第4話

 花見の数日後にカーツンは60歳の誕生日を迎えた。還暦だ。暦が一巡して最初に帰るというわけだ。オレも還暦までは生きられたという思い。人生の一大区切りが訪れたという思い。そんな感慨をカーツンは抱いた。50歳を迎えた時のような緊張感はなかった。その時は「天命を知る」という言葉が反射的に思い浮かび、「もうバカなことはできない」ということを銘記した。バカなことをすれば、それはもう洒落にも愛敬にもならず、純粋に「バカな奴だ」となってしまう年齢になったという思いだった。その折の自戒はそれなりに有益だったと彼は思っていた。

 60歳を迎えた感慨は何より定年退職と結びついていた。それは第一の人生の終結だった。生計のために自分の時間とエネルギーを切り売りする生活の終結だった。カーツンの意識からすれば賃金奴隷としての生活の終了であり、苦役の刑期満了だった。

 カーツンの家では家族の誕生日は、ワンちゃんを含めて、手巻き寿司で祝うことになっていた。そして飲み物は白ワインが定着してきていた。その日はサンジイとサンバアも加えて乾杯のグラスを上げるのだった。祝福のワインを飲みながら、還暦の祝いは解放への通過点であり、手放しで喜べるものではないことをカーツンは確認していた。最後の年度は始まったばかりであり、新たに授業を受け持ったスポーツクラスはやはり今後の多難を明確に予知させ、新たに所属した学年のメンバーは人間関係において慎重な対応を彼に迫るものだった。この一年を無事にクリアしなければ彼は待望の解放には到達できないのだ。一年後がとても遠い先のように思われ、その思いにカーツンは耐えなければならなかった。

 カーツンの誕生日から十日ほど経つと、今度はサンジイの誕生日となった。4月は二人の誕生日が含まれる月だ。サンジイは満91歳となった。手巻き寿司と白ワインでお祝いだ。その日は例年とは違ってサンジイのグラスにもワインが注がれた。

 サンジイは日頃焼酎のお湯割りを飲む。カーツンの誕生日にもサンジイはワインは飲まなかった。酒についてはウマイ・マズイを言わないサンジイだが、ビールは「酸いい」と言って飲まなかった。その日、サンジイのグラスにワインが注がれたのは、いつもワインを開け、グラスに注ぐ役目をしているカーツンの胸に〈この人の誕生日なのだから〉という思いが生まれたからだ。家族の誕生祝いは毎年繰り返されてきた。その度にカーツンはサンジイのグラスにはワインを注がなかった。ムーサンもサンバアもそれを当然視していたし、カーツンもそれでよいと思っていた。サンジイも文句は何も言わなかった。サンジイがワインを飲まないのはカーツンには好都合だった。その分自分たちの飲める分量が増えるからだ。しかし、数年が経つうちに、カーツンの心に〈悪いな〉という思いが生じていたのだ。

 サンジイは注がれたワインを一口飲んで、「酸いい」と言って顔を顰めた。それでカーツンはサンジイがビールと同じようにワインも好まないことを思い出した。それでサンジイのグラスにはワインを注がなくなったことも。余計な罪悪感だったなと彼は内心で舌打ちした。

 サンジイは自分の年齢を覚えていない。「誕生日おめでとう」と言われて、「俺、なんぼになったんかな」と問い返す。ムーサンが「父ちゃんは今日で満91歳よ」と答えると、「ほう、そうか。長生きしたな」と応じる。これがこの十年ほど誕生日の度に繰り返されているやり取りだ。誕生日だけではない。普段でも、「俺は今、何歳なんかね」と脈絡もなく訊いてくる。それもかなりの頻度だ。答えるのが煩わしいので、カーツンはサンジイが使う卓上鏡の裏側に、「あなたは大正9年(1920年)生まれ。今年は平成23年(2011年)。あなたは今年満で91歳。数えで92歳」と書いた紙を貼り付けた。サンジイが自分の年を訊いてくると、鏡を裏返すように言う。サンジイは言われた通りにして貼り紙を読む。そして「ほう、91歳か。長生きしたね」と言う。しかし翌日には、あるいは数分後にも同じ問いを発するのだ。

