馬と狸
イベント最終日の日曜、田貫銀座通り商店街は、より賑わいを見せている。
「スタンプをおまけにもう一個、オッスオラ押っすぞ」
「あなたが欲しいのは、右のカレーパンですか?それとも左のピロシキですか?」
「アンコール!アンコール!」
「チョっとエエかナ?アンコールな、アンのコールな、アンコな、おはぎサービスでエエかナ。パーティ行かなアカンねン」
「キャーッ」
………誰。
茶髪マッシュルームカットのカツラに赤い鼻眼鏡、白のタキシードを着て、外国人風の片言関西弁を話す和菓子“小松庵”の三代目。期間中、私が通るときはいつも、太いベルトから裾にかけて広がる赤いスカートに、ポニーテールのロカビリー奥さんだった。最終日に隠し玉を出してきたのか?あとでネットで調べよう。
「こんにちはー、大将ー」
奥のレジ横の椅子に座っていた“やちよ酒店”の大将は私に気づくと、火の付いていない葉巻?をくわえながら、読んでいた競馬新聞を置いた。
「お、うたちゃん。いらっしゃい」
大将は、もみあげはボリュームたっぷりだが天辺は控えめのカツラを被り、黒いシルクのパジャマを着て、その上にガウンを羽織っている。その胸元からは、三つ編みができそうなほどの付け胸毛がのぞいていた。そして、いつの間にか手に大きなブランデーグラスを持ち、それをくる~りくる~り、回しながら膝の上のペルシャ猫(ぬいぐるみ)をなで始めた。
「店開ける時間ぐらいまでに炭酸ひとケース、配達お願いできる?」
「りょーかい」
どこぞのファミリーの“ほにゃららのテーマ”がBGMにかかりそうな大将は、くわえていた葉巻形ペンのキャップを外して伝票を書き始める。
「ああっ。あーあ、間違えた、赤ペンだった」
(うん、赤いキャップが葉巻に火が付いているように見え、なくもない、かな?)
大将が黒のボールペンで注文を書き直していると、
「たっ
イザワミートのミイラ男がおじさんの――――もとい、ミイラ男の仮装をしたイザワミートのおじさんが、競馬新聞を握りしめ、興奮しながら飛び込んできた。“貴ちゃん”とは、やちよの大将の愛称だ。
「さっ、三十六万っ、三十六万っっ。当たったよっっ。くぅぅ~、貴ちゃんに教えてもらったとおりにしてよかった~」
「だろ?やっぱな。やったな、井沢」
「ありがとう、貴ちゃんっ。へへっ。15―7―8の三連単、三十六万っ取ったあぁっ、ぃやっほうーいっっ」
やちよの大将とイザワのおじさん、それから魚信の親父さんの三人は、幼なじみで競馬仲間だ。土日はよく競馬談議に花を咲かせている。大将は予想専門の、馬券は買わない人で、血統がどうの馬場がどうの距離がどうのと、たまに競馬教室の先生になっているようだ。
「ん?ちょっと待て」
「あ、うたちゃん、いたんだ。そうだ、今日は横丁の店、制覇しちゃおうかな。はしごしちゃうよお~。横丁の食材、無くなっちゃうかもねえ~。なんちゃって。ぐふふ」
「おい」
「ミラクルハニーでぇボトルおろしちゃおっかなッ、イエスッ」
「おい」
「うたちゃんも店閉めたらおいでよ、一緒に歌お~」
おじさん、また店抜けて来たんだろうな。………また奥さんに叱られるよ、おじさん。その包帯で
「………………はぁ」
「貴ちゃんっ、貴ちゃんは、もちろん全部おごるからね」
「お前。もう一度。馬券、何買ったか、言ってみろ」
えー?、とイザワのおじさんは競馬新聞を見直した。新聞には赤で数字が書かれている。
「三連単の」
「ああ」
「15―7―8」
「もう一回。ゆっくり、はっきり、言ってみろ」
「じゅーうご、しーち、はーち」
「……………。はあ。俺が言ったのは1だ、いち。はあああ~。ったく、いつも言ってるだろ?聞き間違えしやすいからしちじゃなくてななって言うって。それに念押ししただろ、
「なな?」
大将が葉巻形ペンで競馬新聞に数字を書いて説明をしているのを、ちょっと頭を傾けて聞いているミイラ男がかわいらしく見えた。全身包帯スタイルだから見えないけれど、じつは中身、四捨五入
(ということは、当たったのは“15―7―8”ではなくて、“15―1―8”ね)
「じゃあ……………………………………………………………………ハズレ?」
「ハズレだ」
「!!!!!!!!」
“ガーーーン”という効果音が聞こえてきそう。
「あはははっ」
「はっはっ、残念だったな、井沢」
「…………笑いごとじゃないよぉ、貴ちゃん。うたちゃんも……。はぁ」
包帯のせいで、しょんぼり感がわかりづらい。一種の着ぐるみといえるかもね。
「あっ、貴ちゃんっ、貴ちゃんは、あー………、やっぱ買わなかったのか?このレース」
「俺は買わないっつってんだろ。予想して当たるか外れるか、それが楽しいんじゃねえか。金賭けちまえば、面白くもなんともねえ」
「いつもいつも……なんてもったいない~~~」
あ。
「――――そう。もったいないよねえ。この、クッソ忙しいときに、あんたを連れ戻しに行かなくちゃいけない時間が」
入口にナース(看護師長)姿のイザワのおじさんの奥さんが立っていた。
「!!!!!!!!!!!!!!!!」
カツン…、カツン…、と(いう音が響いているかのように)奥さんは一歩ずつ近づいてくる。
(この場合は、“ヒュウゥゥーー”の
「そう思うでしょう?」
「ねぇ」…ぽん、と小刻みに震えているイザワのおじさんの肩に手を置いた奥さん。
「あんた」
“カッッッ”。雷の勝ち。稲妻が走った。奥さんの笑顔が怖い。
「ごめんなさいッッッ」
包帯がチャーシューのタコ糸みたいになりながら、イザワのおじさんは、奥さんに引きずられるようにして連行されていった。
「懲りないねぇ、アイツも」
「うふふ。さてと、じゃあ大将、私も帰るわ」
「あ。うたちゃん。はい、どっちだ?」
大将は拳を作った両方の手を差し出した。
昔、おばあちゃんが生きていて一緒に住んでいた小さいころ、大将はよくそうして聞いてきた。握っているのは、飴玉だったりチョコだったりガムだったり。すっかり大きくなったいまでも、ときどきやってくれて、うれしい。
「んー、じゃあ、こっち」
「いいか?こっちで。本当に?」
「うん」
「本っ当ぉぉに?変えなくていいか?」
「うん、いいよ、ふふ」
大将が私をがっかりさせないように両方とも入れてくれているのを、私は知っている。
「ジャーン」
「え」
開いた手の平の中には何もない。………………。
ジリリリリリ。
「あー、電話だ。じゃ、うたちゃん、あとで隼に持っていってもらうよ」
「あ、うん。よろしく」
少し首を傾げながら、やちよ酒店をあとにする。
店に戻る途中、買い物客に手を振っているたぬっぽんがいた。イベント最終日だからか、元気のいい動きをしている。ヤケクソなのかもしれないが。
「ぎゃあああーん。ああーん、ぅあああーーんっ」
小さな女の子に、一生懸命必死のパッチで手を振り腰を振りーの、
すがりつく女の子を、なんとかなだめようとする母親。だんだんと動きが小さくなって、困っているようなたぬっぽん。その有様を遠巻きにして見ている買い物客。
「………………」
たぬっぽんと目が合った気がした。その不気味な微笑みが、くるりと私に向けられる、『助けて』と言うように。えぇー………。
(仕方ないわねぇ)
いま、私は
「ふぉっふぉっふぉっ。お嬢ちゃん、元気がいいのう。これをあげよう」
伝家の宝刀、鯛型ポシェットからミカンを取り出す。「またか」と言わないで。
「はい。お嬢ちゃ――――」
見ると、女の子は眉間にしわを寄せて固まっている。私を見て、「なんだ、この珍妙な生き物は」とでも言いたげな表情だ。この子にとっては“前門の虎、後門の狼”かもしれない…。
「…ふっ、ふぉ、ふぉっ、ふぉっ。よ、善き
母親にミカンを強引に握らせ、笑いながらゆっくりと立ち去る。これ幸いにと、たぬっぽんもうしろから
横丁に入る手前で、「たぬっぽん、一緒に写真撮って」と言う
(はあ。もらい事故だったわ)
来夢の前のベンチでまったり寛いでいるじーさまとたまちゃんに挨拶をして、ようやく我が店にたどり着く。
「………………。ふふっ」
鯛型ポシェットの中を見て、笑みが零れる。
大将、いつの間に入れたのかしらね。
優しくて、甘い味がする淡い桜色の飴玉ふたつ。
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