第5話

 カーツンが今年度受持っているクラスは、三年のスポクラ(スポーツクラス)二つ、二年のスポクラ一つ、二年の理系進学クラス二つだ。学校は長く続いた男子部、女子部の別学体制から男女共学体制への過渡期にあった。三年生は別学体制の最後の学年であり、二年生は共学の第一期生だった。三年のスポクラは男子部所属の男子だけのクラスだ。二年のスポクラは共学とは言っても、男子二十七名、女子三名で、男子クラスの雰囲気だった。

 スポクラはカーツンの苦労の種だ。とにかく勉強する気がない。彼らには部活動が第一義で、勉学は添え物だ。確かに日曜も祭日もなく、春、夏、冬休みもなく、練習に明け暮れる彼らの生活を見ていると、大変だな、と労わりたい思いもカーツンには湧くのだが、それで勉学への無気力は正当化されない。

 部活動の成果によって学校の名を挙げ、それによって入学希望者を増やしたいという大人のエゴからスポーツ推薦という制度が作られ、その制度によって入学してきた生徒で構成されたクラスだ。この制度の孕む矛盾を教科担当者が背負わされるのだ。


 三年のスポクラは例によって初めて接するクラスで、いろいろな運動部に所属する生徒で構成されていた。五組はサッカー部員が多く、クラスの雰囲気は活発でにぎやか(やかましい)であり、六組は柔道部員が多く、鈍重で、やや陰気という特徴があった。

 三年のスポクラは古文がカーツンの担当教科だった。

「先生、どうして古文なんか勉強するんですか。入試科目にはないんだけど」

「古文を勉強してなにか役に立つんですか」

と生徒たちは訊いてくるのだった。彼らの大部分が推薦入試による大学進学を目指していた。彼らが受ける推薦入試で古文が入試科目に入っている例はなかった。

「教養のためだよ」

 とカーツンは答える他はなかった。生徒たちは〈何だ、つまらない〉という苦笑いを浮かべた。

「入試とか何とか、目先のことばかり考えてはだめだよ。日本の古典文化に触れることは決して無駄ではないはずだ。必ず役に立つ時があると思うよ」

 とカーツンは語るのだが、いつも試合に勝つという目先の目標を追いかけている彼らに、自分の言葉はいかにも迂遠なものに響くだろうと思うのだった。

 しかし、教養のための勉強はカーツンの本音でもあるのだ。勉強は人間をつくるとカーツンは考えていた。人は勉強によって世の中や自分について目を開き、考えを深めることができる。それは人生を有意義に生きるために必要なことだ。人間に「生き方」を教えてくれるもの、カーツンにとってそれが勉強だった。

 だから彼は受験教育を嫌った。大学合格などは勉学の目的としてあまりに卑小かつ近視眼的だった。彼のこんな考えは大学合格者数の増大こそ学校発展の要として受験教育を推進する学校の主流派の方針と合わなかった。彼が教科主任によって例年スポクラ担当に配置される理由の一つがこれだった。

 カーツンはこの五、六年、男子部三年のスポクラを毎年担当してきた。カーツンが三年の学年に属していないにも関わらず、昨年などは女子部に所属していたのに、男子部三年のスポクラに配置された。今年も共学部二年に所属しているのに男子部三年のスポクラを二つも受持たされているのだ。カーツンはそこに自分が受験教育に熱心でないという理由だけではないものを感じていた。教科主任は面と向かえば、スポクラには押さえの効く教師が必要だと言うのだが、手のかかる、苦労の多いクラスを押し付けているだけではないのか。なぜ男子部三年に所属する教員に担当させないのか。カーツンはそんな疑問や批判を抱いていた。男子部国語科のカーツンより二十歳以上も若い教師たちは、受験指導に熱意があり、長けてもいるという評価によって、難関大学志望クラスや特進クラスの授業ばかり担当していた。そんな優秀クラスの生徒たちは毎日の授業で教師に手を焼かせることはないのだ。

