隼と赤い花

 朝、そろそろ店に行こうかと思っていると、うたさんが訪ねてきた。


「おはようございます。うたさん、どうしたんですか?」

「おはよう。隼くん、ごめん、朝の忙しい時に」

「大丈夫ですよ。時間はまだありますから」


 なんとなく……うたさん、元気ないな。


「あのね、急なんだけど、いまから一週間実家に帰らなきゃいけなくなっちゃって。だからその間、晩ご飯と朝のお弁当の用意できなくて。それで、はい、七日分の食費返すわね」


 うたさんは、封筒を渡してきた。お金が入っているのだろう。いらないと言っても、きっと……。


「わかりましたけど、受け取れませんよ、これは。だいたいが安すぎなんですから、毎月の食費。もらえません」

「安すぎじゃないわ。もちろん高すぎでもないけれど。適正価格より、ほんの少しお手頃価格にしているだけ。うちも助かってるのよ、廃棄が少なくなるから。ね。胸を張って受け取ればいいのよ、はい」


 ほら。


「…大丈夫ですか?実家で…何かあったんですか?」

「ううん。何もないわ。大したことじゃないの」

「そうですか」

「じゃあね」


 手を振って小さな背中を見送っていると、階段を降りかけていたうたさんが慌てて戻ってきた。


「忘れてた。これ、残しときたくなかった野菜とか肉とかを、まとめて煮たの。よかったら、食べて」


 うたさんは、再び手を振って帰っていった。

 煮物の入ったタッパーを手に、ワンルームの部屋へと戻って窓を開ける。向かいのLAVI LAVIの前で、りりかちゃんと話しているうたさんがいた。だがすぐに、うたさんはりりかちゃんに手を振って、自転車に乗って去っていく。


「隼くん、おっはよー」

「おはようございます」


 こちらを見上げるりりかちゃんは、俺がいま持っているのとよく似た大きなタッパーを両手で持ちながら、にっこりと笑った。いや、あれは“にやり”だな。


(俺のより、でか……。まぁ胃袋のサイズが、桁違いだからね)


 りりかちゃんに初めて会った時、なんとなく俺より年上だと思った。本人には言えないけど。うたさんよりは年下……いや、もしかしたら………………。やめとこ。

 だから「りりか」て呼んだら、「りりか」と訂正された。…………まぁ、デリケートな女心かもしれないので受け入れた。


 りりかちゃーん、と小学五、六年生ぐらいの女の子が走ってきた。


(そうか、いま夏休みか)


 窓を閉めて時計を見ると、もう仕事に行かなくてはいけない時間だ。


 タッパーの蓋を開け、煮物をひとつ、かぼちゃを摘まんで口に入れた。


(うたさんの料理は、うまいな)


 冷蔵庫に入れて、急いで部屋を出る。




 うたさんの実家か…………。


 詳しくは知らない。


 でも、うたさんにとって、あまりよくない場所だったんじゃないかと思う。




『あ。そろそろ帰ったほうがいいよ。暗くなってきた』


『ばいばい』






「おーい、隼。昼休憩ー行ってこい」

「はい。……………あの、大将」

「ん?どうした」

「お願いがあるんですけど……」

「なんだ?」

「来週休みなしでいいんで、…その代わりといってはなんですが、あした昼から帰らせていただけませんか?」




 おやすみなさい。殿下。




 ぽとりと落ちた赤い花が、

 

 足元で、まるで咲いたみたいに。


 そして、


 その上を雪が覆っていく。




 むかし――――それをずっと、見ていたんだ。


 





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