第2話 こうして、僕の少し変わった日常が始まる

 こうして、僕の少し変わった日常が始まる


「ど、どうして僕の名前を?」


「どうしてって、同じクラスでしょ?」


姫野は変なのヤツとでも言うように、訝しげに僕を見た。


「それで、真野君。あなたが私にそれなりの怒りがあるのは分かってる。でも私だってあのまま逃げるつもりはなかったのよ?人をよんで助けてもらおうと思ったんだから。」


助けを?本当に?真面目でピュアな僕は一瞬信じかけそうになるが、騙されてはいけない。姫野が逃げ出してから、一体どれくらいの間僕が殴られ続けたと思っているのだ。助けを呼ぶつもりだったのなら、時間は十分にあったはずだ。


「それじゃ、何の用?ていうかどうして僕の場所が分かったのさ?」


「ああ、あの後心配になって様子を見に戻ったら、あなたが不良に一撃喰らわせてるのが見えたの。その後君、全速力で駆け抜けて行ったでしょ。意外と足は速いんだねぇ。私も結構体力ある方だけど、追いつくのに時間かかったよ。」


じゃあやっぱり助けを求めに行ったわけじゃないじゃないか。僕が不機嫌になるのを気にもせず、姫野は続けた。


「それよりさ、君、不良に反撃したとき、妙な感じにならなかった?」


「妙な感じ?」


「そう。なんていうか、普通じゃない何かが起こったとか、そんな感じ。」


普通じゃない何かが起こった感じって、一体どんな感じなのだ。そもそも不良に殴られる事が普通ではないのだから、あえて答えるとすれば、あなたのせいで、ありました、だ。


「あっ、不良に殴られた事とかじゃないからね。そういうんじゃなくて、科学的根拠のない、摩訶不思議な事とかが起こったんじゃないかな?」


姫野は僕の心を読んだかのように言った。摩訶不思議な事、あるわけないじゃないかと言おうと思ったが、そういえば心当たりが一つだけあった。


「…なんか、不良が僕の顔めがけて殴ってきたとき、同じ事が二回起こった気がする。」


「同じこと?」


「うん。拳が僕の顔の目の前まできて、思わす目を閉じたら、何故か気づいたら不良はまた拳を上げて、同じ事言って、僕は拳を避ける事が出来た。」


言いながらも自分が何を言っているのか分からなくなった。人間命の危険が迫ってくると周りがゆっくり見えるっていうし、もしかしたらその類だったのかもしれない。


「ていうかなに?姫野って、そういうオカルト系の人だったの?」


「ふーん。間違いないわね。…君、ちょっとどこかゆっくりできる所で話さない?」


姫野は僕の話を見事に無視した。…いや待て、ゆっくりできる所って、もしかして今、デートの誘いを受けているのか?


「え、それってつまり」


「勘違いしないでね。君の事は嫌いじゃないけど、そういう対象としては全く見れないから。」


「…あっそう。…まだ何も言ってなかったし、ていうかなんで僕がそんな風に考えたと考えるのか理解不能だし、そもそも僕は君に対し怒りで満ち溢れているわけだから君の事を恋愛対象として見るなんてもってのほかだし、僕にだって選ぶ権利があるわけで。ていうか僕は真面目に勉学に取り組みたいわけで…」


「何ぐだぐだ言ってんの!ほら行くよ。」


10分後、僕はもはや常連となった馴染みのカフェにいた。姫野が行くよって言ったのに、どうして僕が案内する事になったのか。姫野のペースに、すっかり乗せられてしまった。


「お、おーー!マコト!お前もついに…彼女ができたのか!俺、感激だよ。大きくなってなぁ。」


「いや別に彼女とかじゃありませんから。コイツにひどい目に遭わされましたから。…店長、泣くのやめて下さい。」


人の話を全く聞かず、店長は泣き続けている。大きくなったなぁとか、あんなにちっちゃかったのになぁとかまるで親戚の叔父さんだ。ていうか、僕がこのカフェに通い始めたの、2年前からなんですけど。


「じゃあマコト君。彼女じゃなかったらなんなの?もしかして、好きな人?」


「ユミさん。コーヒー一つ。」


「何?同級生?それとも先輩?後輩?悩みがあるならお姉さんに相談しちゃいなよ。」


「コーヒー一つ!」


「はいはい。全く、恥ずかしがっちゃって、可愛いなぁもう。」


「ねぇ、君、ここに来たの、失敗だったんじゃない?」


「僕もそう思ってる。」


このカフェは、2年前にオープンしたこじんまりとした小さなカフェだ。店長とユミさんの2人で切り盛りしており、ホントか嘘か、店長は元ボクシング日本チャンピオンらしい。そして何故か何かと僕にボクシングを勧めてくる。店長曰く、僕にはボクシングの才能があるらしい。もちろん、僕はやるつもりないけど。もう40代後半といった年頃の店長と、大学を卒業したばかりというユミさんが、どういうつながりでカフェをやる事になったのか、僕以外に客を見た事がないが、一体どうやって利益を得ているのか、謎は多いが、なんとなく居心地が良いので週に一度は通っている。


「それで、結局何の用?」


「そうねぇ、まずは信じさせる事が1番ね。ちょっと、これ見ててよ。」


姫野はそう言うと、コップを二つ取り出し、一つには水を入れて自分の側へ、もう一つは空のまま僕の方へ寄越した。


「僕、コーヒー頼んでるんだけど。」


「そういうのに使うんじゃないって。いいから見ててよ。」


姫野はいいから黙っておけと合図を送り、自分の目の前に置いた水入りのコップをじっと見つめた。そして突然目をギュッとつぶり、全身に力を入れる。何がしたいのかさっぱり分からず、僕は困惑して姫野を見つめる事しか出来ない。


