第3話 僕の能力は、もしかしたら使えない

 僕の能力は、もしかしたら使えない


「うーん。」


カフェをあとにした僕は、不良に見つかる事もなく、無事に家に辿り着く事が出来た。親にも特に何も言われなかったし、夜ご飯を食べる時微かに口に痛みを感じたが、昼間の事件の後遺症はせいぜいそんなとこだった。参考書は結局買えなかったが、まぁそもそも今すぐにいるような物でもなかったので、また今度買いに行けばいいだろう。それよりも、今は他に考えるべき事があった。


「…やっぱどう考えても変な話だよなぁ。」


カフェで姫野に言われた事、僕には時を戻す能力があるという事だ。本来ならあの不良達に明日からどうやって見つからずに過ごそうかとか、あの不良達はいつまで僕の事を追いかけるのだろうかとか、とにかく不良の事を心配すべきなのだろうが、カフェでの姫野との会話が衝撃的過ぎて、その他のことは全て頭から消し飛んでしまった。僕の頭は真面目ではあるが、いっぺんに多くの事を考えられるほど有能には出来ていない。


「からかわれた、やっぱそうだよな。」


姫野は学校ではクラスの人気者で、そんな人がオカルトじみた厨二病のような事を本気で信じてるわけがない。からかわれたと考えるのが妥当だろう。いや、もしかしたら、と僕は思う。もしかしたら、僕の怒りを逸らすためだったんじゃないか。もしそうなら、それは許されざる行為だ。よく考えたら、大して謝られてもいなかった気がする。忘れかけていた怒りが、今更だが込み上がってきた。僕は一体昼間、何をしていたんだ?しかし一方で、もしかしたらと思う気持ちもあった。姫野の言葉を信じているわけではないが、カフェで見たあのマジックは、結局タネが分からなかった。それによく考えたら、僕はアレと似たようなものを、不良達と一緒に見ていたじゃないか。不良が持っていた財布が、小鳥と入れ替わったじゃないか。もし、アレがカフェでのマジックと同じものだとしたら、本当に姫野の能力なのかもしれない。僕にしたってそうだ。僕は確かに、不良が同じ言葉を二回言ったのを聞いた。アレが気のせいではなく、能力だとしたら…


「マコトー!お風呂空いたわよー!」


「…分かったー!」



チャポンと、お湯が跳ねる音がする。家のお風呂の温度は43度で、他の家より少し熱い。小学校の時、まだ僕にちゃんとした友達がいた時、友達が家に泊まってお風呂に入り、その熱さに悲鳴をあげていたのを思い出す。


「うーー。やっぱしみるなぁ。」


不良達に殴られた時に散々転んだため、僕の身体は擦り傷だらけになっていた。まぁあれだけ殴られておきながらもこれくらいの怪我で済んで良かったと思うべきなのだろう。しかし、この傷には熱いお湯がよくしみる。お風呂は熱いくらいが丁度いいと思っているが、今日ばっかりはもう少し温度を下げてもらうべきだったかもしれない。僕は1番酷い傷の部分を手で押さえてしみないようにした。


「ハァァ。お湯、か。」


「お湯とか自分の身体にかけてみればいいよ。」


昼間の姫野の言葉を思い出す。姫野曰く、お湯が身体にかかる前に元の位置に戻るらしい。


「まぁ、それくらいなら試してもいいよな。別に信じてるわけじゃないけど。」


僕はゆっくりと、充分にお湯に浸かった後、湯船から上がり、桶にお湯を入れた。そして若干の期待と緊張を抱き、ゆっくりとお湯を腕にかけた。桶から流れ落ちるお湯はまるでスローモーションのようにゆっくり下に落ちていく。そして僕は確かにお湯があと一歩で腕にかかるというところまでを目に焼き付けた。さぁ、僕は思う。さぁ、ここからだぞ。時よ戻れ、時よ戻れ、時よ戻れ、と他人が聞いたらかわいそうな人を見る目をするであろう言葉を、小声で必死に唱える。頼むぞ、時よ戻ってくれ!そんな僕の願いに答えてくれたのか、辺りがしんと静かになった気がした。僕は期待に胸を躍らせる。


