第4話


 年休届けを出した翌日、今週で授業が終るという週の真ん中にいることにカーツンは気づいた。彼が教えている三つのクラスが今週それぞれ最後の授業を迎えるのだ。カーツンが教壇に立つ最後の時が間もなく訪れようとしているのだ。自分の人生における大きな節目になる出来事が迫っているのに、こんな落着かない気持でいいのかと彼は戸惑いを覚えた。今はそこから終生の思い出や教訓を汲み出せるような、しみじみとした、しめやかで澄んだ心境で居るべき時なのではないか、と。が、それは望むべくもなかった。これが俺の定年退職なのだとカーツンは諦めの苦笑を浮かべた。

 学年末考査後はスポクラは俳句の授業に入った。作者一人一句、全部で十五人十五句。一時限に二作者二句ずつ済ませていけば終了式までに終る教材だった。俳句の授業も詩と同じく十年来したことのないものだった。短いだけ詩よりもさらに手間を取らない教材だった。その分、カーツンは作者の経歴や作風、教科書掲載以外の作品の紹介に力を入れた。生徒たちは相変らず興味を示さなかった。確かに残った時数を消化するための授業だったが、長い間触れなかったジャンルなので、カーツンには新鮮だった。進学理系の二クラスは学年末考査の範囲から外れた評論の残りの部分の授業を進めた。全部で五段落ある評論の第三段落までが考査の範囲だった。

 早くもその日、進学理系の一つが最後の授業を迎えた。その授業でなんとか評論を読み終えた。授業の終りに、「今日が最後の授業だ」とカーツンは言ったが、時間に追われていたので、カーツンにも生徒たちの方にもさして感慨はなかった。終りの礼をする時、二、三の生徒が「ありがとうございました」と言った。

 その翌日の三限目がスポクラの最後の授業だった。カーツンは授業の開始時に「今日で最後だな」とさりげなく言った。生徒は無反応だった。カーツンはいつも通り授業を進めた。最後の作者と俳句についての解説を終えると終了時刻となった。チャイムが鳴り、これが最後であることにはもう触れず、カーツンは礼をして教室を出た。

 その後の昼休み、カーツンは二階の応接室に向った。先週末に教科主任の加来が来て、この日時に教科で会議をするので二階の応接室に来てくれと告げた。応諾したが、退職する自分がこの時点で会議に出る必要があるのかと訝しんだ。

 応接室には国語科の教員が集っていて、女性の教員が花束を抱えていた。ああ、やっぱりとカーツンは思った。会合を告げた時、加来が意味あり気に微笑したので、或いは、とは思っていた。

 国語科で退職するのはカーツンと女子部三年の学年主任を務める香山という女教師だった。カーツンと香山は教師たちの輪の中に立たされた。

「この度、国語科では香山先生と江崎先生が定年退職されることになりました。お二人とも長い間本校に勤務され、国語科の柱として科を支え、引っ張って下さった先生方です。お別れするのは残念ですが、今後の両先生のご健康とご多幸を祈ってお送りしたいと思います。先生方、どうもお疲れ様でした」

 加来が淀みなく挨拶を述べた。拍手が起き、二人は頭を下げた。

「それではお二人から一言ずつ。香山先生から」

 と加来が言った。香山は手の甲で鼻の頭をこするような仕種をしてから口を開いた。

「三十五年間がいつの間にか過ぎ去ったという感じです。思い出はいろいろありますが、ありすぎて言葉にできません。本当に楽しく過ごさせてもらいました。ありがとうございました」

 香山の目には涙があった。次はカーツン。

「退職の日が来たというのが何か不思議な気がします。長かったと言えば長かった。短かったと言えば短かった。我ながらよくやってきたと思います。皆さんにはお世話になりました。ありがとうございました」

