隼と過去①
間違ったことは嫌いだった。一生懸命やっていれば誰かが密かにそれを見ていて、正しいことをしていれば必ず報われる。そう思っていた。だって、おとぎ話はいつもそうだ。
だからあのときも、そう思ってたんだ。
「やめろよ。こいつが何したってんだよ」
「だってコイツ、暗いしーうっとうしいしー」
「それにサ、日本人じゃないんだぞ。ヨソモノだぞ」
「スパイだ、スパイ」
ぎゃはは、と馬鹿丸出しの嗤いが広がった。
「気にすんな、行こうぜ」
彼らのうしろで、ほこり
先月、転校生がやってきた。
「キンパツ男子じゃなかったー」
わざわざ見に行ったクラスメイトが、がっかりした様子で戻ってきた。
外国人イコール金髪青い目と考えているようだ。いや、期待していたのかもしれない。
「髪がこげ茶色で、目もこげ茶色でー。メガネしてて、なんか暗そう」
それからときどき、その転校生が小突かれたり、指を差されて嗤われているのを見た。
『やめろよ。こいつが何したってんだよ』
『気にすんな、行こうぜ』
このときこう言った側の俺は、次の日からはそう言われたいほうの立場になっていた。
「コイツ、すぐカッコつけるんだぜ」
「そうそう。ゆうーとうーせいー」
「そんなに先生にほめられたいのかよ」
あのときの、転校生を苛めていた三人組は俺に絡むようになった。
「ちがうっ」
そのとき例の転校生が俺を見ていた。
「……あ」
「!」
目が合った瞬間、転校生は慌てて走り去った。
なんでだろう。
いいことしたと、思ったのに。なんで?
「返せよっっ」
「えー?いいじゃん、いらないだろ?“ゆーとーせー”なんだから」
「オベンキョウわからなかったら、先生に聞いたらいいじゃんなあ?」
「そうそう。先生の“スパイ”なんだから。あっ、ちがう、“ゆーとーせー”だ」
ぎゃはは。
学校の帰り道、あの同級生三人に無理やり河川敷に連れていかれた。ふたりに体を押さえつけられ、ひとりがランドセルを奪い取る。そして川に向かって投げた。
ぎゃはは。
涙がにじんだ。
なんでだよ…。
――――きゃはははは――――
あざ笑う少女の甲高い声が、ほんの一瞬、脳裏に浮かんで消える。
……?
―――前にもこんなことがあったような気がした。
『「えー?いいじゃん、いらないだろ?“ゆーとーせー”なんだから」』
『「オベンキョウわからなかったら、先生に聞いたらいいじゃんなあ?」』
『「そうそう。先生の“スパイ”なんだから。あっ、ちがう、“ゆーとーせー”だ」』
(え?これさっきの)
同級生三人も、自分たちの言ったまるっきり同じ台詞がどこからか聞こえてきて、戸惑っている。
『ぎゃはは』
ランドセルを投げたヤツが、おそるおそる近くのこんもりとした植木をのぞき込む。
『ぎゃはは』
「うわぁっっ」
至近距離の声に同級生は驚きすぎて、尻餅をついた。
『ぎゃはは』
「なっ…なんだこいつ」
「………なに?何がいるの…」
「待って……」
残りのふたりも、そおっと近づいていく。俺も気になって、そのふたりのうしろをこっそり付いていった。
「なんだこのデブ!」
「わ、変な髪型!」
「すっげーの」
「ぎゃ『ぎゃはは』」
三人の笑うタイミングで、三人に似た笑い声が響いた。いや、
「なんだよっ、こいつっ」
「どこ
『ぎゃはは』
「しゃべれよ!デブ!」
『ぎゃ』
「おいっ」
『はは』
「っ、むかっつくっっ」
ランドセルを投げたヤツが、拳を振り上げた。
その瞬間――――
カシャッ。
植木から少し間を空けて生えている木の根元に、ぽっちゃり…とした、セーラー服を着た女の子がスマホを持って座っていた。彼女の両隣には、パンパンに詰まった白いレジ袋が置いてある。
「証拠、いっぱい撮ったよ。君たちのイジメの証拠の動画。それに」
視線が合った。
「その子のランドセル、彼の所有物を、故意に川へ投げて壊そうとしたとこも撮った。罪になるよ。えっと、“器物損壊”だったかな」
「な…なんだよ…、
「………。そう、気分爽快罪になるの。お巡りさんに捕まるの」
「え…」
“お巡りさん”“捕まる”の言葉に、三人の顔色が悪くなる。
「それから、そのことが君たちのお父さんお母さん学校の先生校長先生PTA会長にも知られて」
「あ…」
「ひそひそと『あそこのお宅の坊ちゃんて…』て、うわさされて」
「…………」
「SNSにアップ、顔バレで、どこに行っても誰かの視線を感じて」
「………………」
「気分爽快、常に監視されているような毎日が、君たちには待っているかもしれない」
「…………………………………………」
三人は口を半開きにしながら、小さく震えだした。
女の子の話す内容がいまいちわからなくても、何かよくないことをしてしまったとは感じたようだった。それに、このインパクトのあるルックスが、恐怖心を倍増させたのかもしれない。
おどけたピエロが悲しそうだったり、恐ろしく見えるときがあるのと似ている。
「ま、頑張って」
そう言うと、女の子は黙った。黙ったまま、じっと三人を見つめた。
――――違う、少しずれてて…俺たちのうしろを、見てる?
「…な……んだよぅ…」
「………………ねえ。君たちって、いち、にー、さん、し――――四人よね?うしろの子は…あれ?いない」
「「「!!!!」」」
こいつらビビりすぎ。ビビりすぎて、なんでか怪談話になってるんじゃないか?
「かっ帰るっ、帰るっっ」
「っォレもっ」
「わああーーー」
何度か転びながら、慌てて帰っていった三人。
「………………」
「………………」
なんとも言えない空気が、俺と女の子の間に漂う。
「ランドセル、早く拾ったら?」
「あっ」
急いで向かうと、ランドセルは川岸に転がっていた。川に向かって投げたけど川底で跳ね返って、けっきょくこっちに戻ってきてたのか。
この川は、そんなに深くない。とくにここら辺は浅く、膝くらいだ。だから気軽に、夏は学校の帰り、友達とよく水遊びや魚を捕まえたりしていた。でも、いまは…………。
びしょぬれのランドセルをハンカチで拭いていると、がりごり、という音が女の子のいる所から聞こえてきた。
植木の横からそっとのぞくと、女の子が煎餅を食べていた。
「食べる?」
女の子は、開いた袋の口を俺の方に向けて言った。
「…………」
見つめられて急に恥ずかしくなる。
あんな奴らに押さえつけられて、ランドセルを奪われ、半泣きになったところを見られたから。
「…………、いらない」
そう言って、走って逃げた。
お礼を言わなきゃいけなかったのに……。
少し離れてから振り返ってみる。しかし、女の子は植木に隠れて見えなかった。
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