パシャン、と静けさは水の跳ねる音で破られた。腕からはお湯が滴っており、ポタン、ポタンと床に水滴が落ちる。


「…ハハ、そうだよな。…何をガチになってたんだろう、僕。」


時が戻るなんて事はまるでなく、お湯ももちろん桶に戻る事はなく、重力に逆らう事なく下へと落ちていった。別に期待していたわけではなく、姫野の言葉を鵜呑みにしていたわけでもなかったが、やはり落胆してしまう。…僕なんかにそんな能力、あるわけなかったのに。身体を冷やさないように、僕はもう一度湯船に浸かった。


「昼間のあれはやっぱ気のせいで、姫野の能力はやっぱマジック。そう考えんのが普通だよなぁ。」


コップの位置が入れ替わったのは、タネは分からないがマジックなのだろう。今度ユミさんにそういうマジックがあるのか聞いてみようか。それで僕もそのマジックを習得して、姫野に見せてやろう。その後で、姫野に謝らせるんだ。姫仕返し作戦を考えると、不思議と落ち込んだ気持ちが前に向いていくような気がした。復讐でそうなるのはどうかと思うが、姫野はそれ相応の事をしたのだ。償ってもらわなくては。それから、不良達の事も考えなくてはな。明日からどうやって不良から身を隠そう。もし、学校行ってる途中に襲われたら一貫の終わりだ。また、あんな目にだけは遭いたくない。あの時は、不良の拳をギリギリ避けられたからいいものを。目を閉じると、その時の光景が浮かんできた。確か、頭が痛くなって、それから目をギュッと閉じたんだっけ。それで、不良の拳が何故か少し前の位置に戻った気がして...


「そうだ!それだ!」


僕はもう一度湯船から上がり、桶にお湯を入れる。あの時は、確か目をギュッと瞑ったんだ。能力を発動させるには、あの時と同じ事をしなくてはいけないのかもしれない。僕は興奮して、早速桶からお湯を流した。お湯が腕の真上までくる。ギュッと目を閉じて祈る。時よ、戻ってくれ!


また、風呂場に静けさが訪れた。僕は恐る恐る目を開ける。まだ、腕にお湯がかかる感触はない。お湯は、腕の真上には無かった。桶を見ると、中にはお湯がたっぷりと入っていた。


「…ハ、ハハ...ハハハハハハハハ…や、やったー!」


僕は確かに、お湯を流したのだ。それが、桶に戻っている。時が戻ったのだ!もう一度、僕は桶からお湯を流した。目を閉じて祈る。するとやはり静けさが訪れ、目を開けるとお湯はきちんと桶に戻っている。


「や、やっぱり。僕には、僕には、時を戻す力があるんだーーー!」


「うるさいぞ!マコト!」


翌朝、僕はウキウキと興奮しながら学校へ向かった。あの後何回も実験を繰り返した結果、僕の能力についていくつかの事が分かった。まず、時を戻せる時間は1秒だけという事。これはストップウォッチで測ったわけでもないし、ていうか測る方法がないのだから正確な数字は分かりようがないのだが、僕の体感的には約1秒といった所だ。次に、一度時を戻すと、もう一度時を戻すには10秒ほどの間がいるということ。連続して戻す事はどうやら出来ないらしい。そして、時を戻すには目を閉じ、時が戻れと祈る事が必要らしい。姫野の言っていた事は正しかったわけだ。しかし、まさか時を戻す能力とはな、と僕は思う。時を戻す能力なんて、チート級能力じゃないか。なんだかこの世にもう怖いものなんてないような気がして、僕はもう不良だって怖くはなくなっていた。むしろ、不良達と出会って、この能力を試したいくらいだ。嬉しくて、登校中も無駄に能力を使う。能力を使えば2、3歩後ろに戻り、10秒たってまた能力を使う。こんな事を繰り返していると、学校に着くまでに随分と時間がかかった。1秒といえど、積み重ねると結構な時間だ。早くこの能力の事を姫野にも伝えなければいけないんだ。もう能力を使うのはやめよう。僕はこの能力の存在を教えてくれた素晴らしい姫野の為に、教室までの道のりを急いだ。


キーンコーンカーンコーンと鐘の鳴る音がする。太陽は既に西に傾いていた。そして僕のイライラは、南中高度と反比例するかのように高まっていった。時刻は既に4時だ。先生が帰りのショートホームルームを行なっている。いつもなら、真面目な僕はクラスの大半が聞いていないであろう先生の話にもしっかりと耳を傾けているのだが、今日ばっかりはそうはいかなかった。僕は基本的にクラスでボッチだ。班を組めと言われたら必ず余るし、弁当を誰かと一緒に食べた事もないし、そもそも学校で言葉を発する事は滅多にない。別にボッチしたくてボッチしているわけではないのだが、何故かクラスメイトは僕に全く話しかけてくれないのだ。僕は真面目ではあるが勇気はないし人見知りなので、基本的に自分から誰かに話しかける事はない。つまり必然的に向こうから話しかけてくれないといけないのだが、誰もそれをしてくれないのだ。僕は休み時間など、静かに本を読んで話しかけてもらうのを待っているのいうのに。これはいわゆるイジメだろうか、とたまに悩む事がある。まぁそれはそれとして、つまり姫野に能力の事を話すには、向こうからこっちに来て貰わなくてはいけない。普段店長やユミさんと話しているおかげか、向こうから話しかけてくれれば普通に話せるのだ。しかし姫野は今日一日、まったく僕の方によっては来なかった。おかげで僕は能力の話をしたいのに出来ないというジレンマに陥ってしまったのだ。


「礼。」


「ありがとうございました。」


日直の声に合わせて、ボソボソと帰りの挨拶をしている声が聞こえた。気がつくと、ホームルームが終わっていたらしい。姫野は、と見ると相変わらず友達とペチャクチャ喋っていた。


「この後どーする?雪、なんか今日用事あんの?」


「んー、あるようなないようなー。どっちにしても夜バイトだから今日はもう帰るわ。」


「またバイト〜?ちょっと働きすぎじゃない?」


「んまねー。じゃまた明日〜!」


「明日は午後空けといてよねー。」


はーいと、姫野は返事をして教室を出ていった。…マジですか。僕にはノータッチですか。気がつくと、教室にはもう人はほとんど残っていなかった。残ってるのは僕と、さっきの姫野の友達達だけだ。姫野の友達Aが訝しげに僕の方を見ているので、僕もさっさと退散する事にした。しかし、なんで姫野は話しかけてこないんだよ。アイツからこなきゃダメでしょうが。僕は早歩きで昇降口まで向かう。靴箱から靴を取り出し、上履きから履き替える。ふと前を見ると、校門の前に姫野が立っていた。


「なんで報告してこないのよ。」


僕が校門に近づくと、姫野は怒ったように言った。


「君こそ、なんで話しかけてこないのさ。」


「報告するのは君の方でしょ?…もしかして、チキッてたの?」


「別にチキッでたわけじゃない。いい機会だから教えておくけど、僕は人に話しかけるのが苦手なんだ。」


「…そう堂々と言われると何も言えないわね。まぁいいわ。それより、どうだったの?」


僕は昨日お風呂で発見した能力について、姫野に説明をした。僕は時を戻せる、と言った時、僕はてっきり姫野がすごい!と、なんらかの感嘆の声を出してくれると思っていたのだが、姫野は淡々と僕の話を聞いていた。

「ふーん、なるほどね。やっぱり能力があったわけか。...一緒に帰らない?家の方角、一緒だったよね?」


「え?あ、うん。…それだけ?」


「それだけって?」


「いや、時を戻すって、漫画だとラスボス級能力だと思うんだけど。」


「漫画だとね。」


「…どういう意味?」


「じゃあ逆に聞くけど、君は1秒で何が出来るのかな?」


「え、…」


「でしょ?1秒時を戻したって、実用的な事はほとんど出来ない。だってそうよね?漫画みたいに、超高速で動けるわけじゃないんだから。まぁせいぜい昨日みたいに、何か危険な目にあった時に役に立つ程度でしょ。そして危険な目になんて、普通の人はまず遭わない。」


「…」


確かにそうだ。たった1秒では何も出来ない。せめて時を止める、だったらまだ実用性があったかもしれないが、1秒戻すのでは結局自分の行動も1秒前に戻るので、何か出来るわけでもない。まるで風船がしぼむように、僕の気持ちは一気に沈んだ。


「まぁそんな落ち込まないでよ。普通の人にはない能力があるのには変わりないし。」


「いやでも…」


「やっと見つけたぞ!このガリの助!」


ガリノスケ?変わった名前だな。そう思って辺りを見回したが誰もいなかった。一体、誰のことを言っているんだろう。すると、姫野が肘で僕の脇腹をつついた。


「あなたの事でしょ。」


「え?」


「こっち見ろよ!我が背にタックルをした罪は重いぞ!」


なんだか分からないが、僕は目を閉じて祈った。

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