 三年のスポクラの生徒たちとはカーツンがその学年に所属していないために初めて接することになるのだった。三年生になった生徒たちと初めて対面させられるというのもカーツンには困ったことだった。既に生活や学習のスタイルが出来ている生徒たちはカーツンのやり方にはなかなか馴染まないのだ。

 しかし、カーツンはこうした処遇に甘んじていた。その最大の理由は、彼がやはり難関クラスや特進クラスで受験教育をする気にはならないからだった。

 スポクラは確かに受験教育を免れていた。男子部三年の他のクラスは二学期に入ると、入試準備のために教科書を離れてセンター試験や大学入試二次試験の模擬問題集を解く授業に切り替わった。無味乾燥な純然たる受験のための授業だった。カーツンはスポクラの授業では二学期になっても教科書を使い続けるつもりだった。

 スポクラを担当するメリットを挙げれば、教科担当が教材を自分で選べることだった。他のコースのクラスではコース単位で教材と進み具合が定められていて、教科担当は足並みを揃えることが求められた。スポクラにはその枷がなかった。

 カーツンは三年スポクラの古文の教材を『源氏物語』にした。生徒たちが持っている二年から引き続いて使うことになっている教科書の、三年時に配当されている部分の二番目にある教材だった。生徒たちには何の興味もなかろうと思われる教材だったが、カーツンには『源氏物語』はそれなりに惹かれるところがあった。せめて自分がやりたい教材で授業をするのがカーツンにとっての慰めだった。昨年所属した女子部で、カーツンは「車争ひ」の段を教えた。『源氏物語』を授業でやるのは久しぶりだった。男子部ではそんな長文の教材を採りあげることは少ないからだ。日本の古典文学を代表するものとして、『源氏物語』はやはり読んでおかなければいけないものだとその折カーツンは感じた。それで今回の教材にも選んだのだが、授業をする相手が男子部のスポクラというムクツケキ集団であるのがいかにも不釣合いだった。

 カーツンの古文の授業の進め方は、先ず教材の出典について説明する。『源氏物語』について文学史の教科書で述べられているような事項を搔い摘んで説明するのだ。『源氏物語』の成立について、それが歌物語の叙情性と作り物語の虚構性、さらに『蜻蛉日記』など女流日記の内面性を受け継ぎ、融合・発展させたものだと説明する際には、先行する文学作品のエッセンスを集大成したような作品であり、以後もこの水準を超える作品はなく、古典文学の最高峰であることをカーツンは強調した。千年も前にこのような小説が一人の女性によって書かれたということは世界に例のないことであり、数十ヶ国の言葉に翻訳されている日本が世界に誇る古典であることも述べた。さらに、出現以来、千年に渡って読み継がれ、日本の文学・文化・社会に絶大な影響を与えていることにも言及した。

 カーツンがこの物語の意義についてこのように力瘤を入れて説明するのは、スポクラの生徒たちにこれから学習する教材に少しでも興味・関心を抱いて欲しかったからだ。しかし、カーツンの期待に反して、馬耳東風というように生徒たちの反応は希薄であり、カーツンの声は生徒たちの無関係な話し声にかき消されがちだった。

 次は生徒を指名して本文を音読させる。その生徒の音読する力に応じて分量を調節しながら、数名を次々に指名する。なかにはまともに読もうとしない者がいる。誰も聞き取れない小さな声で読んだり、変な抑揚をつけて、ふざけて読んだり、読めない漢字などは勝手に飛ばして読んだりする。その都度、カーツンは注意して正さなければならない。注意しても一回では改まらないことが多い。指名された生徒が音読している間、「他の者は黙読」と指示しているのだが、教科書を注視している者は数名しかいない。傍若無人の大声で話したり、ゲームのための紙片を机間でこそこそやり取りしている者などがいる。四苦八苦して生徒の音読を終了させると、カーツンが範読する。〈我ながらうまい〉とカーツンが己惚れる読みだが、生徒の話し声が妨害する。「静かにしろ」と叱るために範読は何度か中断する。本文の音読だけで授業時間の大部分が費やされることもある。