「はい、終わり。」


目を閉じてから5秒もたたないうちに、姫野は終わった終わった、とまるで一仕事終えたかのようにリラックスし始めた。


「…何がしたいわけ?いや、何が言いたいわけ?」


「コップの中身、見てみ。君の方にあるやつ。」


コップの中身?僕はコップを手に取り、こちら側に引き寄せた。タプン、と水面が揺れる音がする。…水面が揺れる音がする?僕はそっとコップの中身を見た。そこには水が入っていたのだ。先程までは確かに空であったはずなのに。


「…え?」


「こっちのコップ見るー?ていうか、喉渇いたからそのコップくれない?」


姫野の持っているコップを見ると、そこには何も入っていなかった。濡れてすらいない。


「ど、どういう事?」


「フッフーン。これが私の能力。手の平サイズの物なら見える範囲でだけど、物体の位置を交換できるの。」


「そういうのいいから。一体、どういうマジック?全然タネが分からなかったんだけど。」


「だからマジックじゃないってば!私の、の!う!りょ!く!」


姫野が怒ったように言った。一体どういうマジックなのだろうか。さっぱり分からない。ていうか、こんなマジック見せて、姫野は何がしたいんだ?


「おっ、なになにー?マジック?姫ちゃんが出来んの?やって見せてよ!こう見えて私も、マジックは得意なんだよ。」


「ユミさん、でしたっけ?私、自己紹介しました?」


「んー?2人の話盗み聞きしてたからねー。やっぱマコト君の応援するためにゃ、情報がいるからね!」


「店員が客の会話盗み聞きしてちゃダメでしょーが。」


「かたいこと言わないの!私、マコト君の事は弟って事にしてるから。姉が弟の応援するのは当然でしょ?」


「勝手に弟にしないでください。」


「あっ、店長も向こうの部屋でこっそり聴いてるよ。ここ、防音なくてよかったねぇ。」


「揃いも揃って何なんですかこの店は!」


「はいコーヒーお待ち〜。」


「話聞いてます!?」


ガタン、と向こうの部屋で何かが落ちた音がした。僕はコーヒーをぶん投げたい欲望を必死に抑えた。


「…プッ…アハハハハハハハ…お、おかしいね君。腹筋が崩壊しそうだよー。」


見れば姫野は顔を真っ赤にして笑っていた。


「おかしいのは僕じゃなくてこの店でしょ!」


「ほら〜。姫ちゃんも喜んでくれたじゃーん。お姉さんのおかげだね!」


「ユミさんはもう黙ってて下さい。ていうか、僕と姫野はホントそういうんじゃないんで!」


へぇ〜、まだ否定しちゃうんだ〜とからかってくるユミさんを、僕はやっとの事で追い払う。本当に、ここに来たのは間違いだった。姫野は、ようやく笑うのをやめたが、まだ顔は真っ赤だった。


「なんか良いね、ここ。私、こういうのは結構好きだよ。」


「気に入ってくれて何よりだよ。僕は最悪だと思ってるけど。…で、話しの続きは?」


「んー?ああ、そうだったね。」


そうだったねって、この短時間で忘れたのかよ。案外頭悪いのかな。


「どうしよっかな。君、全然信じてくれなそうだしなぁ。それに私、この後すぐバイトだし。」


「結局何が言いたいわけ?」


「うーん。じゃあ単刀直入に言うから、家に帰ったらちょっと試してみてよ。」


「試すって、何を?」


「まず、君には普通の人にはない何か特別な能力があります。」


「人の話聞いてる?ていうか、急に何を言い出すのさ?」


「私にも、能力がある。それがさっき見せたやつね。それで君の能力は、君の話しを聞いている限り、多分、少しの間、時を戻すというものだと思う。」


「…はい?」


「いいから聞いて。それでまぁ能力の中身は私の憶測でしかないから家で試して確かめること。お湯とか自分の身体にかけてみればいいよ。もし私の考え通りの能力なら、お湯が身体にかかる前にお湯が元の位置に戻ると思う。」


「…はぁ?」


「じゃ、明日私に報告してね。じゃあ私、バイトだから。」


じゃあねー、と言って姫野はそのままカフェをあとにしてしまった。僕は彼女の勢いに飲まれて、何も言えなかった。


「…何だったんだ。」


「変な子だな。」


「…店長、やっぱ聞いてですね。」


「私はいい子だと思うけどなぁ。」


「ユミさんも、やっぱもちろん聞いてますよね。」


「けどなぁ、急に能力とか言われてもなぁ。ありゃアレか!厨二病ってやつか?ユミ、どう思う?」


「んー。もしかして、マコト君と接点が欲しいんじゃない?だからあえて変な事言ったとか。」


「おお!なるほど!」


「だから何度も言ってますけど、僕ら、そういうんじゃないんで!」


例によって僕の話は全く聞かず、2人は勝手に盛り上がっていた。僕はハァ、とため息をつき、コーヒーを飲んでさっさと帰る事にする。


「お会計、お願いします!」


「ん?ああ、もう帰んのか。」


「もう不良に絡まれたくないんでね。」


不良?何だそりゃ?と質問してくる店長を無視し、会計を済ませて僕は出口を開ける。カフェを出る直前、店長に呼びかけられた。


「でもよー、マコト?」


「なんですか?」


「もし、そんな能力が本当にお前にあったんならよ。」


「あったなら?」


「ボクシングで無敵じゃねーか。」


そうですか、と僕はカフェを後にする。

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