 毎年6回繰り返していることなのにサンジイは手巻き寿司の作り方が分からない。卓上に置かれた刺身や野菜の皿を見て、「これ何かね」と訊く。

「手巻き寿司やないね。いつもやってるやろ」

 とムーサンが応じる。

「ほう、どうするんかね」

 とサンジイは訊ねる。カーツンは本当かな、と疑う。本当にサンジイは分からないのか。年齢についてもそうだが、サンジイには分かっていても知らないような言動をするところがあるとカーツンは感じている。

「焼き海苔の上にワサビとご飯をのばして、刺身と野菜を重ねるんやろ」

 とムーサンが説明する。

「ほう、そうかね」

 とサンジイは言うが、手を動かさない。ムーサンはサンジイのために手巻き寿司を作ってやる。


 ワラシの散歩でカーツンの苦労は続いていた。

 家を出て、旧国道を左に行くか、右に行くか、どちらにしてもワラシは途中で止まってしまう。10メートルほどで止まってしまうこともある。そこで引き返してはあまりに短い。そこでカーツンは指標を定めた。左に行った場合は「行通安全」の石柱が立っている十字路まで、右に行った場合は、旧国道から路地を下りて猿田彦の石碑が立つ十字路までを最短距離と定め、そこまでは何とかワラシを歩かせる。それが無理ならそこまでワラシを抱えて行くことにした。行きはなかなか足が進まないワラシだが、帰りになると引っ張らなくても順調に歩きだすという特徴があった。だから十字路の地点にワラシを置けば、自力で家まで歩いて帰る確率は高かった。

 ワラシが停止すると、歩き出すのを待ちながら、カーツンはその場で平行歩行を行う。数を数えながら大腿を地面に平行になるまで交互に上げ、下ろす。リードを持って、犬の側で足踏みをしている男を通行人はどう見ているだろうとカーツンは思う。ワラシがいつまでも歩き出さない場合は、リードを引っ張って促さざるを得ない。それを繰り返すうちに、50歩平行歩行で前進し、次は50回平行歩行の足踏みをするというやり方をカーツンは思いついた。途中に足踏みの休憩が入るのだから、ワラシにもそれほどの負担にはなるまいと考えた。

 それはカーツンとサンジイの誕生日に挟まれた休日の夕方の散歩だった。その時もそんなやり方をしながら右に30メートルほど進んできたのだ。すると、どういう訳か、ワラシがそこから引っ張らないのに歩き始めた。いいぞ、とカーツンは思った。しかしやがて立ち止まるだろうと思っていた。ところがワラシは止まらなかった。基本コースの路地に入る地点に達した。いいぞ! 素晴らしい! カーツンは嬉しかった。ワラシは再び、いや三度、「奇跡」を起こすのではないか。カーツンはワラシを右折させて路地に導いた。ワラシはヨタヨタと路地の坂を下って行く。やがて石碑のある十字路に達した。カーツンは公民館の方向へ右折させる。ワラシは幾度か止まって道の端に生えている草に鼻を近づけて嗅ぐ。が、それは長い時間ではない。ワラシはまた歩き出す。カーツンは意気揚々と平行歩行を続けながらワラシと共に歩く。公民館の横を過ぎる。道が三叉に分かれる地点に来る。カーツンはワラシを右折させ、旧国道への回帰を目指す。ワラシは歩く。この子には間欠的にこんな事が起きる。それまでのウップンを晴らすように、ザマアミロというように、ワラシは歩き続ける。この力はどこから来るのか、この子はやはり特別な犬なのだ。カーツンはそう思ってワラシを見つめる。ツムジがいなかったら、ワラシはもっともっと元気で、自分やムーサンが期待していたように20歳まで生きたろうと思うとカーツンは切ない気持になる。坂になった路地の中途を溝が横切っている。ワラシはそこに差し掛かった。溝には格子状の金属製の蓋が被せてある。3・11の快挙の折にはワラシはこの溝を跳び越えることができた。あれから一月以上が経っている。ワラシの衰えは進んでいる。カーツンはワラシの様子を見ていて、これは無理だなと思った。と言うより、それを強いるのは酷なように思った。彼はワラシを抱き上げて、溝を越えた所に置いた。ワラシは歩行を再開した。そして旧国道に入り、遂に一周を達成した。三度目の慶事だ。

