第2話

一 厭世

 関白殿憂世のことを儚く思召されし折、別当と物語などあり。築地右府は三ノ輪てふ所に新たに邸第(ていだい)を構へてすまはれけるが、その話をかかりにて、万のよしなし事を話されけり。

関白「三ノ輪の南に竜泉(りゅうせん)てふ所あり、一葉てふ女のゆかりとて、かねて聞き及ぶことあり。これまで繙くことはなけれども、『丈比べ』と申す物語の事、往古のことを思ふにつけても、見ざりし昔のことなどの胸に迫りて、いといたく悲しくて侍る。これは吉原の花街の子女の話なり。吉原土手は三ノ輪、竜泉のすぐ東なり。傾城どもの、如何に苦しく思ひけん。あげつらふに足らぬことどもなれども、失はれければあはれとだにおぼゆることの不思議さよ。」

別当「吉原土手は今は日本堤といふなるが、その艮に泪橋とてあり、流れてかへらぬものは泪と昔の面影とこそは承れ。昔は思川にかかる橋なり。今は暗渠となりたり。小塚原の刑場に向かう道なれば、川の名と共にや、かうこそは名づけられけれ。」

関白「武弁、凡下のことは、言ふに甲斐なきことなれども、小塚原は、相馬大作の死地なり。かの人は南部の臣にて、津軽右京大夫【寧親】を斬らんとするが得ずして、獄門となりけると云々。」

別当「津軽殿は近衛流と承るが、殿の親類に非ずや。」

関白「津軽は後法成寺殿【近衛尚通公】の裔なれば、確かに血縁なり。後法成寺殿は、光源院殿【足利義輝】、霊陽院殿【義昭】の外祖におはします。かの永禄の比、松永【久秀】とかやの凶賊起こって、光源院殿を弑し、また御母慶寿院殿、火中に御身を投じて薨ぜられき。前代未聞の事なり。山口に遭難されし大染金剛院殿【二条持通公】の事、またこの慶寿院殿の事、世は遥かに隔てけるが、悲しく思ふぞ。」

別当「殿は先般山口に御下向ありけり。」

関白「数年前、水無月の頃、岩国より山口に至りたり。錦帯橋、瑠璃光寺など見つ。寿永の平家の如く随所を彷徨ひ惑ふこと、夢の如く思ふ。」

別当「瑠璃光寺の深緑は如何。」

関白「深緑常磐の松の陰に居てうつろふ花をよそにこそ見れ、是則が歌なり。」

別当「同じく是則が歌に、浅緑染めて乱れる青柳の糸をば春の風やとくらん。」

関白「浅緑といへば、菅原孝標女の名高き歌あり。嘗て更級日記読むことあり。彼の女は源氏物語など愛読せしが、後年これを悔悟すと。余も多くの儚き書など読みけれども、無益の事なり。悪左府【藤原頼長】は万巻の書を紐解き、終には不忠不孝、身をいたづらになし果て給ふ。読書はえうなきものぞ。」

別当「朝顔の露にきほふ人の命と言ひけれども、消えぬ間はいと長く感ぜられ候。仏法は滅びぬ、加特力教も崩れぬ。如何にして余生を過ごし給ふぞ。」

関白「読本も他事よりはよからん歟。然れども何をか読むべきにや。」

別当「内典、外典いづれにせよ、往古の典籍を読み給ふべし。」

関白「詩歌などは読みけれども、瑣事どもの重畳して、経書など読むことあたはざりければ、これもまた儚く思ふ。」

別当「憂世は仮の宿りと申し候。書物は消光の具にしかざれば、何をか希し給ふべき。殿の無聊を慰むれば。」

関白「新中納言知盛は、「見るべきほどの事は見つ」、と言ひ残して西海の白浪の底に沈みけり。余もまた「読むべきほどの事は読みつ」と言ひて東国の赤県の隅に身を沈むべきにや。いと儚し。」

