法の定めた命のあり方

宵闇(ヨイヤミ)

第1話

私の学校には宗教の授業があり、テストもある。そのテストには毎回最後に作文を書く問いがあり、それは2つあるテーマから1つを選びそれについて記述するというものだ。

高校3年生のこの夏、一学期の期末テストでの作文のテーマは“脳死下での臓器移植”のテーマⅠと“新型コロナウイルス”のテーマⅡの2つだった。

Ⅰではそれに対する賛否と理由を、Ⅱはそれが社会に与えた影響について述べるというものだ。

僕は迷わずⅠを選び解答用紙に自分が思うことを綴った。

皆はどうだろう。脳が機能を失っただけで体は生きている状態の人を死亡扱いし、その臓器を他人に移植させる。臓器移植をすれば助かる命があるのだからいいのではないか、という意見が多いだろう。しかし私はこれに反対である。確かに脳死者1人の臓器で多くの人が救われるだろう。だがよく考えて欲しい。死んでいるのは脳だけで体は生きている。髪も身長も伸びる。子供なら時が経つにつれ大人へと成長していく。いわゆる植物状態というやつだ。

国は脳死したものを死者とすると法に示していると聞いた。確かにその人はもう何も出来ない。目を覚ますことがない。話すことも二度とないのだ。

これを書いていると、死んだに等しいのならその臓器を誰かのために使ってもいいのではないだろうかと思えてくる。

しかし私はその度に思うのだ。もし自分の家族や友人などの身近な人が脳死だとなった場合に、その人の体に傷をつける事を私は承諾できるのだろうか、と。

そのからだは生きていても、死亡したのと変わりないのはわかっている。しかしそれは容易く受け入れられる現実ではない。

人は身近なもの、大切なものが死んだことを知ると不安定になる。『死んだ?一体どうして……この前あった時はあんなにも元気だったのに…』というような事を考えたりもする。

自分中で気持ちの整理がつかず、現実逃避をしたくなってもくる。

その中でその人の体を開いて臓器を取り出し、本人の意思とは関係なく他人の体へと移されていく。

脳死した本人が生前に“脳死した際には臓器移植に使って下さい”とでも示しているのならば、私達は「本人がそう願うのなら」と思い承諾する事が出来るかもしれない。

そう考えると“脳死下での臓器移植”についての賛否は場合によっては変わってくるのではないだろうか。私は確かにこのこと自体には反対である。だがそれが本人の意思として示されているのならば賛成するかもしれない。

それにしても、国とは、法とは時に酷いものだ。人は平等だと唱えておいて、脳死で植物状態になった者を死亡としてしまうのだ。人は、命は皆平等と言っておいて、これでは矛盾が生じてしまう。

皆様はこの事について、どうお考えですか?

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法の定めた命のあり方 宵闇(ヨイヤミ) @zero1121

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