 5月のゴールデンウィークに入った。朝・夕の犬たちの散歩はカーツンの休日の日課だ。ムーサンが加わることもあるが、カーツン一人の場合が多い。ワラシの散歩では苦労が続いていた。平行歩行で50歩前進し、50回足踏みするという方法は、うまくいく時といかない時がある。50歩前進の際、ワラシが動かない場合はずっと引き摺って行くわけにはいかない。止まって、また足踏みを始めるほかはない。それは疲れるし、通行人の目も気になる。

 カーツンはもう一つの方法を見つけた。リードの引き方に緩急のリズムを付けることだ。

先ずグーとワラシを引っ張る。ワラシは引かれてツツツと二、三歩、前のめりになる形で歩く。そこでふっとリードを緩める。リードを緩めてもワラシは余勢でなお二、三歩、ヨタヨタと歩く。止まりそうになるとまたグーと引っ張る。ツツツとワラシは前のめりになって歩く。そこでリードをふっと緩ませる。これの繰り返しで結構スムースに前に進める。距離が稼げる。そうしているうち、ワラシがリズムを掴んだのか、自力で歩き始めることもある。

 カーツンはワラシには元気な頃から二様の歩き方があったことを思い起こした。首を立て、サッサッサと早足で歩く歩き方と、ユッタユッタと体を左右に揺すって、スローモーに歩く歩き方と。散歩のなかでワラシはこの二つのモードを臨機応変に切り換えるのだ。歩き方のこんな切り換えをする犬も珍しいのではないかとカーツンは思っていた。リードの引き方に緩急をつける方法はこのワラシの資質に合っているのではないかと思われた。

 朝の散歩が終るとカーツンは応接室に入る。以前は散歩の後には犬の食餌作りという仕事が控えていたのだが、三匹とも10歳を超える老犬となり、食事の量を減らした方が健康によいだろうという判断で、今年から一日一食、夕食だけにしたのだ。カーツンの負担がそれだけ減ったことになる。その代り、鶏の干し肉やビスケットなどをおやつに与える。

 応接室にはパソコンが置いてある。パソコンに小説の原稿を打ち込むのが四月以来、カーツンの休日の日課となっている。三年前から書き始めた四百字詰原稿用紙四百枚を超える長編小説だ。パソコンを置いている机の左側のアルミサッシのガラス戸の下に毛布と座布団を敷き、ワラシが横たわっている。ワラシは正月以来、応接間で一日を過ごすようになっている。ツムジから隔離するためだ。

 カーツンは時折、キーボードの上を動く指を休めて、ワラシを見つめる。いつ見ても寝ている。本当に動かなくなったとカーツンは思い、悲しくなる。散歩の時以外にワラシが動くことはなくなっていることを思う。応接間の中でも寝たきりで、数時間に一、二度、寝る位置を変えるために動くだけだ。これでは後脚の衰えは進むばかりだ。カーツンは椅子から立ってワラシの側に行き、頭を撫でる。ワラシが目を開けてカーツンを見る。カーツンはワラシの後脚を摩る。更に後脚を握って屈伸させる。動物病院で背骨や腰の辺りにレーザーを当てる治療をしているが、どれだけの効果があるのかとカーツンは思う。屈伸を繰り返していると、ワラシが嫌がって逃げようとする。それでカーツンはその動作を諦め、椅子に戻る。