 当り障りのないことを言おうとカーツンは思っていた。

「それではお祝いの花束を」

 と加来が言い、二人の若い女性講師がカーツンと香山にそれぞれ花束を渡した。拍手が起きた。

「本当は送別の宴でも開きたいところですが、その代りとして国語科からささやかなお餞別の品をお送りしたいと思います」

 加来がそう言うと、二人の男性教師が前に出て、それぞれ小箱をカーツンと香山に差し出した。

「何がいいかと考えましたが、時計にしました」

 加来が言い、二人は頭を下げながら受け取った。セレモニーは終った。

 カーツンは自分の退職に対して国語科として送別会を開くという案が出れば辞退するつもりだった。学年末の定例の飲み会を送別会を兼ねて行うというプランが出ればそれにも出席しないつもりだった。カーツンは加来を始め、男子部国語科の専任教師たちとは肌が合わなかった。教育に対する考え方の違いに加え、この数年はスポクラの授業を自分に押し付けてくる者たちとして嫌悪感が強まっていた。加来はカーツンより十歳余り年下、その他の専任教員たちは二十歳近く年下だった。そんな若い者が指導に手のかからない難関大学進学クラスや特進クラスの授業ばかりを受持ち、担任にも納まっていた。日々の授業に苦労の多いスポクラや私立大学進学クラスは、近年はカーツンの他には女子部から合流してきた教師、若い女性講師など文句を言わない者が担当させられていた。難関・特進という学校では陽の当る、しかも楽な場所で胡坐をかいている加来以下の専任教師を、カーツンは内心で「若年寄」と呼んで嫌悪していた。その気持ちは相手側にも伝わるのか、カーツンに断られることになるようなヘマはせず、さっきのようなそつのないセレモニーを加来たちは案出したのだ。

 香山とカーツンは昨年度は所属が同じ女子部だった。カーツンは昨年度一年間だけ女子部に所属した。初めて所属した女子部は全体的な雰囲気も教科内のそれもカーツンがずっといた男子部とは異なっていた。一言で言えば自由な大らかさがあった。国語科の教員たちも男女を問わず考え方や接し方に柔軟さがあり、カーツンには好ましかった。男女共学という方針によって三年前から両部の教員の統合が進められていた。両部の統合はどちらかと言えば男子部寄りの統合という色彩が強かった。国語科も両部が一つになったが、男子部の教科主任の加来が統合国語科の主任になった。全体的にも教科内についても、女子部の大らかな自由さが男子部の管理主義・競争主義に塗り替えられてしまうのではないかとカーツンは危惧していた。

 香山は長く演劇部と弁論部の顧問をしていた。昨年度カーツンは演劇部の副顧問に任ぜられた。それで部活を通じて香山とはより親しく接することができた。香山は学年主任や生徒指導部長を務めた女子部の幹部教員だった。弁論部の活動では全国コンクールで生徒が文部科学大臣賞を受賞するという成果も挙げていた。鳴かず飛ばずのカーツンとは対照的な経歴の持ち主だった。同じ科に退職者の相棒がいるということは心強いことだった。しかもそれが香山のような実力者なので、カーツンは退職者に関する行事がある場合は香山を前面に立てておけばよいと思っていた。

 その日の六時限目がもう一つの進学クラスの最後の授業だった。その時間は一昨日までは業者模試の説明会のためにつぶれる予定だった。それでカーツンは一昨日の授業で少し急いで評論の授業を終えた。これがこのクラスの最後の授業になるのは残念だなという思いがあった。ところが昨日になって説明会の時間が上にあがり、六限目の授業が復活したのだ。カーツンはよかったと思った。これで最後の授業らしいものができると喜んだ。

 この教師生活最後の年度、カーツンに教える喜びをわずかでも味わわせてくれたのは進学理系の二クラスだった。学習に対する三年スポクラのような陽気な拒絶、二年スポクラのような冷やかな拒絶にカーツンは苦しめられたが、進学理系のクラスの生徒にはまだ学習への興味が動いていた。カーツンの働きかけに応えるものがあった。特に六時限目に授業をするクラスは女生徒を中心にカーツンに親しみを抱いてくれる生徒が多く、彼も授業に熱が入った。宮沢賢治の「永訣の朝」の授業では、この絶唱にこめられた真情を生徒の幾人かに伝え得たという思いで、カーツン自身の目頭が熱くなったこともあった。それだけに最後と目していた授業がつぶれ、評論を終らせる慌ただしい授業を最後としなければならなくなったのは残念だった。だから授業の復活は正にラッキー!と思われた。

 最後の授業は何をしようか。教科書の教材はもう終っているので、カーツンは自分で教材を見つけなければならなかった。それは楽しい模索だった。肩の凝らない楽しいもの。そして生徒を引きこめるもの。カーツンの頭に浮かんでいたのは数年前、三年のスポクラで行った「米洗う前を蛍の二つ三つ」という俳句を用いた授業だった。生徒にこの句から読み取れる時間は朝か晩か、場所は家の中か外かなどを答えさせ、助詞「を」を「に」に変えると蛍の動きがどう変わるかを考えさせたりした。小学校高学年を対象とした教材だったが、インターネットで検索して見つけたものだった。最後の一時間をどう消化するかに迫られて探したものだったが、生徒たちの受けは結構よかった。カーツンは今回もインターネットで検索した。そして「一字題一行詩」という教材を見つけだした。この教材で授業時間の半分を使い、残りは一年間の自分の授業に対する感想を書かせるというプランを彼は立てた。


