~54~ フランクの憂慮
月の光に向かいながら、フランクはホテルで待っているエクトルの心情を勘考した。
羽琉から良い返事をもらった後の音信不通なため、エクトルにしたら幸せの絶頂から奈落の底に落とされたようなものだろう。激しく落ち込む気持ちも分からなくはないが、正直、こうまで暗然となるとは思いもしなかった。
以前エクトルは「ハルにフラれたら使い物にならなくなる」と苦笑して言っていたが、どうやら冗談ではなかったようだ。これでは本当に仕事に差し支えることになる。
エクトルの手腕を知っているからこそ、ビジネス以上にプライベートを充実させ、さらに辣腕を振るってもらおうとフランクは思っていた。だがこうなった時の代償が大きいことももう少し考慮しておくべきだったと今更ながらに後悔している。
エクトルが本気で羽琉に惚れていることを知った時は、やっと恋愛に本腰を入れる気になったのかと嬉々としていたが、エクトルにとって本気の恋とは諸刃の剣だったのかもしれない。
つらつら考えていたら、月の光の正面玄関にまで辿り着いていた。
自分が面会を希望しても断られる可能性が高いが、友莉と話せる段階までは話をもっていきたい。羽琉の体調も気になるが、ここはフランクの踏ん張りどころだった。
「こんにちは」
自動ドアを通り受付に挨拶をすると、「こんにちは。ご面会ですか?」と笑顔で事務員に返される。明らかに外国人であるフランクが日本語で話してくれたことにホッとしたような安堵の笑顔にも見られる。
「小田桐さんに面会を」と言う前に事務員の後ろにある事務室に笹原の姿を捉えたフランクは、思い切って「笹原さん」と声を掛けた。
「はい?」
カルテに目を通していた笹原は自分の名前が耳に入り、すぐに受付カウンターにいるフランクのところまで近寄ってきた。
「私に何かご用でしょうか?」
名前を呼ばれたことを不可解に思っていた笹原は微かに眉根を寄せる。
笹原はフランクと面識がない。半年前、エクトルの隣にいたフランクを遠目で見ていたはずだが、覚えていられるほど接していたわけではないため忘れているのも無理はなかった。
もちろんフランクの方は覚えていたのだが。
「私、先日ここに伺ったエクトルの友人でフランクと申します」
エクトルとの関係性を詳しく説明する必要はないだろう。友人と言うだけで事足りると考えたフランクは軽めの自己紹介だけで終わらせる。
「今日エクトルが伺うことが出来なくなったので、代わりに私が小田桐さんにお会いしたいのですが、面会は可能ですか?」
少し目を瞠った笹原は、その後微妙に表情を曇らせ小さな息を洩らした。
「え……っと、そうですね……、今はどうも気分的に塞いでいるようなので面会は難しいかと思います」
やはり精神的に何かあったのだ。それを知ったフランクも表情を曇らせる。
それがエクトルに関することなのかは分からないが、原因がエクトルならば自分も会うことは出来ないだろうとフランクは瞬時に悟った。
どうしようかとしばらく黙考していたが、「では電話なら可能でしょうか?」と笹原に提案してみた。
「電話、ですか?」
「相手は私の妻なのですが、私が小田桐さんの話をした時、どうしても話してみたいと言っていて……やはり駄目でしょうか?」
困惑顔で笹原も思案する。
羽琉の場合、高校時代に関係する人物は完璧にアウトなのだが、全くの部外者で、しかも面識のない相手となると精神的に不安定になるのかどうかは分からなかった。
笹原が近藤やカウンセラーの指示を仰ごうかと思っていた時、「……フランク、さん?」と小さな声が聴こえた。
今回羽琉はフランクと会っていなかったが、半年前気難しそうな顔をしてエクトルの隣に立っていたフランクのことをぼんやりと覚えていたようだ。
「小田桐さん。ご無沙汰しております」
膠着状態から一筋の光を見出したような心地になったフランクは安堵の息を漏らす。そして羽琉から声を掛けてきたことで、フランクを全面的に拒絶する気はないのだと悟る。
もっとも、訪れた相手がエクトルだったら避けていたかもしれないが――。
「いらしてたんですか?」
そう言ってフランクに近寄ってきた羽琉は表情も活気がなく、声にも張りがなかった。
「羽琉くん。キツさはない?」
隣に立つ笹原が心配そうに訊ねるが、羽琉は「はい。大丈夫です」と微笑んで答える。その笑顔もどこか曇って見えた。
無理をしているだろうことがフランクでも分かったが、笹原もそれ以上突っ込んで聞くことはしなかった。そして「何かあったら言ってね」と声を掛け、フランクに会釈をした後、笹原はまた事務室に戻っていった。
「すみません。連絡を入れようと思ったんですが、少し体調を崩していて」
「いいえ。そのような時に訪ねてしまって申し訳ありません。エクトルも心配していました。今日は私1人なのですが、今、少し大丈夫ですか?」
「……はい」
逡巡するような仕草を見せたが、羽琉は拒まなかった。
「では取り敢えず、僕の部屋へ」
促す羽琉の後を付いていくフランクは、羽琉の精神的不安定にはやはりエクトルが絡んでいることを察した。
それでもこうして気丈に対応してくれたことにフランクは深く感謝した。羽琉が声を掛けなければ、あのまま会えずに帰らなければならなかったかもしれない。そうなるとエクトルをさらに絶望の淵に追いやることになり、友莉からは怒涛のような罵声を浴びることになっていただろう。
どちらかというと後者の方に悪寒を感じ微かに肩を竦めた時、「中へどうぞ」という羽琉の声が聴こえた。
先にフランクを促してから自身も部屋に入った羽琉は、フランクの前に丸椅子を差し出した。
「ありがとうございます」と言い、フランクが腰かける。
「今回エクトルの代理で参りました。お加減がよろしくないということなので時間を縮めるために率直にお聞きしますが、昨日エクトルと何かあったのでしょうか?」
単刀直入なフランクの質問に、羽琉はどう答えようかと眉根を寄せた。
「……いえ。本当に具合が悪かっただけで、特に何かあったわけでは……」
「エクトルが心配していました。今も仕事が手につかない状態です。何か気に障るようなことをエクトルが口にしたのでしょうか? 良ければお聞かせ下さい」
敢えて詰めて訊ねるフランクに、羽琉も次第に息苦しさを感じる。納得の出来る答えを聞くまでは引かないような威圧もあり、羽琉は自室なのに居心地の悪さを感じた。
羽琉の様子を慎重に確認しながら、もう一度重ねて訊ねようとフランクが口を開いたその時、フランクのスマホがバイブレーションと共にコール音を鳴らした。
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