別当「いたく物思ひなし給ひそ。ながらへば又この頃や偲ばれんと云々。」

関白「その歌も昔は好みけれども、この頃はさも思はず。三条右大臣【藤原定方】の、儚くて世にふるよりは山科の宮の草木とならましものを、の心なり。」

別当「さはさりながら、三条右大臣も殉死はし給はざりき。昔の聖代はかへらず候。昔語りにて偲ばんのみ。」

関白「先年ある冬の寒き日に独り徒歩にて醍醐寺に詣でつ。御詠歌は「逆縁ももらさで救ふ願なれば准胝堂はたのもしきかな」とか言ふ。あはただしき旅路なれば上醍醐が准胝堂にはえ参らず。准胝観音は弘法大師の所縁、開創の理源大師は准胝堂にて五条后【藤原穏子】の御安産を二度祈られけり。朱雀、村上両天皇これなり。下醍醐のすぐ北に延喜のみかど【醍醐天皇】の山陵あり。三条右府が詠まれしはここ也。」

別当「准胝観音は七倶胝仏母とて仏陀の母の義也。聖教の聖母に相似たるか。」

関白「転生あれば逆縁あり。転生なければ逆縁なし。輪廻転生はそらごとなれば、今生にてかかる闇の世に生まれけることの悲しさよ。いかにして正しき弥撒に与ることを得んや。」

別当「陸奥須賀川に聖母の御国とて行ひ正しき人々あんなると聞くが、五十年も昔の事なり。今は存否さへ分明ならず。御渡米あるべきか。」

関白「渡米して神に仕ふるは、主上と二親に報恩の後にあるべしと思ふ。それまではただ受忍の一事なり。」

別当「執柄の仁の異国へ渡られし事、前例なし。併しながら殿は欧州摂政、親日米王にもましませば、それを名義に渡り給ふか。」

関白「摂関の渡海は先蹤なけれども、上代貞観、元慶の比、高岳親王の羅越国へ下り給ふ事あり。彼の親王は出家して天竺へ向かひ給ふが、虎害にあって薨去なりぬ。或は釈尊過去世の捨身飼虎の御実践たる歟。然れども我渡米の前に関白は辞し申すべし。」



二 龍神

関白「内藤新宿とかやに多武峰末社ありと云々。詣でばや。」

別当「かの宮は内藤修理亮【清成】の屋敷地とて、内藤氏は藤氏なれば祀りけるならん。」

関白「内藤修理には、青山播磨守【忠成】を対の如くに常にとりそへて言ふが、武陽の青山と申すわたりはこの者の名をとれるとか。み吉野の花山院の末葉といふ。信賢朝臣、新葉集に一首入れられたり。かの人は延文四年夏に筑後川にて討たれ給ふと。」

別当「新葉集は入手難し。坂本何某【龍馬】とかやも求むるとか。言ふ甲斐なき下郎に候も。筑後川のわたりは、内府が別墅に候や。宮の陣駅、大刀洗町など今云ふも、この戦の所縁にて。」

関白「懐良親王は、筑後矢部にて薨御なりけるとか。今の八女市矢部村ならんか。矢部川あり、上流の山村也。内府別墅羽犬塚館の東方に候。賀蘭山前に相逢ふて、聊以て博戯せんといふも、今は悲しくて。」

別当「御辞世は、雲井にものぼるべき身のさはなくて雲雀の床に音をのみぞなく、と。雲雀の床とは珍しき語なるか。」

関白「好忠が歌に、楸生ふる沢辺の茅原冬来ればひばりの床ぞあらはれにける、とあり。詞花集に入れられたり。」

別当「楸(ひさぎ)おふるの歌は、嘗て千乃何某【裕子】とかやが、ヒゼキヤ王の事なりと言ひけるが、物狂とは言ふも愚かなり。」

関白「ヒゼキヤ王は青銅の蛇を毀ちけり。青銅の蛇はモーセの所縁、キリストの御徴にあらざるか。又蛇即ちサタン也。蛇に於て善悪相即するか。不思議なることどもなり。」

別当「伏羲氏、女媧氏は蛇神たり。三輪大明神【大物主神】も蛇体におはします。蛇即ち龍、聖にして邪たるか。聖ゲオルギウスの御事など思ひ出でらる。また龍は天子の御事。三輪の御神は綏靖天皇の御外祖父にてまします。」

