第6章 和真の過去①
梅雨祭りの後から、何故だか和真の様子がおかしい。正確には杏子を送って帰ってきた時から変だった。
私の家と和真の家は隣同士で、私の部屋からは彼の部屋がよく見える。一階はカフェとして貸し出していて、二階に和真は住んでいる。祭りの日は、家に帰ってきてすぐにお風呂に入り、部屋でくつろいでいると和真が帰宅した。時計を見ると深夜になる時間だった。どこか疲れた顔をしているように見えた。
「ふぅ」
あれから五日が経つ。和真はいつもと変わらずに送り迎えをしてくれている。それが逆に私を不安にさせる。心なしか無言の時間が多い気がするのだ。
「結羽、どうした?」
いつの間にか考え込んでいて、すぐ近くで不意に頭の中にいた人の声がして、驚く。
「え、あ、いやっ!」
「何か今日、結羽ちゃん元気ない?」
隣を歩く蓮に顔を覗き込まれる。慌てて首を振る。
「ううん、そんなことないよ」
今日は久しぶりに幼馴染三人で明日の準備のために出掛けていた。
明日、和真の両親の命日なのだ。
蓮が心配そうに私を見て、前を歩く和真を呼び止める。
「和真、どこかで休憩しよう」
「ああ、そうだな」
そう言って、近くにあったカフェに目をつけ、入っていく。平日だからか、店内は人が少なくて空いていた。
「結羽ちゃん、カフェオレにする?」
「うん。あ……」
メニュー表を見て、つい期間限定商品に目が行く。それは、アジサイケーキだった。蓮がすぐにそれに気づく。
「これも食べる?」
「食べたい……けど」
ちらりと正面に座っている和真を見るとしっかりと目が合ってしまった。彼は私の言わんとすることに気づき、苦笑した。
「俺に気を遣うな。食べたいの食べろ」
「……いいの?」
「ああ」
「じゃあ注文するよ」
私と彼の会話を横で聞いていた蓮が、三人分をまとめて注文してくれる。
丁度そのタイミングで、連の携帯が鳴った。どうやら仕事の電話のようだ。すぐに席を立って、店の外へ出ていく蓮の後ろ姿を何気なく見つめる。
そして、しばらく静かな時間が流れた。店内の音楽がやけに大きく聞こえる。再び、私は気まずくなってしまう。口火を切ったのは、和真の方だった。
「なぁ、結羽」
「うん?」
「俺はもう平気だ。いつまでも過去のこと、引きずってないから」
どこか苦し気に笑う彼を私は見ていられなくなる。アジサイは三年前に亡くなった彼の両親が好きな花だった。彼らが亡くなってから、和真はひどくアジサイに関するものを嫌うようになったのだ。
あれは、不慮の事故だった。
記録的豪雨の中、仕事に向かっていた和真の両親は、交通事故の巻き込まれて帰らぬ人となった。私たちは当時十七歳で、彼は両親が亡くなってからも普段通りの生活を送りながら、心はここにあらずだった。
『和くん、今日うちで』
『いい。ほっといてくれ』
私や蓮が一緒にご飯を食べようと毎日声をかけていたが、彼は一人になりたがった。どうすればいいのか分からず、私たちも途方に暮れていた。
そうして、私の十七歳の誕生日にそれは起きた。
『なんだよっ、これ!』
朝、和真の大きな声で目を覚ます。珍しく声を荒げている。何事かと思い、部屋の窓を開けて乗り出してみると、玄関先に蓮の姿が見えた。
また、和真の大きな声が聞こえてくる。
『余計なお世話なんだよっ!!』
『待て、和真っ』
何かを和真が蓮に向けて、叩きつけた。そして、和真は家には入らず、蓮を突き飛ばして走って行ってしまった。
蓮より和真の方が運動神経がいいのを知っているからか、蓮は特に追いかけようとはせずに地面に落ちたものを拾う。そのまま顔を上げた拍子に彼と目が合った。
『結羽ちゃん……』
『お、おはよう』
『おはよ。見てた?』
『うん』
私の返事を聞き、蓮は困ったような表情を浮かべた。
『……ちょっと話せるかな?』
『うん、上がって』
彼が頷くの確認してから急いで窓を閉め、寝起きの恰好のまま玄関に向かう。丁度、結が蓮を家に上げているところだった。
『あ、結羽、おはよう。お誕生日おめでとう』
『お父さん、おはよう。……そっか、今日誕生日』
『あれ、珍しい。忘れてた?蓮くんが何か話があるみたいだよ』
『うん、ありがと』
そう言い置いて、結は自室に戻った。私は蓮を連れてリビングに行き、お茶を出す。無言で彼はそれを受け取り、私が座るのを待った。
『言うの遅くなったけど、結羽ちゃん十七歳おめでとう』
『ううん、私も忘れてたし。いつもありがと。それより』
『さっきのことだよね。実は、うちの親が和真のお母さんの鞄を整理してたら、これが入ってて』
蓮がズボンのポケットから取りだしたのは、よれよれになった手紙だった。
宛先を見て、思わず目を見開く。
『私宛……?』
宛先の所には自分の名前が書いてあった。確かに筆跡は、和真の母のものだ。
自宅で書道教室を開いていて、達筆な字だったのを覚えている。どこか懐かしい気持ちになり、手紙をそっと撫でる。
『中、見てみて』
言われた通りに手紙を開いて読んでみる。
内容は、私の誕生日をお祝いしてくれているものだった。だが、最後の方になると和真のことが書かれていた。
