第6話
カーツンは5月の初め頃から「背伸び体操」をするようになった。これは両手を真っ直ぐ上にあげ、顔を仰向け、背中を反らすように伸ばして、腹式と胸式で各二回深呼吸を行うのだ。簡単なダイエット法として考案されたもので、一日3回、食事前に行うことになっていた。カーツンは昨夏、このダイエット法を実行した。一ヶ月余り、職場でも実行したが、大して体重は落ちず、面倒臭くなってやめた。それを再び始めたのだ。但し今度は減量を目指してではなかった。回数は朝一回だけ。朝起きて、戸外に出て、空を仰いで、朝の新鮮な空気を深呼吸する。カーツンはそれがしたかった。気持がいいではないか。いかにも健康的ではないか。今回は健康法として採り入れたのだ。朝、郵便受けに新聞を取りに出る際、カーツンはこの体操をするようになった。
始めて一週間ほど経った頃、これに左右に体を捩じる運動を加えた。「背伸び体操」は背中を反らせる運動なので、その後でバランスをとるため、上半身を前屈させ、さらに左右に傾ける運動を各一回行うことになっていた。これで上半身を前後左右に曲げる運動が揃うことになったが、もう一つ捩じる運動が不足しているとカーツンは考えた。体を左右に振る、あるいは捩じる運動は体に良いとムーサンが整体の先生から聞き、カーツンに伝えていた。上半身を前屈させ左右に傾ける運動まで加えても1分10秒という短時間で終る運動だった。運動量の不足も感じていた。それで体操が終った後、両腕を左右の体側に交互に60回ふり、上半身をそれに合せて捩じる運動を付け加えた。散歩時の平行歩行と朝のこの日課がカーツンの健康保持のためのルーティーンとなった。
5月の下旬に職場の健康診断があった。その結果が6月半ばに通知された。【糖尿病判定】という欄に赤字で「要精密検査」と記されていた。空腹時の血糖値が110、ヘモグロビンA1cは6・3だった。いずれも正常範囲より高かった。昨年、一昨年の検査結果も記されていたが、この二項目は年毎に上昇していた。3月下旬の血液検査の後、節酒を続け、平行歩行その他の努力をしているのに、ヘモグロビンA1cが0・1しか下がっていないことがカーツンには不満であり、不安だった。これはマズイと彼は思った。スポクラの授業がもたらすストレスを考えると、体の状態は悪化するばかりだろうと思われた。掛り付けの医者が禁酒を勧めた言葉が脳裡に浮かんだ。カーツンはそこまでしなくてもいいと思っていた。節酒で十分だと。しかし、このあたりで何か手を打たないと、一気に糖尿病になってしまいそうな気がした。今年度の最大の目標は健康を維持して定年を迎えることだ。それは何としても実現しなければならない目標だった。カーツンは禁酒を決意した。苦しいなぁと思った。夏休みに入ったわけではない。一学期の真っ只中、ストレスの真っ只中での禁酒だ。毎日のストレスを解きほぐすものこそ酒だ。それが飲めない。しかし、それが何だ。健康を維持して定年を迎えてこそ意味があるのだ。定年後の自由に使える時間こそカーツンの欲するものだった。健康を失えばそれも失うのだ。そう思えば、禁酒を苦しいなどと言っておれなかった。大目標のためには己をコントロールできる意志力を持っていることを自分に証明してやろうとカーツンは思った。
カーツンがムーサンに禁酒の決意を伝えると、そこまでせんでもいいんやけどね、とムーサンは言った。昔やっていたように一日缶ビール1缶だけにすればいいんよ、と言った。確かに70キロ台の体重を64キロまで落した時にはそんなことをしていたとカーツンは思い出した。しかしそれは今、中途半端とカーツンには感じられた。中途半端なことはしたくなかった。中途半端なことでは途中で崩れてしまいそうな気もした。マキシマムをやってやろうと彼は思った。
夕食では酒を飲む代りにご飯は食べないのが習慣だった。禁酒したカーツンは夕食でご飯を一杯食べることになった。ムーサンはカロリー的にはあまり変らないねと言った。酒を飲まないと夕食が早く終るようになった。酔っていないので、夕食後に読書や執筆も可能になった。それがメリットではあった。カーツンは渇きを覚えると、水、日本茶、紅茶、コーヒーを飲んだ。それで結構酒への欲求を紛らすことができたのは幸いだった。自分の欲望を満たさないまま、それを脇に置いて眺めているような、ムズ痒いような感覚をカーツンは味わった。それは一種の修行の感覚だった。
禁酒を始めて十日ほど経った休日の土曜日、カーツンは掛り付けの内科医院で血液検査を受けた。前回同様、朝食後二時間の血糖値を測ることにした。禁酒を始めたことでカーツンは数値の改善を期待していた。特にヘモグロビンA1cはひょっとしたら正常範囲に収まるのではないかと思っていた。前回検査から三ヶ月が経ったので受ける定期検査だったが、そんな期待の結果を知りたくて受ける検査でもあった。
採血後の診察で、医師は厳しい表情で血糖値が183であると告げ、正常値を超えていますと言った。カーツンはその一言でガックリときた。やはりよくないか、と思った。食後二時間の正常値の範囲を知らないカーツンには、医師の表情と語気で183はとても悪い数値のように思われた。努力しているのになぜかなと思った。
「この血糖値ではヘモグロビンA1cも正常範囲を超えているでしょう」
と医師は続けた。
「前回は6・4だったですね」
と医師は机上を見ながら言った。机上には前回の検査報告書が置かれていた。A1cの欄の下は血糖値の欄で、値は259だ。今回はそれより八十ほど下がっている。それは評価に値しないのかなとカーツンは思った。
「こういう状態が続けば薬を飲んだ方がよいかもしれませんね」
と医師は言った。エッとカーツンは思った。この医者にしてはせっかちだなと思った。この医院に掛かって五、六年になる。A1cの値が正常範囲を超えたことは何度もあったが、まだ薬を勧められたことはなかった。そんなに悪いのかな、とカーツンの気持は暗くなった。いずれにしても正式な検査結果が出てからだろうと彼は思った。医者がもし薬を出しましょうと言えば、結果が出てからにしてくれと断るつもりだった。カーツンは薬はできるだけ飲みたくなかった。幸いその日は薬を出されずにすんだ。
翌週の月曜日から一学期の期末考査が始まった。試験は一日三科目までだから、午前中で終り、生徒は放課となる。教員も放課後行事がなければ午後二時で下校が許可されるのが通例だった。月曜日は午後に職員研修が入っていた。火曜日は何もない。採点を三時頃までやって学校を出れば、診療時間内に医院に到着できる。カーツンは火曜日に検査結果を知るために医院を訪れることにした。
待合室で座っていると、女性の看護師が側に来て、受診目的を訊いた。検査結果を知るためだと伝えてしばらく待った。その間、カーツンは医者が薬の服用を勧めてきた場合への対応を思案した。薬はやはり飲みたくなかった。ヘモグロビンA1cの数値が6・4以下であれば、もう少し様子を見させてくれと服用を断ることに肚を決めた。さっきの看護師がまた来て、「先生の診察を求めますか」と訊いた。検査結果が分ればいいので、「いや、いいです」とカーツンは答えた。医者と薬の服用で対立せずに済むので好都合だと思った。医者の診察を求めるかと訊かれたのは初めてだったが、なるほど診察を待たなくていいのは合理的だと思った。やがて看護師が検査結果の用紙を手にして側に来た。「糖尿」の欄だけ、血糖151、ヘモグロビンA1c6・0と記され、その数値には二つとも正常範囲を上回っていることを示す「→」が付いていた。A1cが正常範囲に収まっていないことはカーツンには残念だったが、6・0であれば薬を飲むよう迫られる気遣いはなかった。それで会わなかったのかなと医師の気持をカーツンは忖度した。〈ザマアミロ〉という気持も起きた。血糖値は採血直後の183から下がっていた。正式の検査結果では採血直後に示された数値より20〜30くらい数値が下がることはこれまでも経験していた。後で血糖コントロールの指標を調べると、食後二時間の血糖値では、140〜180未満は「良」と判定される範囲だった。禁酒の効果はそれなりに出ていたのだ。そんなに悪くないのになぜ薬を飲むことを勧めたのか、カーツンには医師の言葉が不可解だった。医師の対応を含めてすっきりしない検査結果だった。
検査結果はカーツンを安堵させるものではなかった。彼は気持を引き締めて禁酒を続けた。
その日、たまたまご飯が切れた。その日の朝食で食べ切ったのに、新たに炊いていなかった。ムーサンはカーツンのためにノンアルコールの缶ビールを買ってきた。それをご飯の代りに飲めばいいと言う。カーツンは戸惑った。ノンアルコールのビールを飲んでまで禁酒を続けるべきかなと思った。そう思うと、禁酒ももうそろそろいいかなと思われた。七月下旬の暑い日々になっていた。久しぶりにビールを飲むと旨さが喉にしみた。いつも張りつめている弦は切れるという言葉をカーツンは思い起こし、禁酒も止め時が来ていたのだと思った。結局、カーツンの禁酒期間は四十一日だった。
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