ケントと過去
午前中で学校が終わった土曜日。とぼとぼとランドセルを背負って、河川敷を歩く。
あれから、あの三人組はなんだか大人しくなり、ボクに絡んでこなくなった。かといって、いままで見て見ぬふりをしていたほかのみんなと急に仲が良くなれるわけもなく、あいもかわらずにひとりだ。
「………………」
足を止め視線を向ける、いまはもう誰もいない場所に。
謝れなかった。最後まで…………。
隼クンは引っ越してしまった。
「………………」
憧れていたんだ。
転校してきて、外国人だと苛められて、いつも、ひとりで。
いつも、友達と一緒で、楽しそうに遊んでいるキミが羨ましくて。
ボクも一緒に遊びたかった。
なのにボクは――――
「あっっ」
思わずまた走って逃げようとして、石につまずく。転んだ拍子に、きちんと閉めていなかったランドセルから教科書やらノートやらが飛び出して、そこらじゅうに広がった。おまけにメガネも一緒に飛んでいったようで、視界がぼやける。
「う…うっ、う………」
もう何もかも嫌になる。起き上がる気力がなくて、そのまま、うつ伏せのまま、泣いていた。
「君、大丈夫?」
「!!!」
女の人の声が聞こえた。
慌てて起き上がる、片手で泣いている顔を隠しながら。すると――――
「ぐぅ」
お腹が鳴ってしまった。なんで…お腹なんて減ってないのに!
「もうお昼だもんね」
女の人は、ボクが散らかした物を拾ってくれていた。
「はい」
きれいにほこりを払って渡してくれる。メガネも。それから。
「はい」
食べない?とお煎餅を一枚渡してきた。――――つい受け取ってしまう。
「おいしいわよ。どうぞ食べてみて」
「あ………。あり、がとう…」
お煎餅を手に、どうしようかと思っていると、女の人は河川敷の芝生に座り、自分も買い物袋からお煎餅を一枚取り出した。そして「ばりぼり」と豪快に音を立てて食べ始める。
「私ね、すっごい甘党なんだけど、このお煎餅だけは好きなんだよね」
ごつごつの、硬そうなしょうゆ色のお煎餅。そういえば食べたことがなかったかもしれない、お煎餅。家でのおやつは、ポテトチップスとかチョコレートとかだったから。
そーっと、少し間を空けて女の人の隣に座った。横目でちらりと女の人の顔を見る。
(ママと同じくらいの歳の人かな?)
「………………」
お煎餅を見つめて、『よし』と、思い切ってかじりつく。……………………硬。
「硬いでしょ?それがいいの」
歯が弱かったら折れちゃうかも、と言って笑った。
ぼりぼり。
(なんだか……いまのボクたち、隼クンとあの女の子みたいだ)
ずっと謝りたくて、学校帰りに隼クンのあとをこっそりとつけた。でも勇気が出なくて、いつもここでお菓子を食べているふたりを見ているだけだった。
ぼりぼり。
「ねえ。好きな子っている?」
「えっっ」
「友達になりたい子とか」
「………………」
友達になりたかった。
「………………」
「私ね、勉強ばっかりしてたの。ずっとずっと。学校が終わったらまっすぐ家に帰って、また勉強。今日習った復習、あしたの予習、応用問題、ちょっと無理して上の学年の問題集に手を出してみたり。母親には、『教科書開く暇があるなら、外で遊んでこい』って、よく言われたわ」
ぼりぼり。
「うちの母親は…お酒とタバコが大好きで、いい加減で、だらしなくて。着替えずに化粧も落とさずに寝てしまったり。酔っ払って、大声で歌いながら帰ってきたり。遠くから聞こえる歌声が、だんだん近づいてくるのが、嫌で嫌で仕方がなかった」
……………………。
「たまに歌が途切れて静かになったから焦って見に行くと、道の真ん中で、大の字になってイビキかいて寝てるの。腹が立つったら」
こっそりと横目で女の人を盗み見る。
「大人になったら、絶対、こんな大人にならないって………。早く家を出たかった」
女の人は、残りひと口ほどになったお煎餅をじっと見つめていた。
「そう思っていた私は、いま、そう……思われているかもしれないわね」
最後らへんは、何を言ったのか聞こえなかった。だから聞き直そうかとそちらに顔を向けると、女の人は明るく話し始める、まるで聞かないでというように。
「一度ね、母の真似をしたことがあるんだけど、お酒とタバコ。駄目だったわぁ、どっちも。すぐに気分が悪くなっちゃって。合う合わないがあるのよ、何事も」
あっ、君はまだどっちも駄目よ、と真剣な顔で言われた。
「好きになれなくて、でも嫌いにもなりきれない。大切に思っているはずなのに、大切にできない。そんな相手とどう接すればいいのか………。一生懸命たくさん勉強してきて、テストの点数が良くたって、声のかけ方がわからない。どう笑いかければいいのかわからない。もういまは…目を合わせることもできなくなってしまった」
バカよね。
そう言って、この女の人は「ふふふ」と笑った。
そして手に持っていたお煎餅のひとかけらを、ポイッと口に放り込んだ。
ぼりぼり。
「………………」
なんかたくさん話をしてくれたけど、ボクはあまりよくわからなかった。
わからなかったけれど、哀しそうだと思った。
「あの、これ……」
「え?ハンカチ?」
「えっと…泣いているように見えた…から」
「………………」
女の人はハンカチを受け取って、じっと見つめている。
「………………。ふふっ」
「?」
「ダジャレよね?これ」
「あっ」
パパは日本語のダジャレが好きで、いろいろとダジャレが書かれた物を買ってくる。ハンカチとかTシャツとかコーヒーカップとか。家でも何かと言ってくるし、ママとふたりでいつも愛想笑いをしている。ちょっと面倒くさい。
今日はダジャレハンカチだったのか………。
『待て待てぃ!いまから
四つ折りにしたハンカチに、ちゃんと収まるように、そう書かれていた。
「こっこれは、パパが買ってきたヤツでっ、ボクがっ、好きで持ってるんじゃないんだっ」
「ふふふっ、面白いじゃない」
女の人は、じっくりハンカチを鑑賞し終えると返してくれた。
「ありがとう。優しい子ね」
「………………………」
「お母さぁーん」
女の子が橋の上から大きく手を振っていた。
「ボク、帰るっ」
女の人と女の子に背を向けて走る。
ボクは優しくなんかないよ。
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