うたと赤い花

 ばりぼりと、ふたりのお煎餅を食べる音が響く。


「隼くん、こんな所まで配達?」

「違いますよ。今日は、昼から休みもらったんです」

「そうなんだ。あ、あの男の子が隼くんだったんだから、実家はこの近所よね。だからか。いまから帰るの?」

「いえ、実家は、いまはもうここにはないですよ。俺も、うたさんが引っ越してから引っ越しましたから。父が亡くなったので、母の実家に住むことになったんです」

「あ……そっか…」


 なんとも不思議な気持ちだ。


 昔。ここで、小学生の隼くんと、高校生の私が、並んで座っていた。

 そしていま、小さかった隼くんはすっかり大きくなって、隣にいる。

 私も同じだけ時が過ぎたけど、大きくはなってないな。逆に小さくなった、幅が。


 おばあちゃんの家で暮らすようになってから、そんなに食べたいと思わなくなった。


 食べ物で満たされなくても、よくなった。楽になった。解放された。


「うたさん。お団子、取れそうですよ」

「ん?お団子?」

「頭の」


 隼くんは、私を見ながら人差し指で、ちょんちょんと自分の頭をつついた。


「直していいですか?」

「隼くん、できるの?」

「はい。妹によくやらされましたから」

「あれ?弟じゃなかったっけ」

「弟も妹もいます。弟は二人。妹は三人」

「あら。賑やかね」


 隼くんが田貫銀座通り商店街に来て四年、だったかな。うちの上に住んでて毎日会ってるけど…まだまだ知らないこと、あるなぁ。


 ほかのみんなもそうだ。


 りりかちゃんの年齢とか家族構成とか知らないし、どこに住んでるんだったかしら。隼くんの車でマンションの下までは行ったことあるけど。そもそも、りりかちゃんは謎が多い。

 祐介くんと茉衣子ちゃんは、商店街が地元と言えるから、そこそこ分かる。伍郎くんもか。とくに伍郎くんは、赤ん坊姿を見た記憶が微かにある。

 良江ちゃんは、茉衣子ちゃんの高校の同級生で、店に来てくれるようになったのは茉衣子ちゃんと一緒に住むようになってから。だから付き合いは、いちばん短い。


 ………………。


 りりかちゃんの苗字、なんだっけ。

 隼くんは“一杉ひとすぎ”でしょ。伍郎くんは“加住かすみ”、茉衣子ちゃんはたしか“竹”じゃない“武吉たけよし”で、祐介くんは“木津きづ”。良江ちゃんは“雑木林”じゃなくて“あかね”。…私は“墨野すみの”。知っとるわい。


「隼くん、りりかちゃんの苗字って、なんだったか覚えてる?」

「“佐藤さとう”さんですよ」


 髪が、優しく指ですかれている。


「そうだったっけ。んー、いつも“りりかちゃん”だったから、忘れちゃったのかしら」

「俺も組合員名簿を見るまで知りませんでした。名乗ってないんじゃないですか?初めて会った時にもらった名刺にも、名前しか書いてなかったし」

「あー、あのテッカテカの名刺ね」

「それを言うならキッラキラですよ、ピンクのラメの入ったね」


 あはは。


 気持ちよくて、目をつむる。


 ………………。


「ねえ、適当でいいわよ」

 ねえ、適当でいいよ。


「駄目ですよ。ちゃんとやらないと、また崩れますから」

 駄目ですよ。きちんとしないと、王子様なんですから。


「そんなの気にしてたら、ピン百本あっても足りないし」




 ヒラリー。あの木はね、冬になると花が咲くんだよ。

 真っ赤な花が、咲くんだ。

 雪が降って、世界が真っ白になって、その花だけが赤くって。

 すごくきれいなんだ。

 咲いたら、一緒に見よう。


 はっ、はいっ、見たいです!……きれいでしょうね。


 寝転がって見るのが、おススメ。空の青と雪の白と花の赤で、絶景だよ。うっとりしすぎて、ぐっすり眠っちゃうときがあるくらい。


 いいですね…………は!だ、駄目、駄目ですっ、死んじゃいますっ、雪の中で眠ったら!


 ははは。ヒラリーったら。僕、生きてるよ。


 はい、いまは。…そういうことではなくてですね。雪の中で眠ったら死んでしまいますから、必ず起きていてください。必ず。


 絶対、ですよ。殿下。


 殿下?


 ?


 すぅ。すぅ。


 くす。


 おやすみなさい。殿下。




「できましたよ、うたさん。うたさん?」


「………………………。すぅ」


「ふっ。おやすみなさい。うたさん」

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