第2話

 中間考査が迫ってきた。試験が始まる二日前に試験監督割が発表された。掲示された表を見ると、カーツンが懸念していた通り、二年スポクラの試験監督の一コマがカーツンに割り振られていた。一学期の期末考査でこのクラスの監督をした際、中井と宅見のカンニングが臭う行為を目にしたこともあり、カーツンとしては二年スポクラの試験監督はできれば避けたかった。トラブルが起きそうな気がした。しかしこのクラスの試験監督には授業担当者が多く割り振られていた。だからカーツンがまた割り振られる可能性は高かった。そしてその危惧が的中したのだ。

試験期間に入ると各教室の黒板には「受験の心得」が張り出される。開始五分前の着席、筆記具・消しゴムの貸し借り禁止などの注意事項が箇条書きされている縦横六十センチほどのコピー紙だが、教員が最も強調する注意が不正行為の禁止だ。「心得」には太字で「不正行為をしないことはもちろん、不正行為と疑われるような行為もしない」と書かれ、発覚した場合の処分についても記されている。試験期間中は毎日の職員朝礼で不正行為の禁止を生徒への伝達事項として指示され、従って各教室の朝のホームルームでは担任から生徒へその注意が毎朝繰り返されているはずだった。だから試験監督は不正行為についての注意は別段せずに監督業務を始めるのが通例だ。しかし二年スポクラの場合はそうはいくまいとカーツンは思った。一学期の期末考査後の坂井の事件の折、中井が「先生はカンニングを見逃す」と言ったことをカーツンは忘れていなかった。監督を始める前に改めて注意をしておこうとカーツンは思った。

「くれぐれも不正行為はしないように。この心得に書いているように、不正行為と疑われるような行為もしないように。見つけた場合は容赦なく摘発するぞ」

 二年スポクラの教室に入ったカーツンは、中井や宅見の顔も見ながらそう宣言した。それから試験用紙の配布を始めた。

 チャイムが鳴り、試験が始まった。カーツンの注意はやはり中井と宅見に向けられた。二人の座席は相変らず隣り合っている。この座席配置は何とかならないのかとカーツンは思うのだった。担任の大島が「チラチラ隣の答案を見よる奴がおるっちゃ」と、自分のクラスの試験中の様子を臨席の教師に零すのをカーツンは聞いていた。試験中の座席は出席番号順と定められていた。だから座席の移動には制約があるが、それでも一列の机の数を変えたり、出席番号一番の席の位置を今と反対の端に変えたりすれば、中井と宅見の机の位置もずれてくるように思われるのだった。大島は工夫が足りないとカーツンは思った。

 宅見の答案はやはり机の右端から出ている。何度か注意されているのに改めないのは自分への挑戦のように感じて、この野郎、とカーツンは思う。宣言した以上、おかしな行為があれば摘発してやるとカーツンは心に念じて宅見と中井の顔を睨む。まだ始まったばかりであり、二人は下を向いて解答に余念がない様子だ。

 カーツンは教壇に立って全体を見渡す。教壇の右端に立って見渡し、左端に動いて見渡す。教壇を下り、左右に目を配りながら机間を歩き、教室の後壁に達する。そこに立って今度は生徒の背後から全体を見渡す。この背後からの監視も効果がある。生徒の頭の動きがよく見える。机の物入れの中も覗ける。生徒に監督が居る位置を知られないという利点もある。

 生徒にこれといって気になる動きはない。しばらく後ろから監視していたカーツンは教壇に戻る。その際、彼は一度通った机間は歩かない。通る机間を変えることで異なった視点から生徒を見ることができるし、何より側を何度も通られる生徒の煩わしさを顧慮するからだ。

 教壇の上に立つとカーツンの目はやはり中井と宅見に向く。今日は中井がキョロキョロしない。宣言が効いたのかなとカーツンは思う。坂井の件では「先生はカンニングを見逃す」などと言った中井だが、学年主任から厳重注意を受けて坂井の授業態度が変ったことは彼も見てわかったはずで、この男もそれで少しは考えるようになったかなどと思うのだった。しかし、宅見の答案が依然として机の右端から出ているのがやはり気になる。だが、この前注意した時の宅見の反発が思い出されて言葉がかけづらい。この答案の位置が宅見にとっては書きやすい位置なのではないか。自分が気にし過ぎているのではないか。そんな思いも注意しようというカーツンの気持にブレーキをかける。

 カーツンは他の生徒はどうしているのかと思い、見回した。答案が机の端に寄っている生徒がやはり数名いる。宅見のように答案が机からはみ出している生徒はいないが、端ぎりぎりまで寄っている生徒はいる。どうしたものかなとカーツンは思う。そして、要は中井が宅見の答案を覗かなければよいのだと考えついた。中井が脇見しないように監視すればよいのだと。その考えに従ってカーツンは中井を注視した。中井とは何度か目が合った。ずっと自分を見ているカーツンに中井は眉根を寄せて煩わしそうな表情をした。何か言ってくるかなとカーツンは思ったが、何も言わなかった。

 カーツンはまた机間巡視を始めた。全体を見ながらも、しばしば中井に目を注いだ。最後の十分間ほどは教室の後壁の中央に立って中井の後頭を注視し続けた。頭が動いて顔が宅見の方に向けば中井が宅見の答案を盗み見ていることを意味した。しかし中井の頭のそんな動きはカーツンの目には捉えられなかった。

 何とか不正行為は防げたのではないかと、フーと太息を吐く思いでカーツンは監督を終えたのだった。

 その翌日、カーツンは副校長に呼ばれた。何だろうと思ったが、この前のコピーの件もあり、いいことではあるまいという予感がした。部屋に入ると椅子に副校長が座っていて、カーツンに座を勧めた。ソファに腰を下ろすと、卓上には答案のコピーが数枚置いてあった。

「これは中間考査の答案のコピーなんですが、ちょっとおかしなことが起きましてね」

 と副校長は切り出した.

