0312 怪訝

 児童相談所では『一時保護』という形で、児童相談所長および都道府県知事の判断によって子どもを一時的に保護することができます(児童福祉法第33条・児童虐待防止法第8条第2項)。

 一時保護所は、児童相談所に付設する保護施設で、児童養護施設とは違い、一時的な保護期間をおおむね2カ月程度としている。

 

「日野児童相談所には、我が『子ども福祉支援課』と、保護児童の生活支援を受け持つ『子ども福祉保護課』があって、保護された子どもたちの心と身体の健康を支援するのが保護課の職員さんたちです」

「まあ、知っている」

「まあ、そうですよね」

 

 ――私は、一時保護所に潮さんと行くのが不安で仕方ありません。なにしろ『僕は子どもが大嫌いだ』なんて言う人ですから……。ただ、行かないわけにはいきません。一時保護所をずっと避けて業務にあたるなど不可能ですから。

「大丈夫ですかね」

「何がだね」

「例えば、お化け屋敷が嫌いな人は、肝試しも嫌いですよね。動物が苦手な人は、ペットショップに行きたがらないですよね。高所恐怖症の人はスカイダイビングなんて無理ですよね」

ヘビが嫌いな人は、マフラーを巻かないかも知れぬな」

「それは違うと思いますけど……」

 日野児童相談所に付帯する一時保護所は、児相からひと駅ほど離れた場所にある。付近は、保育園や老人ホームが隣接する割と静かな立地です。

「あの目立ってひときわ大きくそびえ立つ、大木の見える所です」

「子どもの年齢層は?」

「赤ちゃんは乳児院なので、ここは3歳から高校生までです。居室は年齢ごとに分けられ、食事や集会所などの共有スペースでは、みんな一緒に過ごします」

「少し不安だ」

「やめてくださいよ。私はもっと不安になるじゃないですか」

 

 電線を止まり木にしているカラスが上から私たちをジッと見ている。鳴かず飛ばずのあのカラスが、まるで何も活躍していない私を象徴するかのような存在だと言われてるみたいで、うとましく感じながら施設に入る。

「おつかれさまです!」

「やあ~、はっは、長内、研修中もご苦労様やねえ~。ふっふ~」

 子ども福祉保護課の課長、越智おち課長が玄関先で何かの作業をしておられた。

「越智さん、また体重……」

「ふっ、増えてないて~。長内やめといてくれ~」越智課長はその重そうな体を横に揺すった。

「越智さんこちら、臨床心理士の潮さんです」

「潮 水月と申します。宜しくお願いします」

「ほふ~、背~が高いんやね~。ええな~、潮チャンちょっとここのポスター剥がしてくれへん?」

「ええ、構いません。はい……、どうぞ」

「おお~、おおきにぃ~。しばらく長内を頼んますわ~」

「皆目、問題ありません」

 

 私たちは『図書室兼プレイルーム』の広い部屋を訪れた。私は先日、退院から一時保護された、増田美緒ちゃんの様子を知りたかった。

 その広い室内にはたくさんの子どもたちが集まっていて、皆それぞれに好きなことをして過ごす時間帯のようだった。

「あ、美緒ちゃん」

 その時、小学2年生の美緒ちゃんは『ぐりとぐら』の絵本を見ていました。私に呼びかけられた美緒ちゃんは、こちらをキョトンとした表情で見上げました。

「ぐりとぐら、おもしろい?」

「うん、おもしろいよ。おっきい~タマゴがあったんだよ」

 美緒ちゃんはそう言って、ニッコリ笑ってくれました。あの時、トイレから廊下に倒れて、私の腕の中でぐったりしていた美緒ちゃんを思い出して、私は胸の奥が熱くなってしまい、そっと優しく美緒ちゃんの頭をナデナデしていました。おでこの青アザはもうすっかりきれいに治って消えていました。

 

「おいおい、まとわりつくんじゃない」

 

 その声に、私は自分が完全に失念していたことにハッと気付かされた。さっきまで一番心配していたことに一瞬でも無思慮だった自分を責めた。

 そうだった、あの人は『子どもが大嫌い』だったんだ。

 

「こらこら、引っ張るんじゃない。いや、だからそうやって背中を登るでない。ああ、外してはダメだ、この眼鏡は高級品なんだぞ」

 

 潮さんの周りには子どもたちが群がっていた。一体何が子どもたちをそうさせるのか私には一切理解できなかったが、子どもたちは楽しそうに潮さんにまとわりついていた。

 デカいからでしょうか……。大型遊具的な? いや、そうではありませんね。とても不思議な光景です。でもたまにこういう人を見掛ける経験はあります。何故か子どもに大人気の人……。

 

「潮さん、子ども好きなんですね」

「何故そうなる。これだから、僕は子どもが大嫌いなんだ」

「嫌がらないんですね」

「まったくもって、畏怖嫌厭いふけんえん。苦痛でしかない」

「楽しそうですよ」

「楽しんでいるのは君だけだ」

 

 心配事が解消されて、スッキリとした清々しい気持ちで、私は安堵の胸をなでおろした。でも……

「なんか悔しいですね」嫉妬心がつい声に出てしまいました。

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