“和真は意外と頑固で譲らない所もあるけど、ああ見えて、何かあった時は人一倍後悔して、自分をひどく責める所があるの。これは親の勝手なお願いだけど、蓮くんや結羽ちゃんにはそんな時、あの子の傍にいてあげて欲しい。話を聞いて祖談に乗ってあげて。これからも和真のこと宜しくね”
遺書のようにも感じられる文章だった。
手紙を読み終えたタイミングで蓮が口を開く。
『ここ最近の様子を見てて、思い悩んでいるような節があって。多分、今和真は事故のことで、何か自分のことを責め続けてるんだと思う』
『うん』
『あの日、和真の様子が変だったとか、変わったことはなかった?』
私は事故の日のことを思い出そうと記憶を巡らせ、あることを思い出した。
『そういえば、おばさんと喧嘩したって、珍しく朝からイライラしてたか考え込むも』
『喧嘩か……』
蓮は顎に手をあて考え込む。私は何気なくちらりと時計を見て、慌てた。
『れ、蓮くん、大学は?』
『あ。そろそろ行かないとまずい』
『和くんのことは任せて。今日、私も和くんもテスト休みだから』
『うん、ありがとう。和真も結羽ちゃんには話してくれるかもしれないし』
そう言って、蓮は私の頭を撫でた。少し照れ臭く思いながらも頷く。玄関外まで彼を見送り、私はすぐに着替えて和真を探しに出かける。
幼い時から一緒にいるから、和真が行きそうな所は大体見当がついた。一人になりたい時、決まって彼は池のある公園に行くのだ。そこでぼんやりと魚を見つめて、頭を冷やす癖がある。
早速、近くの池がある公園を探して行ってみると、あっさりと一つ目の公園で彼を見つけた。
『和くん!』
大きな声を出しながら、彼の元へ駆け寄る。和真は驚いたように立ち上がり、振り返った。
『結羽……、なんで』
少し怒った顔を作って、彼の顔を見上げる。
『あんな大きな声出されたら、目が覚めるよ』
『ごめん』
和真は目を見開き、すぐに怒られた子犬みたいにしょんぼりとした顔をする。そんな彼の頬に手を伸ばし、両手でそっと包み込む。
『辛いときは、泣いていいんだよ』
『……!』
私の言葉に呼応するかのように、和真の目にみるみる涙が溜まる。その涙を指で拭おうとすると、彼が顔を背けて私の手から逃げた。彼の耳が赤くなっている。
『……今のは、無し』
『どうして?』
『だ、ダサいだろ。男が女の子の前で泣くとか』
『そんなことないよ?』
すぐに彼は袖で頬を拭い、鼻をすすった。 まだ耳は赤い。その上、心なしか頬もほんのりとピンク色だ。
そんな彼を見て、少し笑ってしまう。まるで小さい子供みたい。
『な、なんだよ』
『ううん、別に。ちょっとスッキリした?』
『……ああ』
それからしばらく、沈黙が続いた。私たちニ人は近くのベンチにどちらからともなく座る。池の鯉がこちらをちらりと見て、優雅に泳いでいく。ふと鯉が水面に顔を出した時だった。和真が池の鯉を見つめながら、静かな口調で話し始めた。私は黙って耳を傾ける。
『あの日……、俺、しょうもないことで母さんと喧嘩して。母さんはいつもと変わらずに見送ってくれたのに、俺は顔も見ずに弁当をわざと落として家を出たんだ』
彼は時折鼻を啜りながら、語った。
そっと自分の手を膝の上に乗っている彼の手に重ねると、彼がその手を握る。何かを堪えるように、力一杯。
『後悔してる。いつもならすぐに仲直りするのに、何であの時は素直になれなかったんだろうって』
下を向いてる彼がどんな表情をしているかは、見えなくても手に取るように分かる。きっと泣くのを我慢しているに違いない。
『もう二度と「ごめん」って言える距離じゃなくなっちまった』
再び、無言の時間が流れる。
そして、鯉が水音を立てると同時に、和真が自分の方に顔を向けた。
『……なぁ、結羽。俺、どうしたらいいか、もう分からない』
どこか虚ろげな彼の瞳に胸が痛くなる。
母を病気で失った時の自分と重なった。
あの時、自分も同じだった。どうしたらいいか分からず、自暴自棄になっていた。でも和真はずっと傍にいて、話しかけてくれていた。他愛ない話ばかりだったが、私が落ち着くまで傍にいてくれたのだ。
和真の母の手紙にあったように、彼の傍にいて、今度は自分が彼を支える番だと思う。
じっと彼の目を見つめ返し、話しかける。
『もう同じことを繰り返さないようにすればいいと思うよ。お母さんがよく言ってたの。「失敗してもいい。またそれを繰り返さないために、その失敗から学びなさい」って』
和真が一瞬だけ、目を見開いたがすぐにいつものように笑った。
『母さん達にはもう会えないけど、同じ後悔だけはしたくない。……いや、しない。いつ何が起きるかなんて、誰にも分からないから。その分、もっと一瞬一瞬を大事にする。俺が出来るのは、この後悔を糧にすることだな』
『うん。素直な和くん、好きだよ』
後悔や悲しみに包まれていた表情が薄れ、新たな決意を胸に顔を上げた和真がいつも以上にかっこよく見えた。その晴れ晴れとした表情につい見惚れてしまう。
『和くん。私はいつでも傍にいるからね』
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