アウトとセーフ①

 本日は水曜日、週に一度の田貫銀座通り商店街のお休みの日である。

 天気予報のとおり、雲ひとつない快晴。朝の八時で、すでに気温二十七度。あつー…。


 今日は、総合運動公園でケントくんの歓迎会を兼ねた野球大会が催される。

 商店街の野球好きでチームを作っていて、よそのチームとちょくちょく試合をしている、というのを聞いた野球未経験のケントくんが「いいなぁ」と、やりたそうだったとの事で決まったらしい。野球好きたちのゴリ押しかもしれないけれど、なにはともあれ、今日は試合というよりまったくのお遊び。夏休みの子供たちやお友達も連れてきてみんなで楽しみましょうという大会で、そのあとはバーベキューという流れだ。




「ケントくん、グラブはどっち?右?左?」

「あっ、それ手にはめるんですよね。左です」

「はいよ」


 そんなケントくんと来夢のマスターの横で私もしゃがんで、いろいろと入っているケースを物色する。

 野球をまったく知らない私は、グラブ(ていうのかコレ)に右と左があるなんて初耳だ。へぇ。

“スリーアウトチェンジ”っていう言葉は聞いたことがある。三つアウトでチェンジだよね?そのまんまだけど。


 余っている“グラブ”とやらをひとつ、手に取る。


(これは右手用ね。ということは、私はこれかしら)


 思い切りぶかぶかのグラブをはめた右手をグーパーと動かしてみるが、大きすぎてグーになってくれずに、ほぼパーのままだ。こんなのでボールをつかめるのかな?


(万が一、つかめたとしても、ボールを投げたら一緒にグラブも飛んでいくと思うんだけど)


 周りに人がいないのを確認する。それから試しに、なんとかグラブでつかんだ、というより挟んだボールを投げてみた。えーい。


 約一メートル先で横たわるグラブ。あらボールは?


(グラブの中に入ったまま…。ボールを投げたというより、グラブを投げたが正解ね)


 どうすればグラブを投げずにボールだけを投げられるかと頭を悩ませていると、隼くんが遠慮がちに声をかけてきた。


「…うたさん、右利きですよね?」

「そうよ」

「じゃあ、うたさんはこっちです」

「?これ左手よね?私右利きよ?」

「ええ。あの…だから…」


「ケントくん、ナイスコントロールー。はははっ」

「あははっ、すみません。僕左利きだから、右で投げるの駄目ですね」

「え」


「「………………」」


 うしろでキャッチボールをしていたケントくんとマスター。隼くんとマスターは同じく一瞬固まった。


 左利きで左手にグラブをはめたケントくん。右利きで右手にグラブをはめた私。


 ……だって使うほうの手にはめると思うじゃない?思わない?






 子供と女性が打席に立つと、ピッチャーはゆっくりとふわっと打ちやすい球を投げる。三回空振りしたら本当はアウトだけど今日は関係なし、打てるまで投げてあげていた。落としたり追いつかなかったりよそ見をしたりして、塁は子供たちで埋まっていた。


「次は茉衣子ちゃんだね」

「はい、行ってきます」


 幼稚園が夏休みで、いつもは取りづらい有給休暇が取れた茉衣子ちゃん。さっきまで楽しそうにみんなとおしゃべりしていたけど、バットを持って構えた瞬間、背筋が伸びて、すっと、まとっている空気が変わった気がした。カッコいいなあ。


「茉衣子さぁん、満塁ホームランお願いしまあす」


 フリフリの日傘を差したりりかちゃんが言うと、周りの見学している奥様方も声援を送る。打席に入った茉衣子ちゃんは、ピッチャーの魚信の親父さんに言った。


「あの、普通に、遠慮せずに投げてください」




 カッキーン。


 一球目、文字に起こしやすそうな擬音とともに、茉衣子ちゃんが打ったボールは空高く、遠く外野スタンドに吸い込まれていった。


「さっすがあ、茉衣子さん。バッティングセンターで百五十キロ軽く打ちますもんね」

「そうそう、このあいだ久しぶりにふたりで行ったの、バッティングセンター。そしたらね、茉衣子、二百キロも打ってた」

「カッコいい~」


 りりかちゃんと良江ちゃんが話しているうしろで祐介くんは、あさっての方向を見ていて、少しご機嫌斜めのようだ。


「………………長い棒を扱うのがうまいだけですよ」


 長い棒?あぁ、剣道か。茉衣子ちゃんは有段者だ。竹刀とバット、どちらも“打つ”というところがって事かしら。


「次ー。祐介先生だよー」


 みんなとハイタッチをしながらこちらに戻ってくる茉衣子ちゃんを背に、祐介くんはバットを取りに向かう。「キャーッ」という黄色い声援が飛んでいる。


「茉衣子さんは置いといて、みんな知らないんですかねえ?祐介先生のめんどくささ。たしかに顔は、ものすごぉく良いんだけどお」


 私と良江ちゃんは思わず苦笑いをしてしまう。ホント、そう。


「『ボクだけの茉衣子なのにぃー。キィーッ』てヤツでしょ?そのくせ本人には意地悪しちゃうっていう、なんともガキんちょな――――!」


 グラブが飛んできた。りりかちゃんの日傘の上で、ぽよんと跳ねてうしろに落ちる。


「すみません、手が滑りました」


 どこまで滑っとんねん、というツッコミはやめておこう。

 真夏なのにブリザードが吹き荒れる。

 しかしりりかちゃんは日傘の下で、“にこり”。さながら感情が読めない貴婦人の微笑みのようだ。


「茉衣子さぁん。茉衣子さんって左利きでしょ?ケントくんも左利きで、いろいろコツを教えてほしいんですってえ。フォームだとか持ち方だとか…手取り足取りで。ほらぁ、ケントくん未経験だから。同じ左利き同士、ふたりっきりで。ねえ?」


 戻ってきた茉衣子ちゃんの腕に抱きつくようにして、りりかちゃんは祐介くんを横目で見ながら言った。


 悪魔のささやき。――――そのときの祐介くんの絶望した顔を、私と良江ちゃんは見た。


「ほんの、ほんのほんの少しだけ、私祐介くんがかわいそうに思ったわ」

「私もです」




 高く打ち上げられたボールはピッチャーフライ。祐介くん、アウト。







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