 読みが終ると、本文を適当な分量に切り取って板書する。生徒には本文をノートに、行間を二行ほど空けて書き写すように指示している。本文の板書が終ると、生徒を指名して、板書した本文を単語に分けさせる。品詞分解の基礎作業だ。単語の切れ目にチョークで横線を入れさせるのだ。この作業でもまともにやらない者が出てくる。面倒くさいという気持をそのまま出して、考えもせずに滅多矢鱈に切ってしまう者がいる。「おい、おい、考えて切れよ」とカーツンは声をかけるが、もう切り終っている。黄色いチョークで横線を入れていく者がいる。黄色いチョークは生徒の作業が終った後、カーツンが説明を加えながら正しい切り方を記していくのに使うことにしている。紛らわしいので白いチョークを使うように指示しているのに、黄色や赤のチョークで横線を入れていく。黒板の溝の、手の届くところにあるチョークを何でもいいから使うのだ。白いチョークで書き直すように言ってもなかなか従わない。

 生徒の単語分けが終ると、カーツンはそれを見て、誤りを訂正しながら品詞について説明を加えていく。例えばその単語がハ行四段活用の動詞の連用形であれば、単語に傍線を引いて、脇に「ハ・四・用」と書き添える。もちろん全ての単語について書き添えるわけではない。カーツンがそのように品詞分解を進めても、それをノートに書き取っている者は半数に満たない。

 次は板書した本文について読解に入っていく。先ず語句の意味を解説する。単語についてはその目ぼしい意味を列記し、本文での意味を確認する。慣用句があれば意味を押える。その作業が一通り終ると、本文で述べられていることの大意を掴ませる。読解のポイントとなる箇所では「問」を立て、それを板書し、生徒を指名して質問する。生徒は無言の場合が圧倒的に多い。口を開いても出てくる言葉は「わかりません」だ。カーツンは二言三言アドバイスを与えて考えさせようとするが、思考を拒否するように、「わからん」を連発する者もいる。他の者を指名しても事態は変らない。仕方がないのでカーツンは解説しながら答を言う。そして「答」としてそれを板書する。答を示しても生徒からの反応はない。カーツンの自問自答で授業が続いていく趣だ。

 読解が終れば、まとめとして板書した部分の現代語訳を書く。

 カーツンの古文の授業は大凡(おおよそ)このように展開する。これはどのクラスでもやってきたやり方で、自分ではオーソドックスなやり方だと思っていた。ただ、スポクラではその一段階毎に、生徒の授業に対する投げやりな、どうでもいいという気持を味わされる。それに耐えながら進めていくのは難行苦行だ。気力が萎えればお終いだ。

 学習意欲のなさは五組、六組似たり寄ったりだが、授業中の騒がしさは五組の方が勝っていた。その喧しさにカーツンの声がかき消されそうになることも少なくない。その五組の中でもとりわけ元気がいいのが森元という生徒だ。この生徒は授業中、突然教壇に上がってきて、カーツンの肩を掴み、「先生、肩凝ってるやろ、揉んでやろうか」と言ってくる。カーツンが「ありがとう」などと応じていると、力一杯肩を抓んだり、叩いたりする。クラスで一番小柄な生徒なので、そんなことをされても威圧感はないのだが、部活で筋力を鍛えているので力は強い。強く叩かれるとさすがに応える。それでカーツンは「もういい、もういい、だいぶ楽になった」と言うが、やめない。それで声を高めて、「もういい! 席に戻れ! 」と言う。森元はニヤリと笑って、「楽になった? 」と訊く。「ああ、ありがとう」と応じると、満足したように席に戻っていく。

 六組は五組に比べれば静かで声は通るのだが、教室を見渡すと半分近くが寝ている。騒がしい話し声も圧迫だが、居眠りも教師にとっては無言の重圧となる。カーツンはやむなく教壇を下り、一人一人を起して回る。これを一時限の間に数回繰り返すこともある。六組にも森元のような目立つ生徒がいる。この生徒は一人でしゃべり捲る。他の生徒があまりしゃべらないので、この生徒の饒舌が一際目立つことになる。カーツンよりもよく通る

声でタレントの口真似をしたり、下ネタの話をしたりして他の生徒を笑わせる。時には立ち上がり、身振りを加えて熱演する。周囲が囃すと、さらにボルテージが上がる。授業どころではない。

「奥野、静かにしろ」

 とカーツンは注意する。が、どこ吹く風だ。パフォーマンスは続く。カーツンはカッカしないようにしている。カッカするとダメになる。経験の教えるところだ。しかし、この生徒にはそろそろキッチリ言っておかないといけないとカーツンは思っていた。カーツンは言葉を探す。この生徒に語りかけるよい言葉はあるまいか。そんな言葉が見つかるとカーツンの心に余裕が生まれる。よし、いける、とカーツンは思う。

「おい、奥野、今は俺が主役なんだぞ」

 カーツンがそう語りかけると、奥野は、エッというようにカーツンの顔を見た。

「授業中の主役は俺だ」

 カーツンは奥野の目をじっと見て言った。奥野はちょっと笑って、

「それはそうですね」

 と応じた。

「お前のパフォーマンスも面白いかもしれんが、俺の話も面白いぞ。千年前にタイムスリップだ。タダで時間旅行ができるんだぞ。たまには古典の世界で遊んでみないか」

 カーツンの言葉に、

「遊ぶんですか」

 と奥野は笑顔で訊き返した。

「そうだ。遊びながら勉強ができるんだ。これほどいいことはないだろう」

「面白いこと言いますね」

 この奥野の返しに周囲の二、三人が笑う。

「古文ってそんなに面白いんですか」

「そうだよ。それを是非とも味わってほしいな。そのために授業料払ってるんだからな」

 とカーツンは応えて、

「源氏物語についてはもう説明したな」

 と問いかけた。

「ええ、月からやってきたお姫様の話ですね」

「それは竹取物語だよ。聴いてないな、お前は。源氏物語は千年前に書かれた世界最古の長編小説だ。しかも書いたのは一人の女性。世界に例がない。日本の誇るべき古典だ。三年前が源氏物語が出現して千年目に当るミレニアムの年で、いろいろな催しが行われたが、今年の秋には映画も公開される。知ってるか」

「さぁ」

 奥野は頭を捻った。

「誰だったか、主役は忘れたが、テレビでも宣伝してるぞ。こういう事が行われるのは源氏物語が今も生きているってことだ。すごいだろう。千年経っても現役なんだ」

「すごいですね」

 奥野は頷いた。

「だからそのすごい生命力に授業を通して触れてみろよ。決して損はないはずだ」

「なるほど」

「それにお前たちも高三で卒業が近い。卒業すればもう古文を読む機会なんてないだろう。

今のうちに読んでおけよ。お前たちに子供ができて、その子に源氏物語の話なんかして聞かせるなんてカッコイイだろう」

「カッコイイですか」

「カッコイイよ。とにかく授業は静かに聴きなさい。それがお前たちの得にもなるし、私も助かる。親も喜ぶ。いいことずくめだ。」

 カーツンが自分一人にこれだけの言葉をかけたことに満足したのか、奥野は静かになった。カーツンは一息ついて授業に戻った。

 十分程して奥野に目をやると、机に突っ伏して寝ていた。


 二年のスポクラは現代文を教えている。このクラスは三年のスポクラとはまた雰囲気が違う。三年の方がどちらかと言うと子供っぽい。二年のスポクラは冷やかだ。冷めた、白けたような雰囲気が漂っている。そして教師の言動をチェックしている気配がある。何かチョンボをすると、それを突いてくる。油断できない。もちろん学習意欲が希薄で、授業中に授業の内容と関係のない話を傍若無人にしたり、居眠りをしたりするのは三年と共通だが。

