ゆびきり

 寂れたホテルの一室。

 ベッドに押し倒した女がくすりと笑う。

「焦ってる?」

 お互い名前すら知らない、会ったばかりの相手。

「限界なんだよ」

 これは何人目だったか。


『浮気したら針千本だからね』


 冗談めかしたあの約束。

 脳に染みついたあの声。

 無邪気に笑う懐かしい顔。

 全部無理矢理蓋をして、目を閉じる。


 順調なのは、いつもここまで。


 唇が触れる寸前。

 小さく悲鳴を上げて、女は逃げ帰った。


――また、失敗。


 ひとり残された部屋で、無意識に何かを探す。


『もう関わりたくない』

 過去の相手曰く、俺の肩越しに青白い女を見たと。

 さらに曰く、その手には縫い針が一本。


 乾いた笑いが漏れた。


「……足んねぇぞ。飲ませに来たんじゃねぇのかよ」


 ベッドの端に刺さった針を抜き取る。

 何だよこれ。脅しのつもりか。


 違う。

 探したのは、見つけたかったのは、こんなものじゃなくて。

 針の片側には赤い糸が絡まっている。どれだけ残酷なんだか。


――あぁ、本当に、限界。


 いっそ飲ませてくれたなら。

 せめて一目会えたなら。


「なぁ、奥さん。いい加減連れてってくんない?」


 虚空に投げた言葉には、静けさだけが返される。

 亡き嫁は願いを聞き入れることなく、俺は浮気未遂を繰り返し続けていた。

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