第3話

 凡下列車にて。遊山せんとて。悪童民部卿一人と共に出づ。あくがれまどふには非ず。ただ昔のよすがを辿らんと。足の向くままに赴く已。


1.銀座線

○渋谷駅

 渋谷郷は。昔渋谷金王丸とて。下野守義朝が郎党の。苗字の地と云々。又の名を。土佐坊昌俊と申して。平家物語にも見ゆ。鎌倉殿の命を受けて。九郎判官を殺めんとて。逆に殺されけり。


○表参道駅

 この所は。巽に長谷寺(ちょうこくじ)とて侍り。永平寺の別院也。昔を初瀬の長谷寺(はせでら)に。愚老も参りたるが。この寺の十一面観音と。同じき木を用ゐて。彫られける仏像を本尊とすと。されば同名なるか。これは吾妻の禅寺。かれは大和の密教といへども。不思議なりしことなり。さて法成寺殿の。四条大納言の長谷にこもりゐ給ひける時に。つかはせ給ひけるとて。谷の戸をとぢや果てつる鶯の待つに音せで春の暮れぬる。千載集に採られけり。


○外苑前駅

 此処は。秩父宮ラグビー場とて侍るなるが。秩父宮は。昭和二十八年。薨ぜられて後。間もなく秩父社に祀られ給ふ。知々夫国造は。岩戸隠れの思兼神の末にて。この神と知知夫彦命とて。国造氏が祖神を祀りけるが。本地は妙見と云々。さればこの宮も。妙見の御化生にましますか。或は故なくして祀り奉りけるか。実否おぼつかなし。宮の御歌に。雪消えぬ山の奥にも遠近のはひ松づたひ鶯の鳴く。


○青山一丁目駅

 高円宮の邸第あり。この宮も。つとに薨去なりけるが。高円山は。平城の都の巽にて。顕昭法師が歌に。萩が花ま袖にかけて高円の尾上の宮にひれふるやたれ。麓に。白毫寺とてあり。今もこの寺には。露置く萩が花の。多く咲きけるこそ。ことにあはれにして。感涙抑へ難し。


○赤坂見附駅

 豊川稲荷の。関東別院とて侍り。寒巌尹和尚御入宋の砌。文永四年荼枳尼天を。将来し給ひけるが。後に参河国豊川にて。祀りけると云々。荼枳尼天と言へば。即位灌頂にて。二条殿の。新帝に印明を伝授し奉りける習ひたりしが。荼枳尼天の御真言を。主上御心が内にて。唱はしめ給ふ。明治より廃絶してければ。東宮坊の巽に。かくて鎮座して。或は変成男子の法などを。厳修しけるか。実否はおぼつかなけれども。この稲荷に隣して。秋篠宮の邸第あり。若宮の御降誕は。これによりてかと。


○溜池山王駅

 江戸の山王は。太田道灌の。川越山王より。勧請しけると云々。川越山王は。慈覚大師喜多院御創建の節。坂本より勧請し給ひけり。嘗ては江戸城。太田徳川の鎮護たり。今は東の内裏。玉の宮居の守りにてまします。昔建春門院皇后宮と申しける時。土御門内大臣の。日吉社に行啓ありける舞人にて侍りけるに。御神楽に万歳猶万歳とおりかさねけるを聞きて。万代を重ぬる声にしるきかな限りも知らぬ君が御代とは。続古今集。


○虎ノ門駅

 虎ノ門には。金刀比羅宮の侍る。金刀比羅神は。大物主神也。大比叡は大物主神。小比叡は大山咋神とて。この二柱の神を山王と申す。大物主神は。三輪大明神の御事にて。天智天皇の御宇。西本宮とて。三輪より勧請せられけり。大山咋神は。もとより比叡の山の地主神にて。東本宮とて。崇神天皇の御宇。創建せられけり。されば虎ノ門の金刀比羅と。溜池の山王とは。御同体たるか。丸亀の京極氏の。讃岐国より藩邸に勧請しけるが。今に残れると云々。