 このクラスにも一人、特に手を焼かせる生徒がいる。中井というその生徒は授業中に、四、五メートルも離れた席にいる者の名を呼んで話しかける。話の内容は相手を問い詰めたり、責めたりするものが多い。言われる者は言い返すより弁明に回っている。それで中井のこのクラスでの地位が分かる。しかし授業中に公然とそんな問答をやられてはたまらない。だが、カッカしてはいけない。一息抜いた感じで「静かにしろ」とカーツンは注意する。すると中井はカーツンを見つめる。カーツンも中井の目を見る。二人は睨み合う形になる。再び、カッカしてはいけない、とカーツンは念じる。肩の力を抜いて、どうした、という思いで見つめると、中井は笑うような表情を浮かべて目を逸らした。

 中井の無駄話には下ネタの話もある。性器やオナニーを表す俗語が飛び出す。遠慮のない声が他に話す者もいない教室に響く。教師としてはやり切れない気持ちになる。中井は女性器についても平気で口にする。しかも教室には女子生徒が三人いる。思春期にいる癖に恥じらいはないのかとカーツンは思う。女子三人はいつも黙っている。授業中は一言も発しない。男子に囲まれ、圧伏されている感じだ。こんなクラスにいるのは嫌だろうなあ、とカーツンは彼女らに同情する。なぜこんなアンバランスな編成にしたのかと学校のクラス編成のやり方にカーツンは首を傾げる。しかもスポクラは三年間、クラス員の入れ替えはないのだ。

 現代文の授業の進め方は、先ず作者・筆者について、文末に出ている紹介の文章を読ませ、簡単に説明する。そして教材となっている文章を指名して何人か交代させながら音読させる。読み終わると、文章に含まれている注意すべき熟語や慣用句などをピックアップして板書する。それをノートに写させ、意味調べをしてくるように指示する。次の授業で生徒を指名して調べてきた意味を板書させ、その後でカーツンがそれを点検し、誤りは訂正しながら熟語や語句について解説する。それが終ると内容の読解に入っていく。読解が終ると、確認・まとめとして教科書に付属している「課題ノート」と称する問題集を解いていく。以上の各段階がスムースに進行するものではないことは三年のスポクラと同様だ。

 課題ノートの問題は問題番号順に黒板に解答欄を作り、生徒を指名してそこに答を記入させる。問題番号の上には指名された生徒の出席番号を記入し、誰が当番なのかわかるようにしてある。指名されるとすぐ立ち上がり、教壇に上がって答を書き始める生徒もいるが、他の生徒に訊いたりして手間取る者もいる。なかには指名されているのに全く関知してないような態度をとる者もいる。カーツンは解答欄が埋っていく状況を見ながら、未記入の者の名を呼んで記入を促す。全く問題に向き合おうとしない者は促しに対して「わかりません」と応ずることが多い。「考えたのか」と問うと、「考えてもわからん」と呟くように言う。カーツンは内心で溜息をつく。解答を促すために仕方なく、「何か書かなければ帳面は消えんぞ」と言うと、面倒臭そうに立ち上がり、解答欄に「わからん」と書く。カーツンは苦笑する。そんな「答」を書き込まれた解答欄が二、三ある。

 解答欄が一応埋ると、カーツンは教壇に上がり、解答を始める。間違った答は消し、解説を加えながら黄色いチョークで正解を書き込んでいく。解答欄に「わからん」と書いている問題のところにきた。カーツンは解答を指名された生徒に「わからんかな」と語りかけ、前問とも関連させながら考え方を二、三点アドバイスした。しかし生徒はカーツンの顔を見るばかりで沈黙している。

