0314 疑念

 あれだけあっけなく、すぐに追い帰された私たちが……。

 こんなにもあっさりと、あの親子に再会するとは、有名な預言者が地球滅亡を予言失敗したように、これもまた予想できた筈がありませんでした。

 

 ――2日前。

「少し調べる必要があるかも知れぬ」

「調べる?何をです?」

「ああ、まだよく分からんのだが……」

「でも、芽恋って名前、女の子っぽいなって思いました」

「漢字では、だな」

「どういう意味ですか?」

「お母さんはの名前は、サアラ。ヘブライ語でクイーン。メレンは、たぶんメレフだ。キングを意味するヘブライ語。どちらもイスラエルの言葉だ」

「よく知ってますね」

「ヘブライ語は旧約聖書の時代からユダヤ人によって守られてきた、今やイスラエルの公用語だ」

「ふーん……」

 

 ――あれが2日前だったのに……。

「こんにちは、仁科です」

「ああ、仁科さん。どうも、こんにちは」

 外は、朝からずっと強い雨が降り続いていた。決して『ポカポカ陽気だから寄ってみた』というお散歩日和ではない。

 

「芽恋くんは元気があるかな?」

「あ、潮さん……」

 潮さんは静かに芽恋くんの前にしゃがんで、ジッと彼を見た。

 そうすると人見知りの芽恋くんは、またお母さんに隠れてしまった。そして……

 

「あっ!」

「ああー、メレン!ダメだな!」

 芽恋くんは、所内の受付でしてしまったのでした。

「もうっ!メレン!どうして、おしっこ、言わない!」

「お母さん、怒らないで大丈夫ですよ」私は何とかお母さんをなだめた。この頃のお漏らしは叱らない方がいい。

 児童相談所はお漏らしなんかの対応は手早い。慣れてるので、子どもの着替えなどの用意も万全です。

 ピリリリリ、ピリリリリ、ピリリリリ。

「あっ、少し、スミマセン」芽恋くんのお母さんの携帯電話が鳴った……。お母さんは忙しい人なのだろうか……。

「じゃあ、芽恋くんはこっちの部屋でお着替えしましょうねー」

「変身やだ、変身やだ」

「えー、大丈夫だよー。はーい、じゃあねー、ああシャツも濡れちゃったから替えようー。はい、よいしょっと……!!!」

 

 芽恋くんの身体は、全身が傷だらけだった。

 

「えっ!芽恋くん?ケガ、痛いでしょ、どうしてケガしてるの?」

「どうして、どうして、どうして、うー、うー、うー」

「おい、それは……」

「あ、潮さん、この傷……」

「とにかく服を着せろ、父親が来たぞ」

「えっ?!なんで?!」

 

 お母さんへの電話は、父親からだったらしい。親子がここへ来所していることを知って迎えに来たみたいだった。

「いや~、なんともウチの奴がご面倒お掛けしたそうで~」

「お父さんでいらっしゃいますか」私は率直に、芽恋くんの身体の傷についてお尋ねしようか迷っていた。

「あの、長内サン、私たち、帰ります」

「お母さん、芽恋くんは……」

 

「息子さんを虐待してるのは、あなたたち両親のどちらなので?」――やはりこの人を自由にさせては駄目だった。少しでも油断した自分を悲しんだ。

 

「失礼だな!初対面の人間に何てことを言う!若造が!ウチはが少し厳しいだけだ! さあ帰るぞ!」

「はい、メレン、いくよ」

「あの、お母さん……、また来られますよね」

「もう、来ない、です。ウチにも、来ないで」

 そう言って、仁科さん家族は帰ってしまった。

 

「もうっ!潮さん!」

「…………」

「もう少し、聞き方があると思うのです」

「…………」

「どうして黙ってるんですか」

大概たいがいあのたぐいの親は、虐待をだと言い張る。子どもは親のものだと、親の義務を果たさず権利だけを主張する……。あの子は、保護、できるのか?」

「えっと、原則的に家族に引き取りの意思がある場合は、一方的にそれを無視して保護することはできません。児相が実施できる一時保護の強行性は、様々なケースに左右されますが、基本的に子どもの生命の危険が及ぶ可能性がある場合の安全確保とされているんです」

「そうだろうな……」

「潮さん?」――潮さんの表情は険しかった。

「夜尿でない場合のお漏らしは、心因性のことも多い。あの子は人見知りな子どもに見えるが、単純にそうではないと思う。その場合は、心の問題を抱えている児童に対しての心療サポート外来の受診が必要になってくる……」

 私は、忘れていた……、この人は臨床心理士だったんだ。

「芽恋くんの様子、潮さんから見て、どうでしたか?」

 

「あの子はもしかすると、自閉スペクトラム症の可能性も高いのだよ」

 

 虐待の事例には、先天的な病気を持った児童に対するケースもとても多いのです。

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