関白「蛇といへば紀伊の清姫。僧安珍には何の罪もなかりつるに、清姫の強ちに追ひ求めてこれを鐘ごと焼き殺しけること、三宝を害する悪鬼に過ぎず。如何なる心あってこの物語の成りつるかおぼつかなし。しかれども古風を伝へけるか。いみじう道理なき話なれば。」

別当「今思ひ出でたるが、悪童民部卿【飾磨賢人】、昔「安珍コメントをしつる者は覚悟すべし、さらば」とのたまひけるが、これはこの話に採り給ひて、戯れに清姫を演じ給ふらん。また別墅の黒松村は、道成寺の遥か北方にあり。」

関白「かの鐘は今は京洛の妙満寺にあるとかや。」

別当「都の寺々は度々移転のことありてわづらはしきが、当寺は今は岩倉にあり。先年貴船へ参りつる道すがら、この寺の坤に更雀寺(きょうじゃくじ)とてあり。これは勧学院に実方朝臣の塚を築きけるを、ここに移したるなりけり。陸奥守にて卒しけるが、雀に転生して大内山、勧学院に来にけると云々。」

関白「実方の歌のうちに優れたるは、五月やみくらはし山のほととぎすおぼつかなくも鳴きわたるかな。倉橋山といへば、隼別皇子(はやぶさわけのみこ)のことなど思ひいでられて、あはれなり。」

別当「倉橋山は多武峰の別称とも言ふなるが、多武峰少将入道【藤原高光】は、美濃国高賀山の猿虎蛇(さるとらへび)てふ化物を退治せられけると。鵺(ぬえ)の如きか。おぼつかなし。」

関白「近衛院の御時、源三位入道【源頼政】鵺を成敗しけるが、獅子王てふ太刀を下賜せられけり。これは今上野山に侍るとかや。」

別当「源三位の歌には、新千載集に、いにしへの人は汀に影たえて月のみすめる広沢の池。遍照寺にて詠みけるとか。」

関白「遍照寺は広沢僧正寛朝の開基、永祚元年、円融院御幸なりたまひぬ。」

別当「いにしへの人は往時の月卿か、はたは僧正の後追ひして入水しける児の事に候か。儚しや。」

関白「広沢僧正は成田山の開基。往古余も頻々参りたるは。嵯峨野の月は、昔語り数多ありて、袖もしぼりあへぬ心地する。」

別当「成田御参詣御霊験いや高しと聞く。殿下御功徳の余慶を蒙りて、下官清談するを得。寔に忝き次第に候。」



三 布都御魂剣

 津田沼権中納言湯島第に参られつれば、物語などし給ひき。

黄門「殿、常陸国の田野を贖ひ給ひて、立券せられ給へ。浮浪逃亡の輩ども駆り集めて稼穡せしめ、以て土貢を徴し給ふべし。殿は直務執らるるに及ばず。収税の瑣事も下官が領家となりて務めん。荘務は下郎に委ねん。折々御下向なり給へば、花見、鷹狩、蹴鞠、みな思召しのままなり。」

関白「常陸のいづこがよかるべきにや。」

黄門「鹿島わたりは如何。鹿島大明神【武甕槌神】のおはします。潮来には菖蒲花咲く。海づらも近くして、東方海中に黄金花咲くみちのく島見ゆると云々。」

関白「鹿島は大職冠【藤原鎌足】の御故地と聞く。ただ、大納言為氏の歌に曰く、浦人も夜やさむからし霰ふるかしまの崎の沖つ塩風、と。寒くは侍らぬか。」

黄門「冬に下り給へる折は、林間に紅葉を焚きて御酒など温め参らしめん。」

関白「鹿島社の石の御座(みまし)は、地中深く龍の頭を抑へたると。太古天竺の阿育王、鉄塔を建てさしめ給ふが、デリーの塔は八大龍王の一、和修吉の頭を抑ふと。これは九頭龍大神の御事と云々。」