「どうか、村岡、答が浮かんでこんか」

 カーツンが問いかけると、その生徒はニヤッと笑った。なぜ笑うのかなとカーツンは思って、ハッと気がついた。問題番号を生徒の出席番号と取り違えていたのだ。カーツンが時折やるミスだ。問題番号と出席番号が上下にきちんと並記されていれば間違いは起きないが、離れてしまうとミスが起きる。一つの問題が小問に分かれていて、小問毎に解答者を指名した場合は、小問の方に出席番号が付され、問題番号には付かない。問題番号は単独となる。するとその番号はどちらなのか紛らわしくなる。

「ああ、これはお前が書いたんじゃないのか」

 カーツンは苦笑しながら言った。すると、

「あ、先生、間違ったん? 」

 と、村岡の席に近い田丸という生徒が声を上げた。この生徒も中井と連動して授業を掻きまわす発言をよくする生徒だ。カーツンが板書を始めると、「先生、今日も黒板にいっぱい字を書くん? 」と、いかにも迷惑そうな声を上げて牽制する生徒だ。その田丸が、

「先生、間違ったら謝らな」

 と言った。

「うん? 」

 とカーツンは苦笑いした。〈間違いは誰にもある〉とカーツンは言い返そうと思ったが、生徒にはその言い訳は許されていないことを思って言葉を呑みこんだ。

「うっかりしてたな」

 とカーツンは言った。それで済まそうと思った。すると村岡が、

「先生、謝ってください」

 と言った。カーツンは驚いた。一方で、やはりそうくるか、とも思った。

「僕は傷つきました。謝ってください」

 と村岡は続けた。その芝居がかった言葉に、こいつ、誰かから唆されたなとカーツンは察した。どうしたものか。カーツンは教室の窓に目をやった。謝ることは避けたかった。このクラスで一度でも頭を下げると、尾を引きそうな懸念があった。しかし生徒を取り違えたことは教師としては弁解できないミスのような気がした。生徒たちはカーツンの対応を注視している。うん、ここは潔く謝っておこうとカーツンは心を決めた。

「ごめんな」

 とカーツンは言った。その言葉に二、三人の生徒が笑った。

「ちゃんと謝ってください」

 と村岡が言った。

「はい。すいません」

 とカーツンは言い直した。これ以上は何を言われてもカーツンには謝る気はなかった。田丸が村岡に何か告げたような気配があった。すると村岡が笑みを浮かべて、

「先生、土下座してください」

 と言った。カーツンは反射的に、

「馬鹿! 」

 と一喝していた。それで事は終った。

 授業を終えて教室を出てから、カーツンはこの件を反芻した。本当に謝る必要があったのか。村岡は「僕は傷つきました」と言ったが、何に傷ついたのか。村岡を傷つける言葉は何も発していないことにカーツンは思い当った。〈俺はお前を責めるようなことは何も言ってないぞ〉と突っぱねれば謝らずに済んだと思い、クソッと唇を噛んだ。この出来事の後、カーツンは指名した生徒の出席番号の下には線を引いて区別をつけることにした。

 やはり課題ノートの問題を解かせていた折のこと、中井がふざけて、指名された生徒が書いた答を消して、代りに女性器や男性器を表す俗語を書き込んだことがあった。カーツンが目を離している間の出来事だった。中井としては指名された生徒が叱られることを期待したのかもしれない。カーツンは中井の仕業だと直感したが、現場を見ていないので、「誰がやったのか」と中井の顔を見ながら、一応全体に問いかけた。中井はカーツンの目を平然と見返した。こんなことを続けられてはたまらないと思い、

