~88~ エクトル宅
丁寧な運転で1時間ほど走ったところで、フランクは車を停めた。
羽琉が視線を流すと、広くはないが庭付きの一軒家の駐車場前に車は停まっている。
「ここが私の家ですよ。土地自体は広いのですが、ずっと1人暮らしなので家はそこまで広くしていません」
確かに程良く整えられている庭の面積を見ると敷地自体は広そうだ。その中にちょこんと一軒家が建っている。
家の外観もオフホワイト調で落ち着いた印象を受け、庭を彩る花壇も、樹齢を重ねたであろうセイヨウトチの木も、周囲の風景に溶け込んでおり、羽琉は一目見てすぐに気に入った。
エクトルが後部座席から下り、その後を追うように羽琉とフランク、友莉も車から下りた。
「もし気に入らないところがあれば、ハルの過ごしやすいようにリフォームしても大丈夫ですよ」
「そうですね。和風テイストを入れてみても良いかもしれませんよ。庭を日本庭園風にしてみては?」
フランクもエクトルに同意するように付言するが、当の羽琉は驚きつつブンブンと首を横に振る。
羽琉抜きでどんどん話が進んでいくエクトルたちを尻目に、羽琉の隣に立つ友莉が「二人のことは無視して良いわよ」呆れ口調で言い放った。
「取り敢えず羽琉くんはこの地に慣れることに専念して。あと語学ね。少しずつ焦らずに。余裕が出てきたら身近なフランスの法律を学んでみて。そうすればどうやって暮らしていけばいいかが分かってくるから。その後で私の会社で働くかどうかを考えてみてね。くれぐれも羽琉くんのペースで、無理はしないように。その間はエクトルに思う存分甘えなさい。頼られた方がエクトルも幸せだと思うわ。何かあったら私やフランクにも相談してね」
「いろいろとお気遣いありがとうございます」
羽琉は友莉に深々と頭を下げる。
「慣れるまでは苦労すると思うわ。日本とは土地も人種も違ったりするから、些細な壁にぶつかったりもすると思う。だからね、悩んでもいいけど、周りに私たちがいることは忘れないで。どんな小さなことでも話してくれると嬉しい」
「はい。ご迷惑をお掛けすると思いますが、これからよろしくお願いします」
友莉の心遣いに目を潤ませながら言うと、友莉は「こちらこそ」とにっこり微笑んだ。
「ユリはどうしてそうすぐにハルと打ち解けられるんだ」
2人の様子を見つめていたエクトルが不服そうに言いながら近寄る。
羽琉も不思議に思っていたが、電話越しでも友莉に対してはあまり警戒心を抱かなかった。こうして会話をしていても呼吸の乱れもないし、疲れることもない。男女関係なく人間関係は苦手なはずなのだが、友莉に対しては最初から何も感じなかった。
「さぁ? どうしてかしら。でも何となく近しく感じるから、私も話しやすいわ」
エクトルは複雑そうな表情で「私以上にハルと仲良くして欲しくないな」とついポロッとこぼしてしまう。
「はいはい。嫉妬は醜いわよ。それに羽琉くんを縛るような発言も駄目」
友莉の言葉にドキリとしたエクトルは、サッと羽琉の方に向き直ると肩に手を置き、「ハル!」と真剣な表情で詰め寄った。
「ハルの行動について私がどうこう言うつもりは決してありません。ましてや縛るつもりなんて。ハルはハルの思う通り、自由に過ごして下さい」
エクトルは慌てて弁解する。
必死に言い繕うエクトルの表情は不安そうだ。羽琉に嫌われるようなことを言ったかもしれないという後悔が滲み出ている。
「いえ、あ、はい。大丈夫です。ありがとうございます」
戸惑いながらもコクコクと肯く羽琉に、エクトルはあからさまにホッと表情を緩ませた。
「ほんとエクトルの世界は羽琉くん中心に回ってるわね。でも、悪くないわ」
慌てふためくエクトルの様子に友莉も満足そうに微笑む。
「羽琉くん。エクトルを選んでくれてありがとうね。エクトルを幸せにしてやってね」
自分でエクトルを幸せに出来るかどうかは分からない羽琉は、窺うようにエクトルにちらりと視線を流した。
「ハルがそばにいてくれるだけは私は幸せですよ」
そう満面の笑みで言われ、羽琉は少しはにかみながら「えっと……はい」と控えめに返事をした。
「今日は羽琉くんと会えて良かった。本当はエクトルの家で日本茶でも飲みながら羽琉くんとの会話を楽しみたいところだけど、長時間の移動で疲れているだろうし長居するのも悪いから今日はこれで。ここからうちまではそんなに遠くないから、近いうちまた会いましょうね」
友莉は羽琉の頭に手を置きポンポンとする。
「はい」と微笑む羽琉の返事を聞いてから、フランクと共に友莉は自宅へと帰っていった。
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