 やさしい風が桜を運ぶ

 カーツンは黒板にそう一行書いた。

「これは詩です。一行の詩だから一行詩と言います」

 と説明した。

「この詩には漢字一字の題名がついています。春・夏・秋・冬のどれでしょうか」

 問いかけると、生徒たちからは春、春という答が返ってきた。

「正解は春。それではその題名を付けて、もう一度この詩を読んでください」

 題を付けて読み直すと一行詩の味わいが深まる。

 自然が作った大きなわたあめ

 カーツンは次の一行詩を板書した。

「この一行詩にも題名がついています。わかった人はノートに書きなさい。こんどは春・夏・秋・冬は関係ありません」

 カーツンはパソコン画面から印刷した授業展開手順を示す紙を教卓に置いて、その通りに授業を進めた。生徒たちは詩を読みながら考える様子だが、早くも「雲」という声が聞かれた。カーツンはしばらく待ってから答を訊ねた。生徒たちから出た答は「雲」だけ。小学生は「雲」と「空」に意見が分かれたらしいが、そこが高校生との違いだろうか。

「正解は雲。それでは題を付けてもう一度読んでください」

 次は「決して戻らない」「二つあったらいいな」と二つの一行詩を板書して、それぞれ題名を考えさせた。これにはいろいろな答えが出た。正解は前者が「時」、後者が「命」だったが、生徒の答には「恋」「金」「顔」「家」など、なるほどと頷かれるユニークなものがあった。

 カーツンは手順に従って「歌」「心」「友」など八つの一字題を黒板に書き、その中から好きな題を選んで一行詩を作るように指示した。五人の生徒が一行詩を書きあげ、カーツンはそれを板書するよう五人に促した。恥ずかしがって書かない者も居て、結局三人が板書した。作るのはやはり難しいようで、八つの題の全てに一行詩を付けることはできなかった。板書された一行詩をカーツンは生徒と共に面白おかしく批評した。手順では最後に「自分で題名を考えて一行詩を作る」ことになっていたが、時間も既に経過していたのでカーツンは省略して、この授業を打ち切った。生徒の七割方は興味を持って授業に参加したという手応えをカーツンは感じていた。

 次は一年間の授業に対する感想文だ。

「今日で僕の授業は終りになるんだが、どうだったかな、僕の授業は。この一年間の授業に対する率直な感想を書いてほしいんだ。僕はこのクラスで授業ができて楽しかった。感謝している」

 カーツンはそう言って原稿用紙の束を手に取った。

「先生、退職するんですか」

 女生徒の一人が言った。

「うん。定年退職だ」

 カーツンが答えると、

「先生、やめんで。来年もうちらを教えて」

 と他の女生徒が言った。カーツンはホロリとして目頭が熱くなった。

「ありがとう。そう言ってくれると嬉しいよ」

 と応じて、カーツンはそそくさと原稿用紙を配り始めた。

 生徒たちは静かに鉛筆を走らせた。途中、男子生徒が「先生、何年間の教師生活だったんですか」と訊いてきた。カーツンは自分の過去を振り返った。二つの学校に勤務した。前の学校が七年、今の学校が二十一年。いずれも教諭としての勤務だった。その前に非常勤講師として勤めた数年がある。「そうだな、約三十年かな」とカーツンが答えると、へぇーというような声が聞こえた。「名前を書くんですか」という質問もあった。「書いても書かなくてもいいよ」とカーツンは答えた。

 チャイムが鳴る前にカーツンは用紙を回収した。素早く枚数を数えた。出席者全員が提出していた。そのことにカーツンは感動した。内容を読む時間はなくチャイムが鳴り、カーツンは教室を出た。

 充実感を抱いてカーツンは職員室に戻った。最後の授業に関して意図したことがほぼ達成できた充足感があった。

 生徒たちが書いた感想を読むのは少し恐かった。しかし、それ以上に生徒たちが自分をどう捉えているのかカーツンは知りたかった。だから授業に対する感想を書かせたのだ。一息吐いて彼は読み始めた。


「一年間ありがとうございました。江崎先生の授業は深くて楽しく授業を受けることができました。現代文の楽しさ、文を読むことの大切さ、わかった気がします。江崎先生の授業をもう受けられないと思うとすごくさびしいです(泣)。三十年間の教員生活おつかれさまでした。先生が私たちに教えてくれたこと一生忘れません。卒業式には絶対来てくださいね」(K・I 女子)