黄門「鹿島大明神は、諏訪大明神【建御名方神】を討ち給ひしが、諏訪の神は蛇体におはします。鹿島大明神は雷神にて、これ全く天竺が雷神インドラ、龍神ヴリトラの事に異ならず。」

関白「布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)は、鹿島大明神の御佩刀(みはかし)なるが、石上布留の社の霊宝にてまします。しかれども鹿島の宮にも同名の御剣あり。如何。」

黄門「鹿島の宮のは複製と云々。但しこの御剣、鹿島大明神より神武天皇に至り、その後、饒速日尊が御男、可美真手命に伝はりたるは如何。神武の御門は、これを以て饒速日尊を征するに非ずや。如何なる所以にて此れを物部の祭神としていつき祀りつるか。おぼつかなし。」

関白「石上には、布都斯御魂(ふつしみたま)とて天羽々斬剣(あめのはばきりのつるぎ)をも祀りたるが、これは別名蛇之麁正(おろちのあらまさ)と言ふ。素戔嗚尊、八岐大蛇を斬らせ給ふ時の御剣なり。布都御魂剣も蛇神を封じける御剣なれば、征蛇の事を以て祀りけるか。」

黄門「げにげに。明治七年に大宮司菅何某【政友】とかやが禁足地に入りて布都御魂剣を堀り出すと云々。今は本殿に奉安せられけりと。以ての外の狼藉と見え候。菅何某は水戸の足軽にて、累代の神官にはあらざりき。」

関白「その類の事は熱田の宮にても、大宮司角田何某【忠行】とかやは信濃岩村田の足軽なるが、古式の尾張造を改めて神明造にす。これは文久三年、等持院が足利三代の木像を梟首しける凶賊なり。末代に至りて、今は凡下夷狄ども憚らずして霊域に闖入す。汚穢の事思へば余りあり。諸社の霊験も消えぬるか。」

黄門「天理教には、布留のわたりをおぢばと言ひて、宇内の根源となす。明治八年に選定すと。これ、布都御魂剣の、禁足地より取り去られける翌年なり。石上の宮に別して堂宇を建てぬ。甘露台と申す。甚だ以て不審なり。抑々布都御魂剣は地中にて龍神を抑へけるか。これを抜きたるに如何。封印を解くにや。甘露台はこれを抑へぬるか、或は助長しぬるか。」

関白「実否はおぼつかなけれども、天理教祭神天理王命は嘗て天龍王命と呼ばれけりと。龍神を祀るにや。されば龍気を助長するにやあらん。」

黄門「悪童民部卿の、おぢばがへりとて甘露台に参り給ふは如何に。」

関白「悪童民部卿は吉備津彦命の化生(けしょう)にやと思ひけるが、吉備津社、吉備津彦社の鎮座ある吉備の中山に竜王山あり。最高峰たり。この山上に吉備津彦社の元宮磐座及び龍神社とてあり。此は吉備津彦命、龍神たるの証なるか。」

黄門「悪左府、後白河院の御執心浅からざりし新大納言成親卿は、この吉備中山にて菱に身を貫かれて薨去せられき。塋域当山にあり。上達部のかかる御目に遭ひ給ふこと、古今にその例を知らず。上古、剣、鉄塔の龍を刺しけるを思ふ。成親卿は、龍神の化身なりしかと思ふ。」

関白「先年、吉備津社に参詣す。その折、成親卿が墓にも参る。山鳩一羽あり。すさまじき有様なりき。恋歌なれども彼の卿の歌は一首千載集に採られけり。枯れはつる小笹がふしを思ふにも少なかりける夜々の数かな。」

