0324 鑑定

「いたには、いたんだが……」

「なんだ?」

「ただ、ってだけ。当時サアラさんと一緒に人権活動に参加してた同世代の秋田出身の女」

「何が、なんだ?」

「特に被害者の岩出さんからしたら、サアラさんのただの友人。岩出さんに恨みがあるわけでもない。魚釣りの接点もない。秋田出身で東京からはもう帰郷して地元在住で独身」

「名前は?」

 

那智なち 寿美香すみか

 

「秋田在住……」

「仮に、その女が岩出さんを狙って正月に東京へやってきて、機会をうかがって丁度よく夜釣りにいそしんだその人を殺害した? なんや話がウマすぎるやろ。つまり、条件の女が『いた』ってだけだ」

 

「この声は……、声紋鑑定が可能な範囲なのだろうか」

「まあ、警察はひとりの女を最重要参考人として押さえたわけだ。声紋鑑定するなら、その動画の声とサアラさんの声を比較鑑定するんだろうが、最重要参考人が犯人でないと立証する鑑定結果を、警察がわざわざ持ち出すと思うか?その場合また捜査は振り出しに戻るってことや」

 

「まったくもって、卑怯千万ひきょうせんばん。この国に法の番人は存在しないのか!」

「水月」

「なんだ鳥嶋」

 

「お前のそのは、どこまで仕上がってる? 正直言って俺には良くて3割ほどにしか見えん。お前って人物を俺は知った上で、お前がその児童福祉司のパートナーとサアラさんに、これだけ入れ込むんだから、お前の今の気持ちは俺が一番理解してる自信がある」

「何が言いたいのだ」

「クールで冷酷なをしているお前が、他人にこれだけ入れ込んで、もしもお前自身だけが破滅するような結果になるなら、俺はこれ以上は手伝えない」

 

 ふたりとも沈黙した。部屋にある置時計の女神フォルトゥナの秒針の音がやけに大きく聞こえる。エアコンの暖房が送風する音、ポットの再沸騰の蒸気音、パソコンの起動音どれもが明瞭に聞こえた。

 水月の表情はいたって冷静だった。いつも通り、これが潮水月だ。

 

「皆目、問題ない」

「本当か?」

「ああ、冷静だ」

「わかったよ。信じてやる……でもなぁ」

「なんだ」

「写真週刊誌の記者が寄せ集めたネタごときで警察が動くとは、どうにも期待できん」

 

 水月はどこか上から目線で、ドヤ顔で、ほくそ笑んでいるようにしか見えなかった。俺はゾッとした。人は物事を理解できないとき『恐怖』を感じるらしい。

 

「記事にすればいいのだよ」

 

「はあ?」

「ディスパッチの記者が、ある証拠からたどり着いた真の容疑者の存在」

「冗談言うなや」

「初めから警察の捜査には、大きな穴があった」

「こんな空想みたいな憶測を、編集部で記事に採用してもらえるわけないやろ。デスクや編集長が許さんわ」

「貴様のパートナーが年間タイトルを受賞したのだろ?」

「あのなあ」

 

「週刊誌の記事になれば、警察も黙ったまま動かないわけにはいかないのだよ」

 

「お前……、ホンマ恐ろしいヤツやわ。ホンマ味方で良かったっす」

 

 俺は翌日、編集部でまずは様子をうかがってみた。

「鳥嶋さん、なーんか怪しいですよ。コソコソ何かやってるでしょ?」

「いやいや、チャンピオンは何かとお忙しそうなんでね、そっちに専念しておくんなまし」

 とりあえず池浪からは逃げることにする。

「おい、八重樫やえがし

「ああ、鳥嶋さん」

「若洲海浜公園の事件、どう?」

「警察はアレ以降の動きはないっすよ」

「やっぱそうか……」

「ああでも、殺された岩出弥彦なんですけど」

「えっ?ナニナニ?」

「人権派の公明正大ってカンジ気取ってますけど、結構ウラでは好き放題やってたみたいっすわ」

「好き放題?岩出弥彦が?」

 

「あ~、オレ~、その人知ってるかもお~」

 ヤベえ……。

「あは~、宮藤くどう編集長ぉ~、どうなさいましたぁ~?」

「バレてるっつーの、鳥嶋蓮角」

「ははは~」

「まあいいや。殺された人権活動家だろ?そのオッサン、かなり前に記事で読んだ事あるぜ」

「ええ、そうです」

「すげらしいんだよ、そのオッサンの名前って。日本のユダヤ人みたいなんだそうだ」

「え?」


「ヘブライ語で『イワデyehudi』は『神の民』で、『ヤヒコyaheykhal』は『神の神殿』を意味するそうだ」

「マジっすか……」

「偶然とはいえ、『ヤヒコ・イワデ』はユダヤ人からするとまさに『神様』。生まれた時からあがめられる存在に成るべくして成った人物。しかしながらその善悪は、神に非ずだった」

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