「現代文の授業を通して、さまざまなジャンルの本に興味が出てきて、たくさん本を読むようになりました。それに想像力が豊かになってきたと思います。それと、作者の生い立ちについては、他の先生では決して学ぶ事は出来なかったと思うし、そのおかげで、作者についてさまざまな事を知ることができました」(A・T 男子)

「先生の授業はテストに関係のないことが多かったけど、普通の先生が教えてくれないような事をたくさん教えてもらいました。板書はめちゃくちゃ長くてノートをとるのが大変でしたが、今になってはノートは宝物です」(W・T 男子)

「この一年間、江崎先生の授業を受けることができてとてもよかったです。江崎先生は文章をただ読ませるだけでなく、筆者のことを細かく教えてくれました。筆者のことを細かく知ることは文章を読む楽しさになると思います。江崎先生の熱心に授業をする姿は一生忘れることはありません」(T・R 男子)

「一年間お世話になりました。先生の授業、ちょっとむずかしかった…でもそれ以上に楽しかったです!!三年でも現文は先生がよかった。先生退職せんでー(泣)。あと一年でいいからおってください」(H・M 女子)

「先生は、本当にいい先生でした。授業も、とても楽しかった。三十年お疲れ様でした。最後の授業、最高でした。私語も多くてうるさいクラスで、授業しにくい部分もあったと思いますが、いつも優しい先生を見ると、何度も頑張ろうという気持がでます。正直、今まで現代文・国語は嫌いでした。成績も上がらないし、小・中・高で楽しいと思いませんでした。でも江崎先生と出会って現代文が好きになったし、成績も上がりました。先生のおかげです。本当にありがとうございました。かつにい大好きです」(H・R 女子)

「板書する内容が問いと答えに分かれていて物語の内容が理解しやすく、ノートにまとめやすかったです。また、作者や著者の経歴も解説があって、知っている人物でも新しい発見がありました。おやじギャグも聞けて意外におもしろい先生だなとおもいました」(S・K 男子)

「先生の授業は板書が多くて少し大変でしたが、教科書にのっていない作者のおいたちや作品を書いた時の状況なども知ることができたので、面白かったです」(N・H 男子)

「最後の授業、とてもよかったと思います。一字題一行詩を最後にしたのはいい選択と思います。題名と詩でその時の情景を思い浮かべたりすることが楽しかったです」(S・T 男子)

「僕は先生の授業は大好きでした。板書がいじょ〰に長いけど、先生のちょこちょこいれてくるギャグがたまらなくおもしろくて本当大好きでした。いままで本当ありがとうございました」(無記名)

「先生の授業はとっても楽しかったです。ただ単に教科書の問題をやるのではなく、いろいろな豆知識をはさんで教えてくれてすごくうれしかったです。また、すごく自分に役立つ情報ばかりでした。いつも私たちの事を一番に考えてくれるかつにいが大好きです♡ 今日までおつかれさまでした。忘れんで下さいね!!」(N・K 女子)

「江崎先生の授業は本当に楽しかったし、ためになりました。ノートもたくさん書いて、わかりやすかったです。たくさんの経験をつんだ先生ならではの知識を聞くのが楽しくて、毎回授業がわくわくでした(笑顔) 先生と授業の前や後に話しすることが本当に楽しくて忘れられません!!!とてもいやされました♡ 先生に出会えてよかったです♡ 先生が担当だったから現代文のテストも頑張れました♡ 三年も先生がよかったです。寂しくなるけど、忘れないでくださいね。また、顔出してくださいね。江崎先生最高です。かつ兄大すき(小鳥の絵)♡♡」(S・T 女子)


 カーツンは幸福感に包まれていた。教師冥利に尽きるなぁと彼は思った。一方でこれらの言葉が自分に対して発せられたものとは実感できないような戸惑いも感じていた。これは俺のことなのかなぁ、こんなにほめられていいのかなぁという感覚。しかし紛れもなくそれは六時限目に生徒たちが書いた文章だった。すべての生徒がカーツンに好意を表していた。使うチョークの色を増やしてほしいという注文はあったが、批判的な記述はまったく見当らなかった。カーツンは生徒たちの優しさを感じた。授業が楽しかったと書いている生徒が多いことが、カーツンにはとりわけ嬉しかった。何よりの餞を生徒からもらったとカーツンは思った。退職までのわずかな日々を緊迫して過ごしていたカーツンの乾いた気持がようやく和み、潤され、慰められていた。こんなことを書いてくれたと生徒の文章を周囲の教師たちに示したい気持にカーツンは駆られた。学校や教師たちが自分をどのように評価しようと、自分の教師としての力はここに実証されているのだとカーツンは生徒の作文によって自信を得た思いだった。