黄門「平家物語に曰く、安徳天皇は八岐大蛇の御化生(けしょう)にてましまし、草薙剣を召し返させ給ひて、わだつみのいろこの宮に入らせ給ふと。」

関白「それは甚だおぼつかなき物語に侍れども、綏靖天皇の御母は三輪大明神の御女なれば、竹の園生はみな、蛇神の御末にてまします。藤氏も何も、降嫁の事度々あれば、咸蛇神の裔に他ならず。」

黄門「名誉なることどもなり。末世の凡夫には力及ばぬ不可思議に候。」



四 交野

 別当と執事と、余暇に儚き物語などあり。

別当「河内交野、桜狩りには花の雪散り、小鷹狩りには霰降る。かの交野の少将の事なども思ひ出でらる。」

執事「交野の少将は鷹狩の折、郡司の女と通じけるとよ。左近中将公衡卿の、狩り暮らしかた野の真柴折りしきて淀の河瀬の月を見るかな。新古今集冬。」

別当「公衡卿は、後徳大寺左府【徳大寺実定】の御弟なるか。永和二年百首歌に、後円融院御製、みかりせし野守の鏡昔をばうつさぬ世にも猶やすむらん。崇光院御製、御狩せし狩場の跡も今は世にあはれかた野の雪のふる道。新続古今集冬。感涙抑へ難し。」

執事「歌枕はいづこも殊に奥ゆかしくて侍る。天野川のわたりには、為家卿の、天の川遠き渡りになりにけりかた野のみ野の五月雨のころ、の歌碑あり。天の川原に我来にければ、たなばたつめは何処かと思ふ。」

別当「織姫は、北の倉治は機物(はたもの)社にますとかや。天野川を遡れば、磐船社あり。祭神は饒速日命たり。岩窟に龍神の祠あるなるが、岩屋は竜の住処といへるなれば、祭神とは無縁たる歟。」

執事「饒速日命の天磐船にて天下り給ふは、河内河上の哮ヶ峯(たけるがみね)と言ふが、西の星田にありといふ。」

別当「星田には妙見宮あり。北辰を祀る也。このわたりは星に所縁の地にて、本朝に於ては星は抑々天津甕星とて悪神たるか。天津甕星の本地は妙見菩薩にて、将門の祭神たり。天野川も侍り。」

執事「天の河原の歌は、在伍中将【在原業平】の読み置きけるが、かの渚院も交野にあり。今は北の枚方市とて、天野川の下りて淀川に入るあたり也。所縁に名付けたるとて、御殿山駅あり。」