○新橋駅

 昔は金春芸者とて。花街の侍りけるが。今は廃れにき。新橋色とて。浅葱色を少しく薄くしけるがあり。トルコ石や。青き紫陽花の色の如し。愚老も嘗て。新橋みどりとかやの芸妓の。歌をよく聞きけるよ。


○銀座駅

 銀座の柳は。昔の通りにはなけれども。外堀通りなどに侍り。夾路柳繁の心は。円明寺関白殿の御歌に。枝かはす柳が下に跡絶えて緑にたどる春のかよひぢ。続拾遺集。これは無人の心也。春深更の銀座などを思ふ。今は平成の初年の頃に比して。夜は人も少なかるべし。


○京橋駅

 石橋美術館とて侍る。青木何某といふ。筑後の画師侍るが。神代の絵など描きて。出雲の神の。御絵なども此処に侍る。


○日本橋駅

 日本橋は。もとは東照大権現の架けけるが。今は高架の。上に架けられて小暗し。難波なる長柄の橋は。橋柱のみ残りて。渡ることを得ぬが。風情多し。この橋は二重になりて。多くの車馬を渡せども。風情少なし。愚老昔このわたりを。通りける時。先帝の御真影を。橋桁に掲げける乞食あり。いといたく不思議に思ひけり。


○三越前駅

 三越は。伊勢松阪の商人。三井何某とて。延宝の頃。江戸に呉服屋を開きけるが基也。松阪は。蒲生何某とかやの武士が。開きける町也。彼の人の辞世に。限りあれば吹かねど花は散るものを心みじかの春の山風。白氏の詩に。松樹千年終にこれ朽つ。槿花一日おのづから栄をなす。とあり。露の命の。惜しむべきものかは。


○神田駅

 駅の東に。昔北辰一刀流於玉ヶ池の道場とて。千葉周作侍り。天保水滸伝に。平手造酒とてありて。千葉の弟子なるを。酒乱にて。破門せられけるが。博徒の助太刀にて。下総国香取郡にて死すと云々。大利根月夜とて。今様にも侍るは。愚老も愛誦するところ也。


○末広町駅

 神田明神は。出雲の神を祀れりけるを。中比に将門を合祀して。明治に逆賊とて外されけるを。外寇の後に復せられけり。北野天神も。将門の託宣にあらはれ給ひければ。北に程近き湯島天神と。所縁あるにや。また将門は。北野天神の御転生てふ。俚伝もありつれども。僻事たるべし。


○上野広小路駅

 不忍池は。琵琶湖のなぞらへにて。弁天島は。竹生島たり。蓮の花の。多く開きける中に。木橋を渡して。見るも床しく。光厳院御製に。夕立のふりくる池の蓮葉にくだけてもろき露のしら玉。新後拾遺集。


○上野駅

 近衛院の御時。源三位入道の。鵺を成敗しけるが。獅子王てふ太刀を。下賜せられけり。これは今上野山の。博物館と言ふところにあり。源三位の歌には。いにしへの人は汀に影たえて月のみすめる広沢の池。新千載。広沢を不忍にかへて見れば。いとあはれなり。


○稲荷町駅

 稲荷町とは。下谷稲荷によりて。名づけけるなり。同じく源三位の歌に。稲荷山西にや月のなりぬらん杉のいほりの窓のしらめる。風雅集。


○田原町駅

 合羽橋とて。庖丁道の用具や。陶磁器などを売りける処あり。愚老も通りけること侍る。白磁青磁。セーヴル焼。マイセン焼。カンペール焼なども。鄙びたれども床しく。


○浅草駅

 言問橋とて。かの在伍中将の。都鳥の古歌によりて。名づけけるとか。こまどり姉妹の歌に。何も言ふまじ言問橋のとてあり。里謡なれども。悲しく侍る。

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