅がせてもらった。

「これは……栗か、はたまた香ばしいアーモンドですね」――潮さんには教えません。

 

「君は何をしている? 所長が君にがあるようだ」

 

 潮さんのその言葉にハッとした私が、このあと所に戻って聞かされた内容は、容易に受け入れがたくとも、私たちがしかりと伝える義務のあることでした。

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