別当「貫之の、土佐守の任果てて上る道にて、渚院の梅花を見て、君恋ひて世をふる宿の梅の花昔の香にぞなほ匂ひける、と詠みけるもあはれなり。」

執事「人はいさの歌に似たるが、彼の歌の花は桜なるか。」

別当「これは今の交野市、倉治に侍れども、源氏の滝あり。源氏姫の物語は、民譚なれどもいとあはれなり。一時倉治の桃の色などと言ひけるも、このごろは聞かず。」



五 湯島一

執事「殷の湯王の湯の字は、如何にして名づけ奉りけるならん。嘉字なるか。」

別当「おぼつかなし。湯島の語源も詳らかならず。さて湯島天満宮は、雄略天皇の御宇に天手力雄神を祀りけるとか。北野天神を祀れるは文和四年、後光厳院の御宇也。」

執事「天手力雄神は立山、戸隠。また壱岐一宮の神たるか。本地は不動明王。北野天神は大威徳明王。」

別当「戸隠には、奥宮にこの神を祀れるが、九頭龍大神が地主神たりと。今も祀れり。」

執事「天手力雄神は、今は湯島天満宮摂社戸隠社とて祀れるが、祠の上に龍の彫物あり。これ九頭龍大神ならん。」

別当「安政の比はこのわたり、黒羽藩下屋敷ありて、大関増昭といふ人の、ここにて没することあり。」

執事「大関氏は小栗判官の末裔なれども、血筋は大田原氏、これは出自不詳と云々。」

別当「黒羽は今は大田原市にあはせられたるが、黒羽刑務所とてあり。田代何某の入りたるとか。また雲巌寺あり。」

執事「雲巌寺は、仏国禅師【高峰顕日】の開山。後嵯峨院第二皇子にまします。」

別当「仏国禅師の御歌に、我だにもせばしと思ふ草の庵になかばさし入る峰の白雲。風雅集雑中。これは白氏の、雪霽れて山を望めばことごとく楼に入る、の心なるべし。」

執事「風雅集雑下に、藤谷黄門【冷泉為相】の歌とて、「正和五年九月、仏国禅師鎌倉より下野那須にくだり侍りける時、春は必ずくだりて彼の山の花をも見るべきよしなど契りけるに、その年の十月に入滅し侍りにければ、仏応禅師がもとへつかはしける、咲く花の春を契りしはかなさよ風のこの葉のとどまらぬ世に」とあり。」

別当「新続古今集釈教には、「見解(けんげ)のありける僧にしめし侍ける、折りえても心ゆるすな山桜さそふ嵐のありもこそすれ」。偽涅槃を示し給ひけるならん。」

執事「黒羽の南、那珂川を下りて湯津上(ゆづかみ)てふ所に、那須国造碑とてあり。笠石神社にはこの碑を神体とて祀ると云々。」

別当「これは延宝四年の事にて、近古たり。水戸黄門【徳川光圀】の創建と聞く。」

執事「水戸黄門の室は近衛信尋公女泰姫。」

別当「信尋公は皇胤たり。水戸黄門は若き頃悪童にて、十三にて辻斬りをしけるとかや。」

執事「辻斬りと申せば白井権八、鳥取藩の足軽たり。これも延宝なれば、水戸黄門には同じき世にて。」

別当「目黒にかむろ坂とてあり。これは権八小紫の、言ふ甲斐なき俚伝に侍れども、権八斬られ、傾城自刃して、かむろの傾城を尋ねつるが、死にけると聞きて、帰り道に茲にて暴漢に襲われ入水すと云々。不思議なる物語かな。その池は今はなし。」

執事「かむろ坂の脇に目黒不動あり。瀧泉寺といふ。江戸の三富とて、当寺、谷中感応寺、湯島天満宮。」

別当「下官どもも富籤を贖ひて殿下の御用に立て奉らばやと思ふが、持統天皇の御宇、雙六禁断之令あり。闘鶏なども侍れども、博奕は儚きことなり。」



六 湯島二

執事「平田何某【篤胤】の気吹舎(いぶきのや)なるは、湯島天神男坂下にありと云々。この頃、不忍五条天神より天狗に具せられて常陸国に飛行しける童子や、転生より前の事を憶えたる童子にあへりと。」

別当「輪廻の歌、玉葉集にあり。「輪廻生死の心をよみ侍ける、中原師季朝臣、いさ知らずこの世を憂しといとひてもまた何の身にならんとすらん」。輪廻転生は僻事なれども、ゆかしく侍る。」

執事「転生の童子は勝五郎と申す凡下の子なりしが、平田何某はこれの事を記して天覧に供し奉る。光格院、新清和院【欣子内親王】、之をご覧なると。」

別当「光格院はある家の犬の狆の忠節を嘉して六位に叙階せさせ給ふ。いと優しき御ためしにこそ。」

執事「水戸黄門の室、近衛殿の女泰姫が御歌に、「年比やしなひし犬の身まかりければ、ころころとよべどかへらず引く綱は死出の山路や引きまさるらん」とあり。」

別当「輪廻より畜生を救ひ給ふは馬頭観音。」

執事「馬頭といへば、これも那須郡に馬頭町とてありき。近時那珂川町となりたり。那須国造碑、笠石社より更に那珂川を南下せば左岸に馬頭の地あり。今は出湯もありとかや。馬頭院が町の名の由来と云々。」

