~56~ 友莉③
【まったく。エクトルもフランクもフェアじゃないわ】
次に聴こえた友莉の憤慨している声音に、驚いた羽琉は目を丸くした。突然のことに何のことを言っているのか分からなくなる。
【さっき匂わせてしまったから正直に話すわね。エクトルもフランクも私も、あなたの過去のことは知っているの。エクトルの指示でフランクが探偵を雇ってあなたのことを調べさせたから】
「!」
やっぱり、そうだったのか……。
嫌な予感が的中してしまった羽琉は、息を呑み言葉を失った。
【でもそのやり方には正直ムカついたから、私は2人に説教してやったわ】
徐々に暗く塞ぎそうになっていた羽琉の気持ちが、続く友莉の言葉で若干逸れたことで下降に歯止めが掛かる。
【恋愛をするのは自由よ。でも陰でこそこそするのは私は嫌いなの。それにいくら想いが強かったとしても、お金を使って好きな子のことを第三者に調べさせるなんて私には考えられない。それは自分で相手のことを知ろうとする努力を放棄していることと同じよ。その努力をする前から白旗を上げているなら付き合う資格はないし、そんな中途半端な想いなら羽琉くんにも失礼だわ。だから、そんな軽い気持ちなら今すぐ捨てなさいって言ってやったの】
「……」
唖然としてしまった。
落ち込むどころか、友莉の怒りが電話越しでガンガン伝わり、呆気に取られてしまう。
【本当の恋愛を知らない人だから、裏でいろいろ卑怯な手を使ってしまったのかもしれないけど、相手の心を手に入れたいなら、まずは真摯に相手と向き合うことが大事でしょ? 会話を重ねて相手を知って、自分のことも知ってもらって、同じ時を過ごす中でお互いの嫌いな部分も見つけて、でもそれも含めて尊重しながら愛し合えるのが素敵な恋人関係だと思わない? だから羽琉くんに対するエクトルのやり方、私は認めないわ】
「……」
清々しいほどの友莉の正論に、羽琉はただただ聴き惚れてしまった。
同時に、曲がったことが嫌いで何事にも真っ直ぐな性格の友莉を選んだフランクの好感度も一気に上がる。
心地良い友莉の声と言葉のお陰で、暗くなりそうだった羽琉の心も、早鐘を打ちそうになっていた鼓動も平静を保つことが出来ていた。
【初めてだからって許されることと許されないことがある。今回に関しては特にそうね。だから日本にいるうちに、ちゃんと羽琉くんに打ち明けて謝罪しなさいってエクトルには伝えたわ。それが誠意ってものだと私は思ったから。まぁ、その様子だと、まだ謝罪はしてないみたいだけど】
友莉の口調から、仕方ないなぁというような雰囲気を感じた。どのタイミングで切り出すか、エクトルも悩んでいることが分かったのだろう。そこを咎めることはなかった。
今の話を聞くまではエクトルと会うことが怖かった羽琉だが、モヤモヤと悩んでいたことが友莉の暴露によって一気に開かれたことで、逆に妙にスッキリした心地がしていた。
【フォローをするつもりはないんだけど……あなたの身に起こった出来事に、エクトルはかなり胸を痛めてたわ。心の傷はどうやったら癒せるのかって、私やフランクに何度も辛そうに零してた。羽琉くんに頼ってもらえたら、いつでも助ける準備は出来てるのにって。日本語の習得が早かったのも、そこが力の源になっていたのかもね】
「……」
違う意味で胸を締め付けられたような気がした。帰国した後もここまで気を配ってくれていたことを知り、チリチリと熱いものが込み上げる。
【エクトルは会社では敏腕なのかもしれないけど、恋愛に関してはてんで無能なの。いろいろ間違ったことをする時もあるけど、そこに羽琉くんへの一途な想いがあることだけは信じてあげて欲しいな】
先程とは違う柔らかな友莉の声音にエクトルに対する情のようなものを感じた。フランクの上司というより、エクトルの一友人としてその恋愛を応援していたことは確かなようだ。
「でも、僕は……あんなことが、あったから……」
それ以上口にすることも憚られ、羽琉は唇を噛んで言葉を飲み込む。
自分は穢い。
当時のことを思い出そうとする度に精神的不安定に陥り、頭痛や嘔吐、動悸などの身体的症状が起こる。周りの環境に助けられたことで、この1年半でだいぶ症状は軽減したのだが、当時はその過度なストレスで、もういっそ死にたいと思うほど生きること自体に疲弊していた。今でも苛まれる穢い過去を知られてなお、エクトルと交際する勇気が羽琉にはない。
