0305 柔和

 今朝も一段と寒いです。

 

 毎朝、暖房は起床の一時間前にタイマー設定しないと私はお布団から出られません。だって、私のベッドは、超ふわふわの寝具が夢のセットになった『ホットウサギのカシミヤミンクベルベット』なんですもの。毎朝この、私が名付けた『もふもふどりーむわーるど』から現実世界へなかなかフェードアウト出来ないことが、最近の悩み。

「おはよ~ネモフ~」

「おはにょ~」

 ――ヤバいです、このかわゆさ……。本当に召喚してよかった。そんなことを考えながら、私は朝の支度を整えた。

「ムーンプリズムパワーメイクアップ」できました。

 

 そして寒気かんき渦中かちゅうに飛び出した私は、キンキンえになって光るアスファルトのスリップ係数を目視計算(見た目で判断)しながら、職場までの道のりを急ぐ。

 

「今日も現れましたね」

 その鋭い眼光、上から目線の居丈高いたけだかな態度。この寒風吹き荒れるフィールドに不相応な存在……。

「でも今日は無視です」

 私は勢いそのまま職員通用口に入った。

 

「はぁ。あったか~い」

 私は業務開始の準備を整えながら、暖かいことへの感謝の心を確かめた。――女性は大半の方が寒がりではないでしょうか。これは果たして私の個人的な偏見でしょうか。例えばこれが男性だとしても、むしろ『俺は寒い方が好きだ』という、ロイ・マスタングみたいな方が現実世界におられるでしょうか。

 

「おはよー長内さん、所長に会った?」

「あっ、おはようございます。町田所長に?まだです……」

 栗原先輩に、所長が「用事あるみたい」だと聞いた私は、町田所長を探した。

 

「あっ、町田所長!おはようございます!」

「ああ、長内さん。おはようございます。私、あなたに会うといつも元気になるわ」

 町田所長は、正面玄関の一隅いちぐうにある鉢植えの大きなガジュマルに水をあげながら、柔和にゅうわな笑顔でそう言った。

「ありがとうございます」

「出勤早々だけど、少しお話し、できるかしら」

「はい。大丈夫です」

 私と所長は、まだ開所前の面談室にふたりで入った。

「えっと、資料はっと……」

 ――ん?資料……?

「長内早枝さん」

「はい」

「この日野児童相談所にきて2年、児童福祉司の仕事はどうかしら」

「はい……。日々、目が回るほどの忙しさの中、あらゆる事案に向き合い、様々な家庭の親と子の抱える問題に考えさせられる毎日です」

「そうでしょうねえ……」

 

 ――子どもたちのことを思い出していた。私はこの短期間にものすごい数の家庭とその親子を見てきた。どんな家庭にもそれぞれのうえがある。それだけに、親が子を育てることがどんなに大変で、目に見えない苦労があることも、痛いほど見てきた。だけど、あんなに純粋で、無垢で、お母さんやお父さんのことが大好きな子どもたちが、この世の中で一番に自分を愛してくれるはずの『親』に傷付けられてしまう現実が、この仕事に携わる上で最も辛く、苦しい。だけど……

 

「子どもたちの笑顔のために、これほど実直で、こんなにも尊い職務に誇りを感じます」

 

「そう。嬉しいわ」

 ――どうしましょう……。何だかとても大きすぎる過大な発言をしてしまったような気がします……。私らしくない、何とも見栄っ張りで腰高こしだかな態度になっているのではないでしょうか。私は言ってから少し後悔した。

 

「あのう……、私は……」

「良かった。あなたならきっと、そのような前向きな考え方でいてくれているだろうと私は信じていました」

「は、はあ……」

「あのね、地方公務員には、若手職員を対象とした『キャリア形成制度プログラム』という研修制度があってね、福祉の分野でもそのモデルケースとして様々な職種が挙げられてるの」

「キャリア形成……ですか」

「長内さんは、福祉系の大学を出てるけど、その中でも心理学科をとってたのよね」

「ええ、一応」

「うん、そうよね」

 

「長内さん、これから一年間の研修を経て児童心理司を目指しましょう」

 

「児童心理司……ですか?!」

 ――なぜでしょう……、いま私はとても深い海の中に、やったこともないダイビングにこれから挑戦することになった。と、そう告げられたような、そんな途轍とてつもない不安に駆られたのです。

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