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桂瀬衣緒
それが飾りだったとしても
それはまるで、何かのパフォーマンスのようだった。
彼女は、無表情のままそれを飾り立てていく。
私はただ、息を潜めて、その光景を見守っていた。
*
祖母はきれいな人だった。
芍薬や牡丹や百合の花よりは桔梗と言ったほうが似合うだろうか。可憐でいて、落ち着いた気品のある人。
「若い頃は言い寄る男が多かったんだ。おじいちゃんは振り向いてもらえるように頑張ったんだよ」
困り顔の祖母をよそに、幼い私へいたずらっぽく話した祖父の笑顔をよく覚えている。
それなのに。
それは、祖父が亡くなった翌年からだった。
命日から数日経ったその日、祖母は着飾って出かけ、小さな薔薇の花束を手に帰ってくる。
「あら、お母さん。それ、誰からもらったの?」
そんな家族の言葉に、祖母は微かに照れ笑うだけ。
滅多に笑わない祖母の、どことなく艶を帯びたその微笑みに、みんなは何かを察して口を閉ざした。
きっといい人ができたんだろう。
数年経った頃には仏壇の祖父になど興味はないというように、命日に経をあげることもなくなっていた。
「お母さんも寂しいのよ」
「複雑だけど、ぼけるよりはいいかな」
「旦那亡くしてから……って話はよく聞くしね」
父や叔父叔母は、戸惑いながらも見守ることにしたようだった。
許せなかったのは、思春期真っ只中の私だけ。
あんなに愛されていたのに。
死んだらはい次とでもいうみたいに、たった一年で他の人に気を移すなんてあんまりだ。
そんなの、おじいちゃんが可愛そうじゃないか。
だから、その日私は、祖母の後をこっそり追いかけたのだ。
祖母の時間はとてものんびりとしたものだった。
馴染みの喫茶店で持参した本を読みながら一時間かけて紅茶を飲み、その次の一時間はゆっくりとウィンドウショッピングを楽しみ、さらに街の展望台の景色を一時間ぼんやり眺める。
そして一度時計を確認し、小さな花屋へ入った。
それまではずっとひとりだったから。
店に入るとき一瞬緊張したような表情を見せたから。
だから私は、きっと祖母の相手はここにいるのだと思った。
店の窓を覗くと、大きな薔薇の花束を抱えて微笑む祖母が見えた。
ここからでは相手の顔は見えない。お金を渡した様子はなかったのに、カモフラージュのつもりなのか、「ありがとうございましたー」と間延びした声が聞こえ、チリンとドアベルが鳴った。
花束に顔を寄せながら店を出た祖母は、私の知る祖母とは違う顔をしていた。
たった数分の逢瀬で、こんなにも彼女の表情を変えてしまうのか。
タクシーを捕まえる祖母。その後を追うかどうか、一瞬悩む。
結局私は、相手の顔を確認するほうを選んだ。
*
タクシーを降りた時、空はもうオレンジ色に染まり始めていた。
花屋の店主が言ったとおり、少し離れたその場所に祖母の姿を見つける。
気づかれないようにそっと近づいて、――息をのんだ。
それはまるで、何かのパフォーマンスのようだった。
周りに誰もいない静かな空間には、祖母が砂利を踏む音だけがかすかに響く。
淡々と表情もなく、それでいて舞うように軽やかに、解いた花束から一本一本薔薇を抜く。
祖母が飾り立てているのは、祖父の墓だった。
*
「あれ? もしかして山崎さんのお孫さん?」
花屋の入り口をくぐると、鉢植えの手入れをしていた男が驚いた顔をした。
三十代後半といったところだろうか。他には誰もいない。だから間違いなく先ほどの相手はこの人なのだけれど。
直感した。この人は祖母の、そういう相手じゃない。
「おばあさんはさっき来られたけど、入れ違い? 忘れ物とかはなかったと思うけど」
「あぁ、いや、あの」
だとしたら、祖母は自分で花束を買っていったことになる。
何のために? 私たち家族に、見栄を張るために?
「え、っと……」
つい数秒前まで、この人が祖母の相手だと、文句のひとつも言ってやりたいと思っていたのに。
言葉は行き場をなくしてかき消える。
「あのっ、おばあちゃんが持ってた花束は……?」
やっとの思いで口にした質問。
花屋は数秒間かけて何かを理解したようだった。少しだけためらって、山崎さんに怒られるかな、と苦笑する。
「あれはね、――旦那さんからの贈り物」
薔薇の花束は、祖父から贈られたものだった。
祖母の誕生日祝い。忘れるといけないからと、なんと十年分も先払いで予約してあったらしい。
「え、でも、おばあちゃんの誕生日は、」
「そう。もっと先だよね」
祖父が死んだ年、花束が用意できたと連絡をくれた花屋に亡くなったことを告げた祖母は、その場で翌年からの予約の日付を変更したそうだ。祖父の命日から数日がたった、今日この日に。
*
祖母が私に気づいたのは、花立てが薔薇でいっぱいになった頃だった。
「何? 探偵のまねごと?」
そう言って、くすりと笑う。今日は珍しい顔がたくさん見られる日だ。
聞きたいことはたくさんあった。でも、今は聞いてはいけない気がした。
邪魔をしてはいけない。
墓石の前にしゃがんだ祖母の隣に、そっと並んで手を合わせる。
沈黙は一応私の遠慮だったのだけど、祖母にとっては無言の抗議に思えたのかもしれない。
「だって、嫌じゃない」
ぽつりと、ふてくされたような言い方だった。
「命日命日って、なんでこの人が死んだ日を基準にしないといけないの」
秘密をのぞいた孫へ、言い訳みたいにそう言って、祖母は静かに目を閉じる。
「その日は、私がおいていかれた日なのに」
――あぁ、そうか。
昔聞いた祖父の話は嘘だったのだと、その時初めて思った。
あれは、冗談好きの祖父が、不器用な祖母をからかっていたのだ。
祖父の死後贈られた花束に、彼女は何を思ったのだろう。
それを私が推察するには、あまりにも経験が足りない。
けれどそれでも、誰もが忘れ去り祝わなくなったこの日を、思い出すにはきっと十分だったのだと思う。
「誕生日おめでとう……おじいさん」
祖母が精一杯の笑顔を浮かべる。
そぐわないほど華やかに飾り付けられた墓石の上で、祖父が笑った気がした。
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