「こんなことを黒板に書いて恥ずかしくないか。これは立派な授業妨害だ。この次に同じ事が起きた場合は問題にするぞ」

 とカーツンは警告した。ところが中井は翌日の授業でまたやった。今度は現場をカーツンは見た。

「やっぱりお前か。授業が終ったら職員室に来い」

 と中井に告げた。

「ここで言えばいいじゃないですか」

 と中井は口答えした。

「やかましい。職員室で話をする」

 とカーツンは突っぱねた。

 授業が終り、カーツンは中井に、

「中井、来いよ」

 と声をかけた。中井は眉根を寄せてカーツンの顔を見た。動こうとしない。

「来いよ。来なければ放送で呼び出すぞ」

 カーツンはそう言い残して教室を出た。廊下を歩きながら振り返ると、中井が後についてきていた。エレベーターの前でカーツンは足を止めた。振り向いて、

「職員室の前で待っとけ」

 と中井に指示した。生徒はエレベーターには乗れない。

「先生、すみません。これからはやりませんから許してください」

 と中井が言った。おや、この男にしては素直だなとカーツンは思った。職員室で叱られるのはやはり嫌なんだな、と改めてその効果を思った。職員室には担任も居れば部活の顧問も居る。他の教師も居る。それらの教師の目に留まることをスポクラの生徒は特に嫌がった。

「何を言うか。あんなことをしておいて。職員室の前で待っとけ」

 とカーツンが応じると、

「先生、ごめん。もうせんけ」

 と中井は頭を下げ、

「あ、大島先生が来た。ホームルームが始まる」

 と言った。担任が来て、帰りのホームルームが始まると言うのだ。ああ、そうかとカーツンは思った。カーツンの授業は六時間目で、スポクラの日課では最後の授業だった。それがどうした、という思いも動いた。中途半端な処置で済ませたくなかった。しかし、中井を職員室に連れて行けば、中井がホームルームに出られなかった理由を後で大島に説明しなければならなくなるのが煩わしかった。カーツンは舌打ちした。

「ふーん、そうか。今後絶対に繰り返さんな」

 カーツンは確認を求めた。

「はい」

 中井は頷いたが、危機を脱したことを既に感知したその表情には、早くこの場から自由になりたいという苛立ちが表れていた。反省が不十分に終るという不安はあったが、仕方ないとカーツンは諦めた。

「よし、行け」

 カーツンは苦い表情で言った。


 一学期の中間考査が迫ってきた。三年のスポクラは考査までに『源氏物語』の二つの章段を何とか終えられそうだった。そうなれば大問を二つ作れるので、試験問題として適当なものを作成することができる。

 授業で現代語訳まで済み、本文の読解が終ると、内容の理解を確かめるために教科書に付属している問題集を解く。その問題集は「演習ノート」と称するが、二年のスポクラの「課題ノート」に当る。カーツンはさらに「学習プリント」を作成した。本文中に出てくる注意すべき語を抜き出し、その読み、意味を書き込ませる。読解のポイントを本文の流れに沿って改めて問い、解答させて確認する。そんなことのためのプリントだ。そしてもう一つ、指導書についている試験形式の「評価問題」がある。これを考査前にプレテストとして解かせる。この三つは試験対策として機能する。考査問題は「演習ノート」、「学習プリント」、「評価問題」をミックスして作成する。それを生徒にも伝えた。この三種類の問題の解答を丸暗記すれば、本文の内容がよく理解できていない生徒でも百点が取れるという寸法だ。パーフェクトは困難としても、そこそこやっておけば五十点は取れるはずだった。このような点を取らせるための手立てはスポクラを教える他教科の教員たちも行っていた。スポクラには試験に際してこの種の手立てが必要だった。

 二年のスポクラの試験対策は「課題ノート」だけだった。生徒は「プリントはないんですか」とカーツンに訊いてきた。このプリントをやっておけよ、試験問題はこれから出るぞ、という試験対策用のプリントを求めているのだ。生徒から声が出るということは他教科の教員がその種のプリントを作っているということだ。しかしカーツンは三年のスポクラには作成した「学習プリント」を二年のスポクラには作らなかった。その余裕がなかったのだ。卒業を控え、週八時間の授業をこなさなければならない三年のスポクラは、教材を理解させることを含め、カーツンには二年スポクラより重い負担と意識されていた。無事卒業させなければならず、そのためには点を取らせなければならない。その顧慮がカーツンに「学習プリント」を作らせたが、毎日の授業の消化だけでも精力を消耗するのに、そんな余計な作業をしていると二年のスポクラに手当てをする余力はなくなった。

