ヒラリーとユウティス③~前世

 ある晴れた寒い朝、ヒラリーは屋根の上で雪を下ろしていた。


(もう少し。あしたかな。あさってかな)


 ちらりちらりと向くヒラリーの視線の先には、ころんと丸みを帯びた赤いつぼみをいくつか付けた木がある。ユウティスから聞いた冬に咲く赤い花を、彼女は心待ちにしていた。


(なんていう名前の花なんだろう。殿下も知らないって、おっしゃってたけど)


(花が咲いた日は、晴れたらいいな)


 ユウティスと一緒に寝転んで見るのだ。きっとすごくきれいだろう。


(殿下が寝ちゃわないように気を付けないと)


 想像して、ヒラリーに笑みが広がった。






 いつものように、ヒラリーは厨房にユウティスの食事を取りに行った。

 最近はコックのひとりが、こっそりとパンや肉を少し分けてくれる。ずっとユウティスを、あわれに思っていたらしい。


「ヒラリー、ほら」


 人の好さそうな小太りの男が、小さな包みを手に、小声で人目を気にしながら話しかけてきた。そしてそっと、包みを差し出した。ヒラリーも周りをうかがい、急いでそれをエプロンのポケットに入れた。


「ありがとうございます」

「お前も毎日大変だな。頑張れよ」


 そう言って男は軽くウィンクをして、自分の持ち場へと戻っていった。

 温かくなったポケットが冷めないうちにユウティスの下へ届けようと、ヒラリーはワゴンを押す手に力を込めた。しかし、しばらく行くと――――


「きゃっ」


 横から乱暴に体を突き飛ばされたヒラリーは、ワゴンごと大きな音を立て倒れた。

 そばには意地悪く嗤う、同じお仕着せの少女が三人。


「あらあ、ごめんなさい~。よそ見をしてしまったわ」

「大丈夫?あなた、手が汚れてしまったのではなくて?」

「そうよそうよ。あんな汚いにぶつかったんですもの」


 くすくす。


 ヒラリーはそんな三人の茶番よりも、床に無残に広がったスープやパンを見て、悲しかった。まるで囚人に出されるような粗末なものだが、それでも大切なユウティスの食事なのだ。


「ヒラリー」

「殿下!?」


 窓から、ユウティスが顔を出していた。

 正確にはユウティスの顔の上半分だ。青い瞳が、こちらを見ている。


 よいしょ、とユウティスは必死で窓をよじ登り、こちら側に来ようとしていた。しかし八歳のユウティスにとって、この窓は少し高い。


「ヒラリー、ヒラリー、ちょっと、ちょっと」


 ヒラリーに手助けを求めるユウティス。そう言われても、ヒラリーの体格も彼とたいして変わらない。ヒラリーは、精いっぱい背伸びをしてユウティスの手をつかみ、持ち上げようとするが、むろんそんな力はないので何度も失敗した。


「見て。ふたりして、なんてみっともないんでしょう」


 三人は、変わらず嗤っている。


 そして渾身の力を込め、ヒラリーは顔を真っ赤にして思い切り引っ張った。同時にユウティスが向こう側で壁を蹴る。


「「わ」」


 ついにユウティスは、なんとか窓を越えて入ってくることができた。が、その勢い余って、ふたりは一緒に床を転がってしまう。それを見て、また三人は声を上げて嗤った。


「いてて。大丈夫?ヒラリー」

「は、はい。っ殿下はっ?殿下は、お怪我は?ありませんか?どこか、どこか、痛い所は?ありませんか?大丈夫ですか?大丈夫ですか?」

「ないよ。大丈夫大丈夫」


 ニヤニヤとしている三人を、ユウティスはちらりと見た。


「………………」


 そしていきなり、準備体操のように両手両足をぐるぐると回し、アキレス腱を伸ばし、深呼吸をするユウティス。それからコホン、と小さくせき払いをして、両膝を軽く曲げたあと、ユウティスは突然その場で飛び上がった、…………十センチメートルぐらい。

 飛び上がって、着地をして、そして。


「オットット。トット。トットットット」


 そう言って、ユウティスは着地に失敗したふうで三人に近づいて、そして――――押した。


 軽くだったが押されたひとりは、ついよろけた先の床がスープでぬれていたため、滑って尻餅をつく。


「きゃあっ」

「ちょっと!大丈夫?」

「何するんですか、殿下!」

「ごめん、ごめん。僕も、よそ見して失敗しちゃった」


 寝癖の付いた頭をかきながら、ユウティスは謝った。


「白々しいですわ。わざとでしょう!」

「うん。君たちと同じだよ」

「なっ」

「僕、見てたよ。君たちが、あそこでヒラリーを指差して。嗤いながら、こっそり近づいて。こうやって。ドン。って、押したのを」


 ユウティスは小さな両手の平を、三人の前に押すように向ける。


「…だったら、なんだと言うのです?陛下におっしゃいますか?さて、陛下は殿下のおっしゃることを、聞いてくださいますかしらね」

「………………」


 立ち上がった少女は、ユウティスの前まで進んで見下ろし、鼻息荒く不敬極まりない発言をした。


「聞いてくれないだろうね。でも……


 殺されないよ。


 たとえば、僕が君を殺したとする。


 でも僕は殺されない。


 裁かれない。罪に問われない。利用価値があるからね、僕は。


 でも君が」




 ユウティスは、自分の境遇を理解していた。

 自分は保険なのだと。

 后のである“弟”のためだけに生かされている。

 ならば反対も言えるのだ。

 弟のためにならない、そのときは――――。




「君が僕を殺したら、殺される。裁かれ、いや、裁かれずに殺されるかな。だって彼らにとって、君は利用価値がないから」


 ユウティスは一人ひとりをにらむことなく、ただ見つめた。


「……………………」


 じわり、と足元から染みてくるような恐怖。


 もしもそうなったとしたら、きっと…………。


 コロサレル。


「やってみる?」


 少女はガタガタと震えだした。ほかの二人も顔色が悪い。




「何事ですか」


 家政婦長の静かな声が響いた。









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