0307 無理
「あ、あの。うしおさん……ですか?」
「ああ、その通り。僕が
私が腰を抜かしてるからでしょうか。それとも、とても背の高い人なのでしょうか。白衣を羽織っている細身の男性はその眼鏡の奥に、はるか上から目線の
「あっ、私、日野児童相談所の長内早枝です」
私はそこから何とか立ち上がりながら、潮さんに自己紹介した。
「はい、伺ってますよ。どうぞ中へ」
室内は落ち着いた雰囲気の休憩室のような空間だった。淡い色の大きなソファーがコノ字に置かれ、角の丸い木製のテーブルが中央にある。幅の広い窓からいっぱい外の光が入り込んで、本棚の書物たちを照らしていた。本棚の高い上の段は難しそうな本ばかりだけど、中ほどは私の好きそうな本かも。下の段は…児童書かな。とにかく何とも言えない落ち着く部屋です。
しかも……。ソファーの端にある、あのクッションは……すっごーーくモフモフなんですよね。とても気になります。
「児童相談所のお手伝いは、来週からで良いと聞いているのだが、間違いないですか?」
「えっ?!はいっ! キャリア形成研修の一環で臨床心理士の潮さんと同行し、心理診断などを学び、私は児童心理司を目指すことになっています。一年間どうぞ宜しくお願いします!」
「
「???」ん?どういう意味?
でも……。立ったから?さっき感じた上から目線はもうないかも。それにしてもさっきから、仕事中にずっとチョコレート食べてる。
「あの、さっき、くらげではないって……」
「僕の下の名は、
「そう、なんですね……。あの、甘いものお好きなんですか」
「なにっ?!どうしてだ!欲しいのか?!」
「い、いりません」――何でそうなるのよ。
「僕が摂取した糖分はすべて脳エネルギーとして蓄えられているのだよ」
――えっ?!何言ってるのこの人……。ヤバイ人でしょうか。
「君は子どもが好きなのか?」
「はいっ!大好きです! 潮さんも心療のお仕事柄、お子さんはお好きそうですね!」
「僕は、子どもが大嫌いだ」
「は?」
よくアクション映画の乱闘シーンで使われる、柔らかい素材で出来ていて軽い衝撃ですぐ粉々になるビール瓶で頭を殴られている自分(そんな経験はありませんが)をスクリーンの中に観ているようだった。
子どもが嫌い?まさか……臨床心理士で、心療カウンセラーで、子どもと接することも多いであろう白衣姿の先生が、子どもが大嫌い?……。理解できないを通り越して、もはや怖いです。
「まさか、子どもが好きだからこの仕事をやっているのだろうとても言うのではないだろうな」
「少なくともそうであって
「べき?……べきの意味を知っているのか君は?」
「子どもたちに安心感を与える存在である以上、そうであって自然だという意味です」
「まったくもって
「それはこちらの台詞では……」無理です。怖いです。とりあえず変人です。
「これから僕は、ゴディバのショコリキサータピオカダージリンを買いに行くので、また来週こちらから伺う。では」
そう言い残し、白衣から素早く切り替えたコートを
「部屋の施錠とか……しなくていいの?」
児相までの帰路ルートはよく憶えていない。だって、それ以降、私の視界は写真のネガフィルムのようにしか見えなかったのだから。お先真っ暗とは、きっとこの事を言うのだろうと納得した。
やはりあの時、町田所長には相手の方とお会いしてから…とか、もう少し考える時間を…とか、猶予をいただく方法もあっただろうと心から後悔した。
「無理です。絶対無理です。毛頭無理だったんです。聖水をかけても、お札を貼っても、悪霊退散できません」
「どうしたのよ」栗原先輩は私の
「どうしたって無理です」
「研修の話、受けたんでしょ?」
「はぁぁぁぁぁ。私の判断が軽率でした」私はマリアナ海溝ほどの深いため息をついた。
「どんな人だったの?臨床心理士の人」
「悪霊です」
「あくりょうおおお?!」
だってこの実直で尊い職務は、子どもたちの笑顔のためにあるはずなのに。あんな人とその目的を果たせるとは到底思えない。
そして恐怖の週明けは、あの悪霊が暗い空から雷鳴を轟かせてやって来たのです。
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