第6章 和真の過去②
久しぶりに昔のことを思い出した。
あの時の結羽はいつになく大人びて見えて、凛としていて美しかった。ふと彼女の美しさの源が何か気になった。心の優しさだろうか。もともとの血筋だろうか。
どちらにせよ、もっと傍で彼女のことを見ていたいと強く思ったのだ。
だけど、また失いそうになっている。この前の芸能体験をして以来、結羽に避けられている気がしていた。どう接すればいいのか分からなくなり、自分も送り迎え以外はあまり二人きりにならないように距離を置くようにしていた。
そして、あの祭りの時に杏子に言われたことを思い出す。
『大事なものはちゃんと自分の手の届く所に置いておかないと、知らぬ間に離れていることもあるからね。気を付けなね』
まるで、結羽と蒼空のことを言っているように聞こえた。あと、蓮の存在も暗に仄めかしていたのかもしれない。
まだ、結羽にはあの日の杏子と手を繋ぐことになった経緯をちゃんと話せていないままだった。しかも、芸能体験の時の一件もだ。
自ら結羽が自分から離れて行ってしまうような行動をしてしまっていることに今更気づく。このままではまずい。
和真は勢いよく顔を上げる。その勢いの流れで、彼女の手を握った。
「か、和くん?」
突然のことに彼女は目を大きく見開き、動揺したように手を見つめる。
和真はそのまま口を開く。
「結羽。俺、また前と同じように後悔しそうなことをしてた」
「え……?」
要領を得ない
「また素直になれずに結羽を悲しませてた。ごめん。結羽との時間を大事にしたいと思ってたのに」
「和くん……」
「まず、杏子先輩のこと。蒼空が結羽にフラワードールを上げた日のこと、覚えてるか?」
「う、うん。彼女と手を繋いでたよね」
改めて本人の口からそのことを指摘されると胸に刺さる。だが、手を繋いでいたことは事実で、記憶から消すことはできない。自分にできるのは彼女に真実を伝えること。
「それなんだけど……。あれ、先輩が花屋の方へ行こうって急に言いだして、その時に手を引っ張られて繋ぐ形になったんだ」
直接経緯を口にするのが照れ臭くて、頭を掻きながら目をそらす。
丁度、店員さんが飲み物とケーキを運んでくるのが見えた。慌てて手を離す。「そうなんだ」と結羽が答えるのと店員の声が重なった。
「お待たせしました。アジサイケーキにございます」
「わぁ、可愛い!おいしそう!!」
彼女はケーキに釘付けになる。
その顔は本当に嬉しそうで可愛い。
白いホイップクリームに紫色のクリームで、小さいアジサイの模様が描かれたケーキだった。アジサイを見て、亡くなった母親の顔が脳裏をよぎる。だが、不思議と心は穏やかだった。特段、あの頃のように気持ち悪くなったり、胸が締め付けられるような感じはない。気持ちに区切りがついたからだろうか。
「うまそうだな。俺にも一口いいか?」
だからなのか、勝手に口が動いていた。
結羽は驚いたようにケーキから視線をこちらに向けた。そして、すぐににっこりと笑う。
「うん!ラベンダー味のクリームだけど、食べれる?」
「ラベンダー味は食べたことないな」
「ちょっと大人な味だよ」
そう笑いながら、彼女はケーキを一口大に切り、そのまま和真の口元へフォークを運ぶ。何の気なしにやっているのかもしれないが、和真はどきりとした。そして、何気ないこういう動作を自分だけのものにしたいと独占欲が湧いてしまう。
内心ドキドキしながら、
「どう?」
「なんか、花って感じの味だな」
「ふふふ、そりゃあラベンダーは花だからね」
結羽は可笑しそうに口元を綻ばせ、自分もケーキを食べ始める。幸せそうに食べる結羽を見るのは飽きない。顔に“幸せ”の二文字が分かりやすく書かれている人はそうそういないだろう。昔から結羽の食べている姿が好きで、和真の写真フォルダーは何かしら食べてる結羽ばかりだったりする。本人に言うと怒られそうだから、内緒だ。
「うまいか?」
「うん!やっぱり甘いもの最高っ!」
にこにこしながら、答える姿も可愛い。
そんな姿を見ながら、もう一つ話しておきたいことがあったのを思い出す。
「結羽、後もう一つ、誤解を解きたいことがあるんだ」
「誤解?」
「この前の芸能体験の時のあの女の子とは、何もないからな」
「あ、頬にキスされてた時のこと??」
ズバリと的確に何のことを話してるのか当ててくる。さっきから若干、女の子の話になると言葉に棘があるように感じるのは気のせいだろうか。
「不可抗力なのは分かってるよ。和くん、女の子に、絶対触らないの知ってるし」
ケーキを食べながら、下を向いてるから結羽が今どんな
彼女は今、何を思っているのだろう。
蒼空との関係性も気になる。あの時二人で何を話していたのかとか。だが、蒼空との関係性を聞くより、まずは自分の想いをきちんと伝えるべきだと思いとどまる。
突然、彼女のケーキを食べる手が止まった。まだ少し残っているが、それを脇に寄せてカフェオレを飲みながら、店の外へ目を向ける。
「蓮くん、遅いね。何かトラブルかな?」
「あ、ああ。最近、あいつも忙しそうだよな」
「ね。大丈夫かな?」
心配そうに外を見やる彼女。
その横顔を久々にちゃんと見た気がした。ふと、ここのところ彼女の顔をちゃんと見ていなかったことに気づく。こんなに大人っぽい顔をしていただろうか。いつの間にか、彼女も大人への道を歩んでいた。
再び、あの時の想いが甦る。彼女の傍で、こうしてちょっとした変化にも気付き、自分にだけあの笑顔や言葉を向けてほしいと思う。
「結羽」
「ん?」
彼女の名を呼ぶと澄んだ瞳の中に自分が映る。その瞳を見つめながら、和真は彼女のカフェオレを持つ手に自分の手を重ねる。
「結羽、俺は結羽のことが大好きだ。どんなことがあっても傍にいて、支えたいし守りたい」
彼女の瞳が揺れる。口が開いては閉じと繰り返され、何と返事をしようか困ったような
「あの三人の約束を覚えてるか?返事はその時でいい」
そう言ったとき、店の扉が開いて蓮の姿が見えた。またさりげなく、手を離す。
「ごめん、お待たせ。ちょっと仕事のトラブルがあって」
「やっぱりな。大丈夫なのか?」
蓮が頷きながら、結羽の横に座ってすっかり冷めてしまったコーヒーに口をつける。
「最近、役員とかの揉め事が増えてて……あれ?結羽ちゃん、ケーキ残ってるよ。お腹いっぱい?」
「え、あ、ううん!これ、蓮くんの分」
ぼんやりと宙を見つめていた結羽が我に返ったように、端に寄せていたケーキ皿を蓮へ持っていく。
「え、僕に?」
「うん。和くんもね、さっき食べたの。ラベンダー味のことを花の味がするって言ってて」
「和真は子供と同じ味覚だからね」
「うるさいわ」
「変わらないね、ほんと。結羽ちゃん、ありがとう。いただきます」
自分の時と同じように結羽が蓮にケーキを食べさせるのかと思いきや、ケーキの皿を差し出すだけだった。さっきの告白で動揺しているのだろうか。それとも、期待してもいいのか。
その後も結羽と話す機会は何度かあったが、また目が合うことがなくなってしまい、戸惑いが隠せないまま、結羽の誕生日を迎えることとなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます