第5話 通知

 通知


「よし、じゃあ次は右だ!よく狙って思いっきり打て!」


僕は右ジャブを店長の左手に向かって打つ。バシン、という気持ちのいい音が響いた。


「よーし、いいぞ!じゃあ今日はここまでだな。明日の店の準備もあるし。」


店長の言葉に頷き、僕はタオルで汗を拭いた。2時間たっぷりと練習したので、タオルは既にびしょ濡れになっている。


「しっかしよー、意外だなぁ。お前が自分からボクシングを教えてくれなんて。今までは俺が何度誘っても応じなかったくせによー。」


僕だって別にボクシングがしたいわけではない。じゃあ何故ボクシングを始めたかというと、単純に身体を鍛えたかったわけだ。1週間前、不意打ちだったとはいえ、中1に簡単に倒されたのは、僕にとっては結構な屈辱ではあった。ツバサの身長は150センチ、対して僕は170センチなのだ。流石にそんなちびっ子に負けるようではいけない。そしてどうせ鍛えるなら、本当かウソか知らないが、元日本チャンピオンという店長に教えてもらうのが1番だ。よって週2日、僕は店長に個人レッスンをして貰っている。


「ちょっとマコトくーん?ボクシングなんてやめなよ。私の可愛い弟がムキムキになったら困るんだけどー。」


向こうからお茶を持ってやってきたのはユミさんだ。


「別にそこまで鍛えるつもりはないですよ。」


「いや、やるからには徹底的にやるぞ。目指せ日本一!目指せ世界一だ!」


「ていうかさ、そんな事より、あの後どーなったの?」


「あの後って何ですか?」


ユミさんは横で騒いでいる店長を無視して興味津々に聞いてくる。はて、なんかあったっけ?


「姫ちゃんだよ!あの後、何がどーなって進展したの?」


「別に進展してませんよ、ていうか元々そんなんじゃないですって。」


あの後、世界的大事件に巻き込まれる事も、異世界に転生する事も、敵っぽい何かに襲われる事も、ましてや姫野といい感じになる事もなかった。別にこの1週間、特に何も起きていない。僕は相変わらずぼっちだし、能力特に使い道もないし、差し当たって日常生活に変化は無かった。日常を変える、というのは、なかなか起きるものではない。

僕はふと、あのツバサのセリフを思い出した。



「我らで、世界を救ってみないか?」


「…どういう意味?」


あの時、ツバサは突拍子もない事を言い出した。世界を救う?何を言っているんだ。時を1秒戻したくらいでは、核兵器も地球温暖化も人間の欲深く自分勝手な部分も治らない。


「世界だよ世界!我らでヒーローになるんだ!」


「一応教えておくけど、温度を三度下げれるからってヒーローにはなれない。世界なんて救えないよ。」


するとツバサは、フンと鼻を鳴らして言った。


「マコト、お前にとっての世界って何を指すのだ?」


「え?」


「世界、お前にとっての世界って、地球とかそういう事ただろ?」


「…そりゃ、世界各国いろんな所をひっくるめて、世界だと思うけど。」


ツバサは僕の答えを聞くと、ヤレヤレと首を振った。


「じゃあお前は、アフリカで子供が何人も死んでいるこの現状に対して、何か行動を起こしたか?起こそうとしたか?」


「何が言いたいのか分からないんだけど。」


「起こしてないだろ?それどころかお前、例えば九州で大きな地震が起きたって、かわいそうだな、大変だな、とは思っても、具体的に何かをするわけじゃないだろ。せいぜい申し訳程度に100円寄付するくらいだろ?」


「100円寄付するのだって、立派な事だ。」


僕は別に自分が何か責められているわけではないだろうに、思わず反論をしてしまった。


「そうだろ?そんなもんなんだよ。遠いどこかで災害が起こっても、良かった、自分達には関係ないなって思うのが普通なんだよ。具体的に行動を起こす人は稀だ。我だってアフリカの為に人生を使うつもりはない。」


「言いたい事は分かるけど、結局何が言いたいのか分からないんだけど。」


「ここなんだよ。」


ツバサは自信満々に言った。


「ここが、我らの生活範囲が、我らにとっての世界なんだよ。行ったことも見たこともない場所なんて、少なくとも我の知る世界ではない。」


僕は何と言っていいか分からず、姫野を見た。姫野は何か考えこむように俯いている。こちらからは表情が見えないが、おそらくこの厨二病になんと答えて追い払おうか頭を回しているのだろう。そう思っていたら、姫野は予想外の事を口にした。


「よく、分かったわ。それで、私達で世界を救うとは、具体的に何をするのかしら?」


なんと、姫野は乗り気なのだ。一体どうしたのだ、と僕は姫野に目線を合わせようとするが、姫野はまるで僕の事を空気のように全く見てこない。


「だから、世界を救うんだよ。つまり、我々でこの地域を守るんだ!」


「ボランティア活動、と言ったところかしら。まぁいいわね。その話、乗った!」


姫野の異常な発言にツバサは大きくうなづき、そしてお前はどうするのだ、と僕の方を見つめてきた。


「マコト、お前はどうする?世界、救ってみたくないか?」


「こ、ここは、」


少ししてから、僕は答えた。


「ここは千葉県だ。世界じゃない。」



「おーい、マコト君?マコト君ってば!」


ユミさんに、肩を軽く叩かれる。先週の出来事を思い出していたせいで、ついボーッとしていたようだ。


「ああ、すいません。何ですか?」


「いや、もう結構遅いけど、大丈夫?」


外を見ると、確かにもう真っ暗になっていた。


「あ、じゃあもう帰ります。ありがとうございました!」


僕は店長にお礼を言って外に出た。夏の蒸し暑い空気が肌を包む。家まではそんなに遠くない。僕はゆっくりと帰り道を歩く。昨日雨がふったので、所々に小さな水たまりが出来ていた。僕は水たまりに足を突っ込み、靴が濡れるのを確認してからギュッと目を閉じる。いつもの静けさが辺りを包み、気がつくと靴は乾いた状態に戻っていた。


「結局何にも使えないよなぁ、この能力。」


一週間、能力の事ずっと考えていたわけだが、まだ何の使い方も思いついていなかった。部活とかをやっていれば話は別だったかもしれない。例えばサッカーとかなら、PKなんて無敵だろう。けど生憎僕はスポーツをやっていないし、やっていたとしてもスポーツマンシップに反する。僕の真面目な心は、そんな事を許さないはずだ。


「何かが変わると思ったんだけどなぁ。」


この能力の存在を知った時、これで僕の人生も少しは面白くなるかもしれないと思った。僕だって好きでぼっちしてるわけではないし、この能力を通じてクラスメイトと、姫野と友達になれるかもしれないと思った。けど実際は、僕は相変わらずぼっちだし、姫野はあれ以来一度も話しかけてこない。変わった事といえば、サザエさんのジャンケンで勝率100%になった事くらいだ。

突然、ブーという通知音が鳴った。それがスマホから発された音だと気がつくのに、少し時間がかかる。僕に連絡をしてくれる友達なんていないし、親も滅多な事では連絡してこないので、もはや携帯としての本来の機能を失っているスマホを鞄から取り出した。どうせ迷惑メールだろうと、僕は画面を確認する。


「明日10時、カフェで集合ね。何か用事があっても絶対こっちを優先する事。じゃあおやすみ!」


可愛らしいネコのアイコンには、雪と書かれている。…一体、どうやって僕の連絡先を手に入れたのだろうか。僕は姫野の連絡先を追加する。友達2、と今までも、そしてこれからも永遠に増える事のないはずだった数字が3に増えている。何となく寂しくて、大量に入れた公式アカウントの数には敵わないけど、それでも今の僕には、すごく誇らしい立派な数字に思えた。


「スゲェ強制的だな、これ。」


僕はもう一度文面を読み直す。水たまりに足を突っ込み、時をもどし、足を突っ込み、時をもどす。しばらくしてから、僕はスマホを鞄にしまった。明日やる予定だった宿題をやる為に、僕は家までダッシュした。

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