0319 惜別
「私が、関係、あることですか?」
「まあ、詳しく聞かせてください」
「なぜ、私、なの?」
「これは任意ではないのか?」――潮さんが尋ねた。
「オタク関係ないでしょ?黙っててくださいよ。 仁科佐亜良さん、日本語わかるよね?何で私らが来たか、わかるよね?」
「おかあしゃん……」
「メレン……」
「おかあしゃん」――芽恋くんはお母さんの左手の指を、自分の小さな手で掴んでいた。
「ごめんね、メレン……」
お母さんの右手が、その小さな手を指からほどいた。背広姿の男たちがお母さんを連れて歩き出す。
「おかあしゃん、おかあしゃん」
「芽恋くん……、行けないんだよ、行けないの」一緒に付いて行こうとするこの子を、私は悲痛な思いで抱き留めた。
「おかあしゃあん、おかあしゃあん、わああああああああん」
私は、泣きじゃくる芽恋くんを抱き留めることしか出来なかった。芽恋くんの心の叫びに、どうすることもできない自分が何なのか、ただ恥じるだけしか出来なかった。
私の仕事は、子どもたちの幸せを守ること……。
私はこんな時いつも思う。
まるで何かに、自分の良心の呵責を試されているような。
それは自分の中に、きっと心疚しい部分があるためなのではないか。
いつも私自身の中に存在する善悪の判断を測る心の働きを確かめながら生きている。
――そう……私の仕事は毎日その連続の繰り返しです。
「これは、こうだよ。こうするんだ」
「ぶーろ、ぶーろ、ぶーろ」
潮さんはずっと芽恋くんに話しかけていた。ゆっくりした口調で柔らかく。
「そうだ、それでいいんだ。じゃあ次はこうだ」
「だーこ、だーこ、だーこ」
芽恋くんは、言葉らしい言葉を話してくれなくなった。さっきから手に渡した物を何度も潮さんに投げ返している。それでも潮さんは一切動じず同じことを繰り返していた。
一時保護所を訪れた私たちは、越智課長に手続きをお願いして、芽恋くんの保護を頼んだ。
「芽恋くんは、数日の一時保護を経て、福祉型障害児入所施設への入所が良いという判断になりそうです」
「そうか……、よかったな芽恋くん」
「何が良かったんですか……」
「ん?」
「お母さんと引き離されて、ひとりぼっちになってしまって、何が良かったんですか……」
「おい、大丈夫か」
「何が!良かったんですか! こうなることが、この子にとって良かったと言うんですか!」――なぜか私は泣いていた。
「落ち着け」
「潮さんは、この子の気持ちになって考えてみているんですか! あなたには、人の気持ちになって考えることができるんですか! 冷酷な心理専門家の知識しかないのではないんですか!」
――彼はただ黙って、自分の両手の掌を見ていた。あの時と同じように。
「こら、長内、やめとかんかい」――私はその後も、越智課長にきつく叱られた。
いつの間にか、潮さんは帰ってしまっていた。
最悪だった。
自分の苛立ちを、ただ動物が吠えるようにして、彼にぶつけただけだった。
児童福祉司として失格。
福祉人としても失格。
まず人として失格だった。
「やっぱり私なんかに児童福祉の仕事なんて、無理なんだ」
自暴自棄になり、もう二度とこの混迷の底から這い上がることなどないと、今はただ息をしているだけの私が、あんな衝撃で叩き起こされるとはこの時はまだ知る由もない。
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