~53~ 友莉①
「ハル……」
本日10回目の溜息と共に吐かれた言葉に、「何かあったんでしょうか?」とフランクが答える。
時刻は11時過ぎ。いつもなら羽琉と公園でまったりと過ごしている時間だ。
体調が悪くても律儀な羽琉は、ちゃんとその旨をエクトルに伝えるはず。なのにエクトルのプライベート用のスマホは一向にコール音を鳴らさない。
「分からない。昨日会ってた時は普通だった」
「何も違和感はなかったんですか?」
「なかった……と思う。流れで渡仏の話をした時も、驚きはあっただろうが気になるような素振りはなかった。ハルには金銭面を考えずフランスに行きたいかどうかだけを考えてくれと伝えて別れたんだ」
「では、その渡仏の話が何か引っ掛かったんでしょうか?」
フランクの問いには答えず、眉間に深いしわを刻んだエクトルは沈鬱な表情になる。そして、羽琉の気分を害するような発言をしただろうか、自分の言い方が何か悪かったのだろうかとグルグルと考え込んでしまう。
沈思していたせいか、フランクのスマホが鳴った音すら聴こえなかったほどだ。我に返るきっかけになったのは、フランクが「友莉か」とこの場にいない人物の名を発した時だった。
「……ユリ?」
呟くようなエクトルの声に、フランクが通話口を押さえて「はい」と返事をする。
「昨日友莉に小田桐さんのことを話しました」
そう答えるフランクの声に被せるように、電話越しで友莉が【エクトルに代わって】と訴えていた。
近くにいなくても聴こえた友莉の声に、フランクと目を合わせたエクトルはスマホを渡すよう手を差し出した。
「アロー、ユリ」
【フランクから聞いたわ。おめでとうエクトル】
友莉にエクトルの言葉は最初の「ア」の部分だけしか届いていないだろう。あとの言葉は思い切り被せてきた。
「……」
その祝辞は非常にありがたかったのだが、今はそれを素直に喜ぶことが出来ない状況だ。エクトルはぐっと口を噤んでしまった。
【なぁに? 何かあったの?】
落ち込んでいるエクトルを察し、フランクは「失礼」と言ってエクトルの手からスマホを取ると別室へと移動した。
「小田桐さんから連絡がないんだ」
【どういうこと?】
怪訝そうに訊ねる友莉にフランクは事の経緯を伝える。
すると【はぁ~】と電話越しでも分かる強めの溜息が聴こえた。
【フランク。今すぐ羽琉くんのところに行って】
「……何をする気だ?」
【何をする気? じゃあフランクもエクトルも何もしない気なの? 分からないって悶々とするだけ? それで何か答えが出るっていうの?】
「……」
【私もあなたから羽琉くんのことを聞いてるから二の足を踏むのは分かるわ。繊細な心の問題だからこそ、慎重な対応をしないといけないことも理解出来る。でもね、いくら想いを込めてもちゃんと言わなきゃ伝わらないこともあるのよ。いくら考えても訊かなきゃ分からないこともある。初恋のエクトルが落ち込むのはしょうがないとしても、あなたはエクトルの補佐でしょ? こういう時率先して動くのが仕事なんじゃないの? しっかりしなさい】
正論を突き付けられ、フランクはぐうの音も出なかった。
だが友莉に言われたことでフランクも考えを改める。自分がエクトルと一緒に躊躇っている場合ではない。エクトルの恋愛を応援しているからこそ、こういう時どう動けば良いのか考えるべきだ。
「だが友莉、君は何か案があるのか?」
先程の友莉の言葉に策があるように聞こえたフランクは怪訝気に訊ねる。
【私が羽琉くんと話してみるわ】
「え?」
【こういうことは第三者が出た方が良いの。本来ならフランクの役目だけど、フランクはエクトル寄りの人間だから、私の方がまだ話せるかもしれない】
ただでさえ人付き合いが苦手な羽琉が、初対面の友莉に何かを話すだろうか? どちらかというと頑なに口を閉ざすような気がしたフランクは、友莉の言葉の真意を読むことが難しかった。
【一応エクトルの許可をもらって、フランクが羽琉くんに会いに行って。そこで私が話すわ】
半ば強引に押される形で「……分かった」と返事をしたフランクは、電話を切ってエクトルの元へ戻った。
「エクトル。私が小田桐さんのところに行ってもよろしいでしょうか?」
「……え?」
突然の切り出しに、それまで考え込んでいたエクトルは驚いたようにフランクを見つめた。
「友莉が小田桐さんと話すと言っていまして、私1人で小田桐さんに会いに行けと」
「……それは、どういう意図で?」
「私にも掴めません。ですが、私はどちらかというとエクトル寄りなので、第三者である自分が小田桐さんと話してみると友莉が言っていました」
「フランク。ユリにどこまでハルのことを話した?」
咎める口調ではなかったが、フランクは深々と頭を下げた。
「申し訳ありません。エクトルと小田桐さんの交際が始まったことと、小田桐さんが抱えている過去のことも話しました。これからエクトルとの交際が続けば自ずと私たちとも繋がることになります。友莉が小田桐さんに不用意な発言をしないよう伝えておくべきだと思ったので、他言しないことを約束した上で友莉にだけは話しました」
再度「申し訳ありません」と詫びるフランクに、エクトルは「大丈夫だ」と返す。
「ということは私がハルの身辺を調べていたと、ユリの口から伝わる可能性があるのか」
自嘲気味に言うエクトルに、フランクも苦い表情になる。
だがここでエクトルと共に感傷に浸っている場合ではない。
「友莉は完璧な第三者ではありません。私の妻でエクトルのことも知ってます。又聞きではありますが、小田桐さんの過去のことも知っています。それに現在はフランス国籍を取得していますが、友莉は日本人です。だからとは言いませんが、小田桐さんの心の機微を敏感に察知することは我々より長けているのではないでしょうか。その上で何か解決策を見出してくれると私は信じています」
しばし黙考したエクトルは一つ小さな息を吐くと「良いよ。行っておいで」と切なげに苦笑しながら言った。
「多分、私は今、ハルに避けられている。その私が行ってもハルは会ってくれないだろう。借りを作るようで癪だが、ここはユリに任せることにする」
肯いたフランクはすぐに月の光に向かう準備を始めようとしたが、「それから」と続いたエクトルの言葉に足を止める。
「ハルの体調がどうなのかを知りたい」
付言された言葉とエクトルの心配気な表情に、再度肯いたフランクは「小田桐さんと面会が出来次第、一報を入れます」と返答した。
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