隼とたぬっぽん
「お疲れさまでした」
「おーお疲れさん」
隼は、やちよ酒店の大将に挨拶をして店を出た。
時間は夜十時を過ぎている。今日は田貫銀座通り商店街のイベント“スタンプラリー”の最終日で、客も配達も多かった。なので、やちよ酒店の営業時間は十九時半までだが、通常より閉店後の諸々に時間がかかってしまったのだ。といったものの、普段でも隼が仕事を終えるのは九時近くなる。最近仕入れた日本酒が人気で、その配達が増えたのもあるが、営業時間が終わったあとも彼は倉庫の整理をしたり、
「?」
晩ご飯を食べに、うたの店“すみの”に向かう途中、隼の足が止まった。
(たぬっぽんだ。何してるんだ?)
街路灯で隠れるようにして立っているたぬっぽん。
(隠れてないし。どう考えても。全然)
まぁいいかと、隼はその横を通り過ぎた。
「…………」
「…………………………」
「…………………………………………」
(付いてくる………。なんだ?こいつ)
ぽんぽん。
隼の肩がたたかれた。
「え?」
隼が振り返ると、たぬっぽんは数歩うしろに進んで立ち止まり、それから手招きをして、くるりと背を向け歩いていく。
(付いてこいって言ってるのか?)
「………………」
付いてきているか確認するかのように振り返り、また手招きをして、たぬっぽんは再び歩き始めた。
(早くうたさんの所に行きたいんだけど)
(はぁ。まぁ…いいか)
仕方なく、隼はたぬっぽんのあとを付いて歩く。
(どこ行くんだ?もう商店街から出てしまうぞ?)
たぬっぽんは商店街を抜けて、バス通りを渡った先にある公園に入っていった。この公園は、うたの自宅前の児童公園とは反対の位置にあり、より商店街に近く、こちらのほうが広い。
夜の公園に、一人と一匹?がゆっくりと歩く音と虫の鳴く声。昼間とはうってかわり、いまは静かにたたずむブランコ、滑り台、ジャングルジム。遠目にもわかる薄くなった塗装。子供たちがたくさん遊んだ証だ。
「………………」
たぬっぽんが立ち止まる。そして頭を外した。
「はあー、暑かったぁ」
現れたのは、汗に
プルプルと頭を振って揺れるのは、茶色の髪。
「ごめんね、無理やり連れてきて」
そう言って見つめる茶色の瞳。
「………………」
「…………、えっと…、わかる?隼クン。ボク、ケントだよ?」
「ああ、わかってるよ」
「よかった。あはは。ボク、本当は
(茶眼って言うのか?)
「あ、いまもコンタクトは入れてるよ、透明のヤツ。ボクすごい近眼だからさ、いつもはメガネなんだけど、今日はたぬっぽんになるからね」
「そうなのか?メガネ姿、見たことなかった」
「………………」
「ごめんね」
「謝る必要ないだろ、それぐらいで」
「………………」
ケントは哀しそうに首を振り、うつむいた。公園の灯りの影になってしまい、表情がわからなくなる。
「隼クンに………ずっと…謝りたかったんだ」
そう言ったあと、ケントは黙り込んだ。ただ『リーン』という虫の音だけが聞こえる。
隼は目を閉じた。
「助けてくれたのに、ごめんって。…助けてくれて、ありがとう、って、言いたかった」
「………………」
「隼クンは…ボクのことなんか忘れて、会いたくも、なかった…かもしれないけれど………」
もう一度、ケントは「ごめん」と言った。
「……………………………………」
隼の脳裏に、ある少年の姿が浮かぶ。…ほこりに塗れてうつむいていた。
「ひょっとして…。お前…、小学生のときの、転校生だった………?」
目を開けて隼がそう言うと、ケントはうなずいて、また、よりうつむく。うつむきすぎて、たぬっぽんの着ぐるみに埋もれつつある。
(お前だったのか)
昔、小学生のとき、イギリスから転校してきた男の子。
苛められていたところを、隼が声をかけた。
しかしそのせいで、代わりに隼が標的になってしまった。
(なんとなく、こいつからの視線を感じてはいたんだよな)
当時、会話らしい会話をしたことはなく、じっくりと顔を見た覚えもない。たしか茶髪で、ほかにはメガネをかけていたな、ぐらいしか外見の記憶はない。
十年以上前のこと。
べつにケントが苛めたわけではない。ケントも被害者だ。
(あの三馬鹿トリオには、何か仕返しできたらいいなとは思うけど)
大人になってもあのままならば、なにかしら痛い目に遭っているはずだと、隼は思うことにした。
(それより)
このおかげ、と言っていいのか――――
うたと、あえた。
(何事もなく過ごしていたら、俺は、いまここにはいないかもしれないな)
「………………」
ケントは、もはや髪の毛しか見えていない。
隼は息を吸って、言う。
「ありがとう」
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