0309 失策

 無茶苦茶です。

 あくまでも児童虐待のおそれ、もしくは疑いがある……、まずはその調査から入ることが通常の訪問手順。それなのに、こともあろうか『児童虐待を確認しに来た』などと保護者に直接そのまま言って『はいそうですか』と応対してもらえると、本当に思っているのだとしたら、この人は本当に臨床心理士なのでしょうか。

 

「なんやとおおお?!おのれなめとんのかあああ!!」

「そんなことはどうでもいい、玲於奈れおなさんと会わせていただきたい」

「ちょっと、潮さん」

「虐待だ~あ~あ?どこのどいつがそんなホラを言うとったんじゃ!言うてみい!」

「言う必要はない。こちらの申し出が聞こえないのか」

「じゃかましいいいわ!帰れあほんだらああ!」

 

 ドッバアアン!――鉄製の扉は閉ざされた。これでもう二度と開かないような気さえする。

 

「ああ。何て人ですか……。せっかく対面まで成功したのに……」とは言ってもピンポン連打の無理矢理な開扉かいひでしたけど。

「僕の何が悪かったと言うのだい?」

「まあ……、いくつもある内のひとつだけ指摘するならば、ご自分の発言で相手がどう感じるかどうか、予測されないんですか?」

「何のために?」

「円滑なコミュニケーションの手段ですが」

「言いたいことは解る。だがどれだけ下手したてに出たところで結果は違っただろうか」

「それはそうかも知れませんけど……」

 ――持田さんのお宅はこのお隣様から、父親の怒鳴り声と糞尿のニオイの苦情が大家さんに入ったらしい。確かに鉄製の扉の向こうから匂った気がする。

 ただ私たちは一旦、出直すことにした。

 

 次のお宅は少し小さめの一軒家だった。表札は『庄司しょうじ』さん。お住まいの見た目に貧しさはなく、もしも虐待の疑いがあるとしても、この場合の内容は複雑なことが多い。通告はこの町内の住民の方で匿名、頻繁に子どもの鳴き声が聞こえるとのこと……家庭内の詳しい情報はまだなかった。

「今度は私が先にお伺いしますので、潮さんは待機でお願いします」

「ああ、わかった」

 リンゴ~ンリンゴ~ン……ガチャ。

「こんにちは」――そう言いながら玄関から現れたのは4~5歳の男の子だった。

「こんにちは、おうちの人はいるかな?」

「いない」

「そうなの?今は一人でお留守番中?」

「そうだよ」

「ありがとうね。私たちは児童相談所の人でした。じゃあね」

「じゃあねー」

 ガチャ。

「…………」

「まったく元気で健やかに育っている様子の男児でしたね」

「何を言っている」

「顔や手、肌の露出部分で身体的虐待の要素は一切なし。表情や挨拶、視線の挙動からも怯えなどの傾向もありませんでした」

「あの子、はな……。あの子があんな補助輪なしのジュニアサイクルに乗れるのか?」

「あっ!」――見落としていた。この家には子どもが一人ではないんだ……。

 

「どちらさまですか?」

 

「あっ!わたくしども、日野児童相談所から参りました職員です」

 それは外出先から戻ったであろう母親と思われる女性でした。およそ30代半ば、小奇麗にした専業主婦?でしょうか。

「児童相談所?なんで?」

「家庭調査の訪問でして……。今しがたこちらで坊やとお会いできましたが」

「それでしたら良かった。では」

「あっ、お子様はお一人ですか?」

「そうですよ」

 ガチャン。

「…………」

「今ので良かったのか?」

「良くは……ありません」

「まったくもって画蛇添足がだてんそく。そもそもの目的は何だ」

「うう……」

 

 すべてが全然上手く行かなかった。ことごとく空回り……。潮さんの言わんとすることも間違ってなかった。

 

 その日は何をしても散々だった。

 潮さんには何度となく意味不明な四字熟語でさげすまれ、コテンパンになった。

 そして一人として子どもを守ることもできなかった。

 おまけに自宅の冷蔵庫のタマゴの消費期限が昨日までだった。

「私、全然だめ……」

「ねえ、ネモフ~」

「きょうもいちにちおつかれちゃま~」

「私、向いてないのかな」

「ふにゃ?」

「子どもたちを幸せにするなんて無理なのかな」

「むにゃむにゃ?」

「はぁぁぁ~。ネモフ、6時10分!」

「ろくじ、じゅっぷん、おこす、おっけー」

「おやすみ」

「おやしゅみ~」

 

 明日! 新しい自分で! 再スターティング! ――がんばんなくちゃ。

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