5月15日はカーツンが「5・15事件」と呼んでいるワラシの誕生日だ。ワラシはこの日、満14歳となった。家族の誕生祝いは手巻き寿司と決っているが、ワラシには手巻き寿司では有難味がないだろうとカーツンとムーサンは話合い、今回は初めて焼肉で祝うことにした。牛肉は何と言っても犬の大好物だ。日頃は鶏肉ばかりだからご馳走だとわかるだろう。これまでも夕食のメニューが焼肉やスキ焼などの時は、ワラシは匂いでわかるのか、食事が始まる前から食卓の周りをうろついていたものだ。食餌を与えても人間の食べ物の方に気を取られるようで、自分の皿の中の物はろくに食べずにすぐ離れ、ムーサンやカーツンの椅子の側に来て、見上げたものだ。

 ムーサンは犬たちのために肉を取り分けておいた。ツムジとカティアに押されがちのワラシだが、カーツンとムーサンは手分けして、ツムジを遠ざけるようにしながらワラシに肉を与えた。「ワラちゃん、おめでとう」と言って肉を箸でつまんで鼻先に差し出すと、ワラシはパクリと食べ、元気なところを見せた。ワインは肉料理に合せて赤ワインにした。カーツンはできればこれもワラシに飲ませたかった。

 ワラシの誕生日から一週間後の日曜日。この日は、朝雨が降っており、犬の散歩はできなかった。午後になって雨は止んだ。夕方の散歩にムーサンとカーツンは出かけた。ムーサンがツムジとカティアを担当し、カーツンがワラシを受持つ。この分担が固定的になっていた。カーツンの方がワラシと息が合う。ムーサンはどうしてもワラシを引っ張ってしまう。ワラシのスローモーな動きにはカーツンの方が気長に付き合えるようだった。

 ツムジとカティアはムーサンに引かれて、旧国道から路地に入り、既に姿を消していた。その後を追ってワラシも旧国道を右に進む。緩急をつけてリードを引くことや、平行歩行50回を織り交ぜながら、何とか自力で猿田彦の碑が立つ十字路までワラシはやってきた。カーツンはほっと一息つく思いで、しばらく休んだ。ワラシは周囲に生えている草を嗅いでいる。今からのUターンではワラシは強い。スムースに歩いてくれるだろう。そんな思いでカーツンはワラシを眺める。

 さぁ、出発。カーツンのリードに引かれてワラシは歩き始めた。ヨッタヨッタとした足取りだが、往きとは違って力が感じられる。止まらない。やはりいいぞ、とカーツンは嬉しくなる。リードは引っ張らない。ワラシの歩きに任せる。坂を上り始めた。坂の中途から左に下る小道がある。その入口に差しかかった時、ワラシが歩みを止めた。どうするのかなとカーツンはワラシを見つめた。ワラシは小道の方に顔を向けている。この道に入りたいのかとカーツンは思った。そのまましばらく動かなかったワラシだが、不意に体を反転させた。そして十字路に向かって戻り始めた。オイ、オイ、オイ、これはどういうことだ、とカーツンは少し慌てて後に従った。十字路に着くと、止まらずに右折した。公民館の方に向かって歩いていく。カーツンは唸った。ワラシは四度(よたび)、コース一周を敢行しようとしているのかもしれない。雨のためにできなかった朝の散歩の分のエネルギーが溜っていたのかもしれない。とにかくワラシは歩く。公民館の側面を過ぎて右折。路地の坂を上り始めた。その黙々と歩く姿を見つめるカーツンの心に感動が湧き上がる。この子はどんな子なんだろう。何という力を持っているのだろう。飼い主の願いにこうして何度も応えようとするこの子は。この子とずっとずっと、あと何年も一緒に生きていきたかった。素晴らしい子なのに。感動は切なさに変わる。ワラシは旧国道に入った。そして四度目の一周を果した。最後となった一周を。


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