 カーツンが「学習プリント」を作らなかったもう一つの理由としては、二年のスポクラは考査問題を進学クラスと同一にしていたということがある。二年生の現代文の教材はスポクラと進学クラスで共通だった。そして進学クラスの現代文考査問題の作成者は年間を通じて決っていた。そのことを知ったカーツンはラッキー、と思った。スポクラの授業の進度を進学クラスと合せれば考査問題を同一にできる。そうすれば進学クラスの問題作成者が作った問題をスポクラにも回してもらって、カーツンはスポクラの考査問題を作らなくてもよくなるのだ。負担が軽減される。カーツンはそれで行こうと思った。問題は授業の進度だが、進学クラスの週三時限の授業に対してスポクラは週四時限だ。授業時数が多いから進度を合せることは可能と考えた。

ツンに「学習プリント」を作らせたが、毎日の授業の消化だけでも精力を消耗するのに、

 進学クラスと考査問題を同じにして、学力で劣ると思われるスポクラの生徒が点を取れるのかという懸念はあった。しかし、カーツンは楽観的だった。何とかやれるだろうと考えていた。スポクラに進学クラスの生徒を学力で上回ると思われる者が二、三人居ることがその楽観を支えていた。そして一旦、考査問題を進学クラスと同一にしてしまうと、進学クラスとの平等性の観点が芽生え、スポクラだけに特別な手立てを取ろうという気持がなくなってしまった。

 カーツンから考査問題は進学クラスと同一と告げられた生徒たちの反応は微妙だった。それは彼らの多くに問題が難しくなると受けとめられたはずだ。問題が難しくなるのは不安であり、嫌だ。しかし、あからさまに拒否することはできなかった。拒否は自分たちが進学クラスの生徒たちより学力的に劣っていることを自認することだった。彼らのプライドがそれを許さなかった。そこで出てきたのが「プリントはないんですか」という試験のための特別な手立ての要求だった。それにカーツンは応じなかったのだ。

 中間考査の成績が出た。三年スポクラの平均点は五組が73・9、六組が72・9と高かった。カーツンの手立てが功を奏したのだ。好成績にはもう一つ理由があった。三年生は一学期の成績で仮評定が下される。それが内申書に各科目の評定として書き込まれ、志望先の大学に送られる。だから一学期の成績はできるだけ上げておかなければならない。生徒たちは仮評定をよくしようと頑張ったのだ。

 二年のスポクラの成績は平均点が42・7。三五点未満の、いわゆる欠点に該当する者が十二名居た。しかし、カーツンはさして衝撃は受けなかった。こんなものかと受けとめた。第一回目の定期考査であり、その結果でどうのこうの考えることはないという気持だった。

 衝撃は採点した答案を生徒に返した時に訪れた。生徒に答案を返し、各問の解答と配点を口頭と板書で示した後、採点に間違いがあれば答案を持って来いとカーツンは生徒に告げた。いつも通りの手順だ。すると十名の生徒が訂正を申し出てきた。その過半が欠点を取った生徒で、カーツンはおかしいな、と思った。その中の一人は八点も点が上がった。カーツンは内心で、こいつ、答を書き変えたな、と思ったが、証拠がないので、「おかしいな。不正なことはしていないな。カンニングと同じだぞ」と言うことしかできなかった。生徒は「していません」と平然と答えるのだった。その生徒にはそれまで悪い印象は抱いていなかったので、こんなことをする生徒なのかとカーツンはショックを受けた。生徒を信じられなくなる不愉快な出来事だった。同じ事が今後も起きるとすれば対策を考えなければならないとカーツンは思った。

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