別当「馬頭院は開山は醍醐寺の光宝法印大和尚。建保五年のことなり。もとは地蔵院と言ひたりしが、水戸黄門の時に馬頭観音を本尊となし、名をも改めたりけりと。今は真言宗豊山派也。」

執事「光宝法印は堀河中納言葉室光雅卿の男也。堀河中納言は普賢寺殿【近衛基通公】の執事たり。されば当家に所縁あり。」

別当「光宝法印のはらからに権中納言光親卿。この仁も猪熊殿【近衛家実公】の家司たり。承久の乱に甲斐加古坂(籠坂)にて東夷に斬られ給ふ。この坂は甲駿堺にて、墓所は今は静岡県駿東郡小山町なる処にあり。」

執事「籠坂峠を北に出づれば山中湖たり。殿下幼少の比、当地に遊覧し給ふ。山中湖より南に行くは箱根裏街道とて、御殿場を経て箱根に至る道也。裏街道を坤に折れて、今は御殿場市の中畑てふところに馬頭塚あり。本朝には処々にこの塚あり。馬の斃死せる処に建てたるなるべし。」

別当「若狭国大飯郡高浜町てふところに、馬居寺(まごじ)あり。本尊馬頭観音たり。聖徳太子の御開基とて、御愛馬なる甲斐の黒駒の所伝あり。」

執事「甲斐の黒駒の事は、日本紀にもその名見えて候。雄略天皇の御宇也。」

別当「甲斐の黒駒は今は絶えんたり。ただその後裔は、南部馬とて陸奥糠部にあり。光親卿を斬り奉りける武士の名は武田信光。治承寿永の武田信義の孫たり。他の孫に南部光行あり。これ南部氏祖也。奥州合戦にて鎌倉殿より糠部五郡を得て渡りけりと。この時甲斐の黒駒も陸奥へ渡りたるか。おぼつかなし。」

執事「馬居寺は高浜町の東端なるが、西の青葉山の東南麓に中山寺あり。これも本尊馬頭観音。聖武天皇御勅願、白山の泰澄大師開山たり。西南麓には松尾(まつのお)寺あり。これも本尊同じく侍る。この寺は丹後也。」

別当「青葉山は名高き歌枕にて。新古今集賀に、元暦元年大嘗会悠紀歌、青羽山、式部大輔光範、立ちよれば涼しかりけり水鳥の青葉の山の松の夕風。新拾遺集夏、従二位為子、夏浅き青葉の山の朝ぼらけ花にかほりし春ぞ忘ぬ、これなどは殊に歌のさま優にして感涙抑へ難し。」

執事「松尾寺には元永十二年、鳥羽院御幸あり。美福門院【藤原得子】も御共に御参詣あり。」

別当「鳥羽院と伺へば、玉藻前(たまものまえ)の成りたる殺生石は、那須湯本にあり。」

執事「源翁禅師【源翁心昭】の金槌にてこの石を割りたれば、金槌の一種を玄翁(げんのう)と言ふとかや。殺生石の破片は諸方へ飛び散りたるが、上野国にはオサキといふ狐となりて蘇ると云々。」

執事「オサキ持ちの家ありて、累代離れずと云々。上野国、武蔵秩父等に知られたり。文政の比に、オサキ持ちの家系の女、池袋にありて、武家に奉公したるが、その家にてはポルターガイストの如き事頻りに起こりけりと云々。」

別当「玉藻前は抑々九尾の狐にて、殷の妲己、天竺の華陽夫人、周の褒姒たり。吉備大臣【真備】と共に渡海して後に鳥羽院の後宮に入るも、変化破れ那須にて成敗せられて石と化す。至徳二年に源翁禅師之を砕く。その破片は民間に入りてなほも害を為すか。如何なる因縁のあるにや。」

執事「願はくは馬頭観音の御功徳を以て、かかる悪狐には輪廻生死の境を脱さしめ給はん事を。但し、往昔は狐憑きなどいくらもありけるが、当今はかくの如き話さらに聞かず。既に御功徳によりて妖力の消えにけるか。物寂しく思ふ。」

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