「二つの答案が瓜二つなんですよ。間違えている箇所も同じ」

 その言葉を聞いてカーツンはアアッと思った。

「二年のスポクラですか」

 とカーツンは訊いた。

「ええ。古典の答案なんですが、採点していた先生がこれはおかしいと言って持ってきたんですよ。その、上の二枚ですがね」

 カーツンは答案のコピーに目を落した。組・番号・氏名を書き込む欄は黒く塗り潰してある。

「どっちがやったか分かりませんが、写してますよね。それも一個所二個所じゃない。かなりじっくり写した感じです」

 カーツンは二枚の答案を見比べた。副校長の言う通りだった。記述式の解答をする箇所では文章が同じだった。

「それで調べたら先生が監督をされていたそうなので、どんな状況だったかお訊きしたいと思いまして」

「はあ」

 カーツンは頭を少し下げた。やっぱり奴等はやってたのか、と彼は衝撃を受けていた。二枚のうちの一枚の塗り潰された氏名欄をよく見ると、「宅見」の文字が浮かび出た。

「何か心当りはありませんか」

「はい。この二人は私もマークしていたのですが。一学期の試験の時も宅見が答案を横にずらして中井に見せるような感じがあったので注意をしたのです。今回も気をつけていたのですが」

「そうですか」

「ずっと中井からは目を離さないようにしていたんです。横に目をやる様子もなかったので今回は大丈夫かと思ったんですが」

「気がつきませんでしたか」

「はい。こんなことをしていたとは」

 カーツンはウーンと唸って唇を噛んだ。完全にやられたという思いだった。チョロイもんだと自分を嘲る二人の生徒の声が聞こえるようだった。

「監督不行届きで申し訳ありません」

 カーツンは頭を下げた。

「いや、このクラスは他の教科でもトラブルが起きてましてね。問題のあるクラスなんですよ」

 副校長はそう言ってカーツンを責めなかった。学校の中で副校長はどちらかと言えばカーツンに好意を持ってくれている存在だった。

「わかりました。ご苦労さんでした」

 と副校長は言った。カーツンは「どうも」と言って頭を下げ、部屋を出た。

 カーツンは後で二人の生徒についてはどう処置したのかが気になった。答案という物的証拠があるのだから、それを突きつけて問い質せば中井も不正行為を認めるだろうと思われた。是非そうしてほしいものだった。ここで摘発して罰しておけば今後の試験監督も楽になるのだ。あの場で副校長に二人の生徒への処置を質しておけばよかったとカーツンは悔いた。

 中間考査の成績が出た。三年のスポクラは五組が平均63・6点、六組が同じく60・3点だった。両クラスともやはり一学期の期末考査より下がった。カーツンにはそれよりも曾根の得点が関心事だった。曾根は56点を取った。カーツンとしては60点以上を取ってほしかったが、一学期に曾根が取った点と比べれば大きな前進だった。この調子で学年末考査でも点を取れば、学年を通算した平均点は欠点を脱するだろうとカーツンは予測し、一安心した。

 問題は浦橋だった。試験問題作成者はその試験実施中に該当クラスを巡り、質問を受けなければならない。カーツンが五組の教室に入って、「何か質問はありませんか」と呼びかけながら机間を巡っていると、浦橋の席が空席になっている。カーツンは驚いて黒板を見た。欠席者として浦橋の名前が書いてある。〈ウソだろう! 〉と衝撃を受けながらカーツンは教室を出た。職員室への廊下を歩きながら〈何を考えているんだ! 〉とカーツンは浦橋に怒鳴りつけたい気分だった。欠点を脱出する大切な機会を自ら捨てるのか。カーツンには浦橋の気持が全く理解できなかった。試験前は勉強していたから、試験を受ければ曾根のように今までとは違う良い点を取れたはずだ。カーツンはそれを期待していた。これで浦橋が欠点を脱する機会は学年末考査の一回のみとなった。カーツンの気持は重く沈んだ。試験後の最初の授業でカーツンがどうしたのかと浦橋に訊くと、寝過ごした、といとも簡単に答えた。徹夜で勉強して明け方に眠ったが、そのまま起きられなかったらしい。カーツンは「夜も眠らず昼寝して」という冗句を地で行くと二の句が継げなかった。

 二年のスポクラの平均点は34・3。平均点が欠点という惨状だった。欠点を取った者が三十名中十八名いた。一学期の成績が欠点だった五人が今回も揃って欠点を取っていた。カーツンが平均点が欠点であることをクラスで告げると、生徒から笑い声が返ってきた。その反応に生徒の投げやりな気持をカーツンは感じた。試験対策を求める生徒たちに全く応じなかったことが生徒たちのやる気を奪ってしまったのかとカーツンは唇を噛んだ。


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