だが尻すぼみで消えた羽琉の言葉の続きを、友莉は聞き逃すことはなかった。
【それでもエクトルは羽琉くんを求めてるわ】
「!」
その一言に全てが凝縮されていた。
途端にエクトルに会いたい気持ちが溢れそうになる。羽琉の鼓動は先程とは違う理由でバクバクと早鐘を打っていた。
それを察したのか否か、受話器越しに【あ、そろそろ行かなきゃ】と声が響いた。
【私と話してくれてありがとう。フランクは車で来てるはずだから、エクトルに会うなら行き帰りは送ってもらいなさい。今度はフランスで会いましょうね】
羽琉の心境の変化を感じ取ったかのような、そして今後の展開を見通しているかのような言葉を最後に【バイバイ】と一方的な明るい別れの挨拶を残し、友莉は電話を切った。
ツーツーツーと通話の切れた音を聴きつつ、幾何学模様のスマホの待ち受け画面を見つめる。
羽琉は大きく深呼吸すると、廊下で待っているフランクを部屋に呼び「ありがとうございました」と言ってスマホを返した。
「友莉が何か失礼なことを言ったりしませんでしたか?」
不安気に訊ねるフランクに、羽琉は首を横に振る。
「いいえ。すごく素敵な方で、話しているととても清々しい気分になる方だなと思いました」
そう言って微笑む羽琉にフランクはハッとした。
先程見た活気のない表情はどこにもなかったのだ。逆に控えめに微笑むその表情に爽やかな印象を受ける。
「さっきまでいろいろ考え込んで抜け出せなくなりそうだったんですけど、友莉さんと話したことで吹っ切れたような気がします」
「……それは、エクトルとのことでしょうか?」
フランクの質問には答えず、羽琉は壁に掛けてある時計に視線を逸らした。もうすぐ12時だ。耳を澄ますと昼食を運ぶワゴンのキャスターの音も聞こえる。
先程の友莉の言葉に、フランクと共にホテルに行きエクトルと会って欲しい旨の含意を感じたが、それを今日実行に移すのは無理そうだった。
「すみません。今日はもう外出できないので、明日また連絡しますとエクトルさんにお伝えしてもらっても良いですか?」
そう言って羽琉がフランクの方に視線を戻すと、フランクは先程手渡されたスマホの画面に視線を落としていた。そしてスマホ画面を見つめながら、「外出の許可が取れれば、今日エクトルに会ってもらうことは出来ますか?」と訊ねてくる。
「え?」
「私がきちんとお送りしますので、笹原さんに許可をもらっても良いですか?」
「……」
性急な気がした羽琉が怪訝気にフランクを見つめていると、苦笑したフランクがスマホ画面を羽琉に向けた。
「友莉がそうしろと」
スマホにはメールの画面が映し出されており、そこに『エクトルが心配なら今日中にお願い』と記されていた。
フランクに宛てたのか羽琉に宛てたのかは分からないが、友莉は1人不安がって待っているエクトルのことを察したのかもしれない。
フランクとしても打ちのめされているエクトルの姿を目の当たりにしているので、その状態から一刻も早く解放してあげて欲しいという気持ちはある。
「今まで見たことがないのですよ。エクトルのあんな姿」
肩を落とし、羽琉に避けられていると言ったエクトルの切なげに細められた碧眼の目が少し潤んで見えたのは見間違えではないだろう。
「小田桐さんから嫌われていると思っているので悄然とするのは仕方ないのですが、このままでは今夜控えている会食に支障をきたしかねません。脅しに聴こえるかもしれませんが、私を助けると思って承知してもらえませんか?」
懇願するフランクに困惑したが、羽琉としても嫌われているという誤解を早々に解きたいとは思う。
「では、許可が取れれば……」
「昼食を摂っていて下さい。私が笹原さんに交渉してきます」
羽琉の言葉を最後まで聞く前に、フランクが言葉を被せてきた。そしてそのまま部屋を出ていく。
即行のフランクに一瞬呆気にとられたが、あまり待たせないよう、羽琉は慌てて運ばれた昼食に手を付けた。
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