ヒラリーとユウティス④~前世

 倒れているワゴン、散らかった食器やパン、スープで汚れた床、そしてこの使用人たち。それらを見た家政婦長は理解した。


「またあなたたちですか。…それに、このたびは殿下もいらっしゃるなんて。いったい、いかがなさったのですか?」

「僕はご飯を食べに来たんだよ」


 家政婦長は、小さく息を吐いた。


「殿下。いまは冬でございます。雪が積もっております。ガゼボではなく、離宮でお召し上がりくださいませ」


 ユウティスの住む小屋に毛が生えたような館を形式上は離宮となっており、そう呼ばれてはいるが、ほとんどが揶揄からかう意味を持つ。


「スープが冷めるよ」

「……そうですか」


 それ以上家政婦長は何も言わず、三人の少女に仕事を言いつけると、彼女らは去っていった。


「料理長に、もう一度殿下の朝食を作るよう頼みます。あなたはここを片付けたあと、取りに行きなさい」

「はい…」


 ヒラリーはうつむいたとき、自分のエプロンのポケットが汚れているのに気づいた。ポケットの中にはコックからもらった包みがある。中身は焼いた肉の切れ端が数枚入っていて、その肉汁が付いたようだ。ほのかに香ばしい匂いがする。


(ばれちゃう!)


 思わずヒラリーは、ポケットを押さえた。しかし、すでに家政婦長が見ていた。


「………………。手を退かせなさい」

「………。……………はい」

「そこには、何が入っているのですか?」

「これ、は…………その……」

「出しなさい」

「……はい」


 ポケットから包みを出して、頭を下げ、ヒラリーが震える両手で差し出す。


「これは何ですか?」

「………………」


 家政婦長はヒラリーの手の平の上に置いたまま、包みを開いた。


「…どうしたのですか?これは」

「………こ、これは…………これ………は………」


 顔を上げることができず、ヒラリーは唇をかむ。言えばコックに迷惑がかかる。せっかくの優しい気持ちを台無しにしてしまうのかと、ヒラリーは悲しくなった。


(殿下もおいしいと言って、喜んでくださったのに)


 いつもいつも質素すぎる食事で、肉なんて、かけらしか入ってやしない。使用人食堂で食べるヒラリーのほうが断然豪華だ。

 いく度、自分の食事を少しでも持っていけないかと思ったことか。しかし、食堂には常に人がいて、どうしても…できなかった。




 ユウティスの笑顔が浮かぶ。




 大きく息を吸って、ヒラリーは勇気を振り絞る。


「これは……………私…が、盗り――――!」


 急に背後から伸びた手は、ヒラリーの手の中の肉をつかんでいった。そして、彼の口の中へ。


「ほひひいへ、ひはひー」




 おいしいね、ヒラリー。




 口いっぱい、肉を頬張ったユウティスが笑っている。口の周りは肉汁だらけだ。


「殿下!」


 家政婦長は思い切り眉間にしわを寄せて、にらむようにユウティスを見た。こんな感情が表に出た家政婦長を初めて見たと、ヒラリーは思った。だが一瞬ののちには、元の無表情の家政婦長に戻っていた。


「……お行儀がよろしくございません。お改めくださいませ」


 ユウティスは袖で口をぬぐった。しかしまだ汚れている。ヒラリーは慌てて、取り出した清潔な手ぬぐいでユウティスの口元を拭いた。


「ヒラリー。今後は決められた食事以外、殿下に召し上がっていただかないよう気をつけなさい」

「はい………」

「では、あとで厨房へ行くように。頼みましたよ」

「わかりました…」


 規則正しい家政婦長の足音が遠ざかっていくと、ヒラリーは割れた皿や転がっている銀色のスプーンなどを拾い始めた。


「殿下、申し訳ございません、朝食はまだお時間がかかります。ですので、お手数をおかけいたしますが、一度離宮にお戻り願えないでしょうか。よろしければ、そちらのほうにお持ちいたします」

「面倒くさいから、ここで待ってる」

「でも……、ここは冷えますから」

「大丈夫。あ、そうだ。厨房の前で待ってたら、運ぶ手間がないよね」

「え」

「お皿も」


 ユウティスは、鍋のまま食べれば皿を使わずに済むと考えた。洗い物が減る。……なんだか主婦的発想である。


(厨房の前で待ち、できたら鍋から食べる。時間短縮だ。早く帰ろう)


「ヒラリー」

「はい」

「料理長に、小さい鍋で作ってくれるよう頼んでくれる?」

「?」


 このあと、ユウティスの案を聞いたヒラリーは、ユウティスを説得するのに苦労した。














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