そばかすと笑顔
「うたさん。うたさん」
誰かが優しく呼んでいる。
「うたさん。暗くなってきました、うたさん」
「んーー……。………………。……はっ」
一瞬、いまここがどこか、わからなくなった。辺りは夕焼け色に染まっている。
「………隼くん?」
「はい」
すぐそばに、隼くんがいた。
笑っている。
「わっ、ごめん。めっちゃもたれて寝てたよね、私」
「平気です。よく眠れましたか?」
「寝すぎたわー…」
大きく伸びをすると、背骨辺りからゴキッと音がした。
隼くんと駅に向かって川沿いをのんびりと歩く。
家路に就く人や犬の散歩をする人、マラソンをする人たちとすれ違いながら、たわいない話をする。
「目薬って、うまく差すやり方あるのかしら。いっつも目の周り、びっちゃびちゃになるのよ」
「あはは。じゃあ、“げんこつ点眼”ていう方法はどうですか」
「何それ」
「目薬を持ってない方の手をげんこつ、グーの手にして――――」
夕陽を背にしているから、目の前に大小ふたつの長い影。
「隼くん。お腹空かない?」
駅のホームにある立ち食いソバ屋。いい香りがしてて、ずっと昔から入ってみたかった。でも作法というか決まり事というか、何かありそうだけどわからないから、一歩踏み出せなかった。
券売機の前で、いろいろ隼くんに教わりながら購入。
「ほい、お嬢ちゃん、ちくわ天サービスだよ。ほい、兄ちゃんも」
「ありがとう」
「ありがとうございます」
「お嬢ちゃん、踏み台使うかい?食いにくいだろ?ほれ兄ちゃん、そこの、そうそれ。妹の足元に置いてやんな」
……………………。
「な、食いやすくなったろ?」
「ええ、ありがとう」
少し切ない…。ダブルで…。
横で隼くんの肩が揺れている。
「おいしいね。パパ」
「!」
電車の中は混んではいないが座席は埋まっていて、ちらほら立っている人がいる。
「扉が閉まります」とのアナウンス後、発車した。
扉付近に立ち、流れていく灯りを眺めていると、すぐに隣の駅に着いた。乗客のほとんどが降りていく。
「うたさん、座りますか?」
「………………」
「うたさん?」
「この電車、終点どこだっけ?」
「え?」
(扉の向こうで、何がひらひらしてるんだろうと思ってたのよ…)
持っていたカバンのひもが、扉に挟まっていた。隼くんに気づかれないようにこっそり引っ張ってみたが、先に金具が付いているため、引っ掛かって抜けない。扉が開かないと無理そうだ。
(さっき開いたのは反対側で、こちら側が開くのはどの駅か――――)
(最悪終点まで行っても、あっちばっかりだったりして)
何か切れるもの、もしくは、『お客様の中にお医者様はー』じゃなくて、このひもを引き千切れるほどの腕力の持ち主はいないかしら。
「………………」
「?」
うーん。重いビールケースや酒樽を軽々と持ち上げる隼くんはきっと力持ちだと思うんだけど、私のカバンを壊してしまうことになるから気を遣うだろうなあ。下手したら、弁償しますって言い出しそう。いやいやいや。
ああいっそ、中身をそのまま手で持っていくか。ええと、入ってるのは、財布、スマホ、キーケース、ハンカチ、ティッシュ、ぐらい…あ、チョコレートもあった。お煎餅も少し。まあよし、いけるな。
「………………」
扉に挟まって、宙に浮いた謎のカバン。不法投棄になるか……?あとで忘れ物センターに取りに行くから、許してくれないかな。
「うたさん?」
無事このあと、三つ先の駅でこちら側の扉が開いた。
公園で誰かが花火をしている。パチパチ、ヒューッという音を聞きながら我が家に着いた。
「ありがとう、隼くん。送ってくれて」
「いえいえ。これからも毎日送りますよ」
「それは大丈夫だってば」
やれやれ、といった風の隼くん。なんだか私のほうが、わがままを言っているように感じるじゃないか。
「そういえばずっと考えていたんですよ、なんで“うたさん”だと気づいたのか」
河川敷で会ったのは、三、四回くらいだ。隼くんはすっかり大人になったし、私は、私の場合は、ビフォーアフターって感じだけど、お互い変わったのに。
「で、結局のところ、わかりませんでした」
私の変わってないところといえば、癖毛とそばかすだ。隼くんと初めて(だと思っていたのは私だけだが)会ったときにはもうお団子頭だったから、そばかすだけになるか。
「で、本当の結局のところ、わかるものはわかるんだな、と」
「そうなの?」
「はい。もうそれしか言えないので」
そう言って、隼くんは笑う。
「あ、そうだ、隼くん。今日そのままずっと一緒だったけど、用事大丈夫だったの?いまさらなんだけど。実家はもうあそこじゃないのに来たってことは、何かあったんじゃないの?」
「はい。もう済みました」
まだ隼くんは、笑っている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます