かっぽう着と月

「やばっ、僕戻るね。お先っ」

「じゃあうたさん、今度こそ、またあしたぁ〜」

「ごちそうさまでした」

「良江さんも乗ってください」

「え、そんな、悪いわ。大丈夫よ、私バスで帰るから…」

「茉衣子さん乗っけていくんだから同じですよ」

「でも…でも狭くなっちゃうし」

「茜さん。いいから。行きますよ、早く。茉衣子重いんですから」

「じゃあ代わりましょうか?」

「…平気です」

「ちょっと!みなさん、もお、なに無駄な遠慮ごっこしてるんですかぁ。帰りますよおっ」


 りりかちゃんを先頭に、茉衣子ちゃんを背負った祐介くん、隼くんを拝む手つきをしている良江ちゃん、にこやかに首を振る隼くんが帰っていった。――――あ、隼くんはここの二階だから戻ってくるんだけど。






 提灯の灯りを落とし、のれんを下ろす。

 隼くんの朝食弁当を作り、洗い物をして、残った惣菜をタッパーに詰めてリュックに入れる。ガスの元栓の点検をして、店内の電気を消し、外に出る。

 隼くんが手を振って、こちらに向かっているのが見えた。


「おかえりなさい」

「ただいま」


 はい、と隼くんにお弁当を渡す。


「ごめん、朝も“絹さやづくし弁当”になっちゃったの」

「あはは、なんか想像つきました。おいしいから大丈夫です」


 シャッターを下ろし鍵を掛ける。この時間、横丁でやっているのはお隣のミラクルハニーだけだ。


「送りますよ」

「いいわよ、自転車だし」

「そう言われると思ってはいましたけどね。でも遅いし、女性ひとりは危ないですよ」

「大丈夫、やばくなったら変な顔するから」


 向こうも、あえて変な人を狙わないだろう。


「ぷっ。どんな顔するんですか?」

「それは企業秘密よ」


 心遣こころづかいの塊の隼くんは、以前から「女性の夜道は危険だから、これからは閉店後送ります」と言ってくれている。「毎月の食費を安くしてくれているお礼をさせてください」と泣かせるセリフ付きで。

 たまにならお言葉に甘えようかとも思うけれど、定休日以外毎回となると逆にこちらが申し訳ないので、いつも断っている。


 かっぽう着の上からリュックをよいしょと背負っていると、隼くんが笑った。


「今度は魚信のおやっさんが見たって言ってましたよ。手招きしながら『恨めしや〜』と言って、消えていったって」

「そういえばこの間の帰り、鼻歌交じりで楽しそうな親父さんを見かけたんで、すれ違いざまに『お休みなさい』って言ったと思うけど」

「それですね」


 開店前は家から洗濯したかっぽう着をリュックに入れてくるが、閉店後は着たまま帰る。どうせすぐ洗濯機にポイするし。

 なので白いかっぽう着を着て自転車に乗って帰る私が間違えられるときがある、幽霊に。

 夜中に白い色は目立つ。酔っ払って正気でなかったり、眼鏡をかけ忘れたド近眼の人などが、ちらりと見えた白い何かを思い込みで勘違いをする。―――にしても『お休みなさい』が『恨めしや』とは…。思い込みが過ぎるし、いまどきこんなテンプレお化け、いるのかしら。


 ふたりでひとしきり笑ったあと、「くれぐれも、気をつけてくださいね、絶対」と念を押されながら帰った。






「ふぅ」


 シャワーで一日の汗を流し、さっぱりとした気分で持って帰ってきた惣菜を摘まむ。テレビを点けようとリモコンを持ち、ふと黒い画面に映る頭にタオルを巻いたままの自分に気づく。


 ……………………。


 恵比寿様、いけるかも。


 想像して楽しくなってきた。たしかに違う自分になるのは面白い。

 リモコンを置いて、そのままゴロンと畳の上に寝転がる。まだLED照明ではない丸い蛍光灯から伸びている紐がクーラーの風で少し揺れている。ぼんやり見つめていると眠たくなってくる。


 寝るなら髪の毛乾かさないと…。あー布団…二階から落ちてこないかな…。歯ぁ…。磨かないと…。…んー…。ちょっとだけ……ちょっとだから…………。


 眠りに落ちる寸前、この光が電気なのか月明かりなのか、わからなかった。



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