 七時限目が終って、帰りのホームルームも済む頃、私立理系クラスの女生徒がカーツンを呼びに来た。生物教室に来てくれと言う。六時限目に最後の授業をしたクラスの女生徒たちが待っていると言う。カーツンが「どうした」と訊くと、先生と一緒に写真を撮ると言う。ほう、とカーツンは嬉しく思い、面映ゆさも感じながら頷いた。

 カーツンが生物教室に行くと、そのクラスの女子全員がそこに集まっていた。生物教室が彼女たちの清掃担当区域で、掃除が終ったところのようだった。「かつにい」という声がかけられ、女生徒たちがカーツンの周囲に集まった。

「先生、皆と一緒に記念写真撮らせて」

 と中森が言った。

「ほう、それは嬉しいね」

 とカーツンは照れ隠しに少しおどけた調子で応じた。

「先生、あそこに立って」

 と庄野が教卓を指した。その上で蛙などの解剖もできる縦横とも大きく作られた教卓の後ろ中央にカーツンは立った。背景(バック)は上下二段の可動黒板。八人の女生徒がカーツンの左右を囲んだ。他クラスの女生徒がカメラを構えた。女生徒たちはV字に指を広げた手を顔に近づけ、いろいろなポーズを取る。カーツンも精一杯笑顔を作った、つもりだったが、癖で唇をグッと引き結んでしまう。フラッシュが二回、三回と光った。

「先生、ありがとう」

 と女生徒たちは言った。

「先生、さびしい」

 と言う者もいた。

「こちらこそありがとう。君たちのお陰で楽しかったよ」

 カーツンはそう応じて、一人一人の顔を見てから教室を出た。


 そろそろ退勤時刻となる頃、学年の副主任の平野が大きな花束を抱えて職員室に現れた。すると学年主任の越谷が二学年所属の教師たちの机が並ぶブロックの中央に進み出て、

「この場に居られる二年生の先生方、突然ですが、学年所属の大島先生が今年度をもって定年退職なさいます。そこで学年として大島先生に感謝を表明し、先生をお送りしたいと思います。よろしくお願いします」

 と呼びかけた。教師たちがそれぞれの席で起ち上がった。へえー、こんなことをするのかと思いながらカーツンも起ち上がった。大島が越谷の側に立ち、頭を下げた。越谷は平野から花束を受取り、「お疲れ様でした」と言って大島に花束を渡した。教師たちが拍手をした。大島は「どうもお世話になりました。ありがとうございました」と言って周囲に二、三度低頭した。越谷が「先生、これからもお元気で頑張ってください」と声をかけた。セレモニーはそれで終った。

 カーツンは俺はどうなるのだろうと思った。学年に所属していて今年度で定年退職するのはカーツンも同じだった。俺には何もないのかと思うと恥辱を受けたという思いがカッと火花のように胸の中で燃えた。まあ、それならそれで構わないがな、と彼は自分を宥めた。その後、大島が離任式には出ないので、花束の贈呈を今日に繰り上げたという事情が分かった。ということはカーツンへの花束贈呈は離任式の日に予定されているようだった。カーツンの気持は少し楽になった。

 大島は離任式には出ないのかとカーツンは改めて思った。学校から早く去りたいという大島の気持がそこに感じられた。答案丸写しやカンニング、そしてフェースブック事件などクラスの不祥事が起る度に彼は担任としての責任を問われ、うまく管理できない受持ちクラスに嫌気を起していた。離任式不参加はその現れと推測された。しかし、担任としての務めをなぜ最後まできちんと果さないのかとカーツンには疑問だった。それはカーツンが大島に抱いていた、いい加減で無責任なところのある教師というイメージを強めるものだった。

 ふと、不安がカーツンを捉えた。大島が十九日の終了式・離任式に出てこないということは、スポクラのその日のホームルームを誰か代りの教師がしなければならないということだった。とすればそれは副担任であるカーツンの役目ということになる。冗談じゃない、とカーツンは思った。離任式という日に離任する当人がそんな厄介な業務をするなんて御免こうむる。しかも最もストレスを強いられるクラスではないか。かれは最後の日にまで不快な思いはしたくなかった。せめてその日は心安らかに過ごさせて欲しかった。大島のいい加減さが一層嫌悪されるのだった。


   


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