うたと夏の夜

 ぷ~~~~~ん。


 ぺちっ。


「………………。かゆい…」


 蚊に刺された額を少しだけかいて、よっこいしょと寝ていた布団から起き上がる。

 暗闇の中、うつらうつらと電気を点けず手探りで進み、


 ゴッ。「っいっっったっっ!!!」


 左足の小指をタンスの角に思い切りぶつけてしまった。畳の上で小指を押さえ、のたうち回る。


 痛みが引いてきたころにはすっかり目が覚めて、窓の内障子がぼんやりと白く浮かんだ部屋の暗さにも慣れた。


 寝る時にかけたクーラーのタイマーは切れて時間が経っていたのか、少し蒸し暑い。


 小指の無事を確認して立ち上がり、タンスの上に置いてあったかゆみ止めを取って、ようやく患部に塗る。思いのほか腫れているようだ。

 やれやれと、額をさすりながら内障子を開ける。


 ――ガラス窓の隅にヤモリがいた。


「!!!!………びっ、くりした」


 毎年この季節になると窓の辺りに現れる。


 ヤモリは亀やトカゲの仲間で肺呼吸の爬虫類、間違えやすいイモリはカエルの仲間で皮膚呼吸の両生類である。漢字表記はたしか数種類あるんだけど、蚊やハエなど害虫を食べて家を守る【家守ヤモリ】がしっくりくる気がする。水辺に住んで井戸を守る【井守イモリ】ともなんかコンビっぽいし。


 何十匹もいたらさすがに考えるが、爬虫類系は平気だし、近隣に飲食店は無いので放置している。お隣にも出没するらしいが、そこの奥さんも気にしていないみたいだ。

 気にしなさすぎなのか、いままでに何度か窓の開閉時、挟んで殉職させてしまっている。向かいの児童公園のいちばん大きなイチョウの木の横が歴代の墓だ。ごめんなさい。


 いっぱい食べてよーと声をかけてから、ヤモリがいないほうの窓をそっと開ける。

 もわっとした夏の夜の重い空気が頬に感じられるが、額だけはかゆみ止めのメントール効果で少しひんやりとしていた。


 空を見上げると少し欠けた月が傾いている。




 むかしむかし、




 深く寂しい森の中、




 初めて会った女の子。




 あの夜とは違う月が出ていた。




 この月もきれいだと思う。




 同じように生まれ変わっているだろうか。

 生まれ変わって、幸せになっているだろうか。




 もし逢えたら?




 うれしいな。




 逢いたいな。




 大好きだった女の子。




 たとえ逢えなかったとしても、どうか、




 笑っていますように。




 額のメントールはもう消えてしまったようで、少し汗ばんできた。


 ぷ~~~~~ん。「!」


 ガラッ、ピシャッ。


 蚊が部屋に入らないように、もうすでに入っているかもしれないが、慌てて勢いよく窓を閉め、クーラーのリモコンをつかみ電源を入れる。

 控えめな起動音とともに冷気が部屋に満ちてきた。もう一度タイマーをセットし、布団に潜り込む。




 店に行く前に買っていくものは…。本日のおすすめ何にしよう。暑いからサッパリ?いやガッツリ?う~ん…。そうだ、朝ご飯はそうめんにしよう。青じそドレッシングでサラダそうめん…。あ…レタス無かった…。…。……。………………。

 だんだんと心地よい眠気が感じられてきた。


「………すぅ」




 そのころ。窓の外では、さきほど勢いよく窓を閉めた時の振動で落ちてしまったヤモリが、植木鉢と植木鉢の間にひっくり返って挟まっていて手足をばたつかせていた。



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