~57~ そして……本当の答え

【今、友莉と話しています】

 フランクが所持している2台目のスマホからそう連絡があった。

 取り敢えずフランクは会うことが出来たようだが、羽琉の体調――主に精神的な――がおもわしくないことを知り、エクトルは苦し気に表情を歪める。

 多分、羽琉は気付いてしまったのだ。エクトルが羽琉の過去を知っていることを。触れないようにしていたことが、逆に不審に映ったのかもしれない。

 自分の対応が裏目に出てしまったことを悔みつつ、エクトルは今後の羽琉との接し方を模索していた。

 だがハルはまだ私と会ってくれる意思が残っているのだろうか? そんなことを考えると解決方法を探すことが無意味に思えてしょうがなかった。

 ソファーの背凭れに全体重を預けるかのように凭れかかる。

 せっかく成就しかけた初恋を、自らの手で壊すようなことをしてしまった自分の愚かさに呆れてしまった。

「ユリの言った通りだ。私はハルの傷を抉っただけだった」

 自分のことを陰で他人に探られれば誰も良い気分はしないだろう。しかも羽琉にとっては一番知られたくない傷を暴かれてしまったのだ。今後一切関わるなと言われることも覚悟しなければならない。

 ハルに嫌われてしまったな……。

 本日何度目か分からない重い溜息を吐いた時、ふとテレビの上にある掛け時計に目が止まった。時刻はあと15分ほどで午後1時になろうとしている。

「まだ電話が長引いているんだろうか?」

 帰りが遅過ぎるということはないが、体調を崩している羽琉に負担を掛けるようなことをフランクや友莉はしないはずだ。しかも昼食時間にも掛かっているため、何かあったのではないかとエクトルは少々不安になった。

 フランクに電話しようかとスマホを手に取った時、部屋のインターホンが鳴った。

「フランクです。遅れて申し訳ありません」

 少し安堵しつつ部屋のドアを開けた途端、エクトルはピタリと固まってしまった。

「こんにちは。今日は連絡出来なくて、すみませんでした」

 そう言って頭を下げる羽琉を、エクトルは驚きの表情で呆然と見つめる。

「小田桐さんをお連れしました。月の光の許可はとってあります。あとはお2人でどうぞ」

 羽琉を部屋の中に押しやり、にっこりと微笑んだフランクはそのままドアをパタリと閉めた。

「あの……少しだけ、僕に時間をもらえますでしょうか?」

 フランクが出てからすぐに羽琉がお伺いを立てる。

「……もちろんです」

 かなりの動揺はあるが、エクトルは精一杯の笑顔で羽琉を迎えた。そして羽琉をソファーへと案内する。

 羽琉を2人掛けソファーに促した後、エクトルは1人掛けのソファーに腰を下ろした。今の状況で隣に座ることは無論出来ない。

「私に言いたいことがありますよね?」

 羽琉がソファーに腰を下ろしたのを見届けた後、意を決してエクトルの方から先に訊ねた。

 友莉から何を聞いたのか。友莉と話して羽琉の心境がどう変化したのか。それを知るのは怖いが、受け入れる覚悟をエクトルはしている。羽琉からどんなに辛辣な言葉が投げられようとも全ては自分の責任だ。いっそのことばっさりと切り捨てられた方が、羽琉に対する気持ちを消しやすいかもしれない。それでも時間が掛かることは言うまでもないのだが――。

「大丈夫です。私に遠慮はいりません。何でも言って下さい」

 諦めの滲む笑みを浮かべ、羽琉が話しやすいよう道筋を作る。今のエクトルには、それくらいしか羽琉にしてやれることがなかった。

「言いたいこと……というより、聞きたいことがあります」

 控え目に話し出した羽琉に、エクトルは穏やかな表情で「はい」と肯き返す。

「本当に、僕で良いんですか?」

「……え?」

「ほんとに……こんな僕で良いんですか?」

 別れを突き付けられるという先入観があったため、最初は問われている意味が分からなかった。だが消え入るように訊ねる2回目の言葉に、エクトルは「ハルが良いです」とはっきり答えた。

「私にはハルしかいません」

 真っ直ぐと羽琉を見据え、エクトルは嘘偽りのない気持ちを伝える。

 と言った羽琉の言葉は、友莉から全て聞いたことを物語っていた。

 きっと一度はエクトルのした行いに失望したはずだ。一番知られたくない過去を知らないうちに探られていたのだから。

 だが羽琉はエクトルを責めることはなく、それでもこんな自分を好いてくれるのだろうかとエクトルに問い掛けていた。

「ハルがまだ私を望んでくれるのなら、ずっと一緒にいたいです」

 面映ゆそうに表情を歪めた羽琉は、エクトルの言葉に少しずつ笑みを作る。そして「……僕、さっき分かったんです」と話し始めた。

「エクトルさんのことを何とも思ってなかったら、勝手に詮索されたことを怒って嫌いになってたと思います。でも僕は過去を知られたことでエクトルさんにと思いました。エクトルさんに嫌われたくないってことは、つまり僕は……エクトルさんのことが好きってことなんだなって」

「ハル……」

「友莉さんといろいろ話したお陰で、やっと自分の気持ちが分かりました。ちゃんとした答えが遅くなってすみません。『多分』じゃなく、僕もエクトルさんが好きです」

 微笑む羽琉に息を呑んだエクトルは、徐々に碧眼を細める。

 愛おしい気持ちが溢れそうだ。

 エクトルはソファーから腰を上げると、羽琉の隣に座り直した。そして羽琉の頬に手を伸ばす。

「ハル。好きです。大好きです」

「……はい」

 恥ずかしそうにしながらも照れて微笑む羽琉がどうしようもなく可愛い。

 そのままキスしたい衝動をどうにか抑え、柔らかい頬を撫でるだけに留められたことが自分でも驚きだ。

 羽琉はエクトルの手を拒絶することなくされるがままになっている。ただどうすれば良いのか分からず戸惑っているだけなのかもしれないが、エクトルに対して警戒心や恐怖心といったものはないように見える。

 その信用を失うような行為はしたくない。

「私は今回ほど自分の行いを呪ったことはありませんでした。ハルに嫌われる覚悟を決めるのはすごく苦しくて辛くて、自分が自分じゃないかのように頭も体も上手く機能しなかった。自分がどれほどハルを好きで必要としているのか、再認識させられました。ハル。本当にすみませんでした」

 真剣な中に心底申し訳なさそうな色を滲ませ謝罪するエクトルの声音には、羽琉から許されることを懇願している心情が表れていた。

「ハルが抱えている心の傷も、どれだけ時間が掛ったとしても私が癒してみせます。だから……そばにいさせて下さい。私がハルの一番そばにいたいです」

 エクトルの真摯な碧眼の眼差しに羽琉は目を細める。

 泣きながら朝を迎えることも、痺れるような手の震えも少なくなってきたが、心の中に根付いたトラウマはそう簡単に消せるものではない。裏切られた心の傷もいつになったら癒えるのか分からない。

 それでも、そんな羽琉も全部受け入れてくれるのなら――。

「そばに、いてくれますか?」

 窺うように訊ねる羽琉に、エクトルはパッと表情を明るくし「はいっ!」と勢いよく返事をした後、幸せそうに満面の笑みを浮かべた。

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