~52~ 気付いた違和感

 午後からいつものように優月との時間を過ごした羽琉は夕食を摂った後、ベッドに横になりつつ午前中にエクトルから言われた渡仏の件を考えていた。

 金銭面を考えるなというところがどうしても受け入れ難くはあるが、エクトルが願うなら取り敢えずは排除して考えることに努める。

「シンプルにフランスに行きたいか。エクトルさんとの生活が出来るかどうか……」

 もともと旅行は好きなので行くことに躊躇いはないが、今回のは旅行ではなくフランスに住むことを考えないといけない。

 胸を抉られるような辛く苦しい過去の出来事を思い出してしまう日本の地に羽琉が執着する理由はない。家族といっても父親との縁はすでに切れているし、離婚した母親には新しい家族がいる。それに羽琉が月の光にいればいるほど、施設の支払いをしている母親には負担が掛かってしまうのだ。

 金銭面を除外した上で全てを総合して考えると、エクトルと共にフランスに行くことは羽琉にとってかなりメリットがあると思う。

「もうすぐ20歳になるし、退所の期日も迫ってきてる。自立しないといけないのに、いつまでも母さんに頼ってちゃいけない」

 だからといってエクトルに頼るのは良いのかと自問し、羽琉は苦悩した。

 考えるなと言われたが、金銭面はどうしても頭に引っ掛かってしまう。渡仏費用だけでなくその後の生活面のことも言われたが、独り暮らしをしたことのない羽琉でも相当な金額が動くことは分かる。それは昨日今日恋人になった相手に簡単に支払える金額ではないはずだ。例えエクトルがどれほど稼いでいたとしても、やはり羽琉には受け入れがたい提案であった。

 ただ自分の気持ちに正直になるのなら、やはりエクトルと離れるのは怖いというのが本音だった。未だ恋愛感情に慣れないため、すぐに冷めてしまいそうな気もするからだ。それならばフランスに行く方が、羽琉がまだ知らない恋愛のことを深く知ることが出来るのではないだろうか。

 どうすれば良いのか悶々とする中、ふと自分の中で疑問が浮かんだ。

 エクトルが羽琉の身内のことに関して一切触れていない点だ。渡仏行きの話をするなら当然羽琉の家族の話が出るはず。未成年の羽琉を渡仏させるには家族の了承を得るのが筋だろう。その辺の常識を持ち合わせているはずのエクトルは、何故か羽琉に何も聞かなかったし言わなかった。

 今日だけではない。これまでもエクトルから羽琉の家族について聞かれたことはなかった。

 違う。故意にしなかった?

 そう思い至った羽琉は横たえていた体を勢いよく起こした。

 エクトルさんは何かを知っているんだ。僕に関する何かを――。

 そうでなければ、ここまで話を進めておいて家族の話を一切しないのは絶対におかしい。

 そう確信した時、ぞわりと戦慄が走った。

「どこまで……知って……」

 いや。どこまでというより、全て知っていると思った方が良いかもしれない。

 父のことも……成瀬のことも――。

 ドクンッ。

 気付いた途端、呼吸が乱れ手が震える。汗が滲んできた額に手を当て、羽琉は絶望したように項垂れた。

 完璧そうに見えるエクトルのことなので、半年前出会った後、すぐ羽琉のことを調べたに違いない。そういう仕事は早そうな気がする。それに関連して月の光や優月のことも調べただろう。そう思えば、日々の会話の中で優月の身の上を何も聞いてこなかったことも、それを裏付けているような気がした。

「どう、して……何も言わなかった?」

 辛酸を嘗めた羽琉に同情したのだろうか。可哀想な子だと憐んで、渡仏の話をしたのだろうか。

 そう言えば、外国では孤児と養子縁組をするのが芸能人や裕福な家庭のステータスのようになっていると、以前雑誌で読んだことがある。エクトルもそれと同じような感覚なのだろうか?

 動悸を感じつつ、混乱しそうな頭をフル回転させて考える。

 明日どんな顔をしてエクトルに会えばいいのだろうか。全てを知っていると分かってて会うのは羽琉には無理だ。そこまで自分の精神がもつとは思えない。

「穢れてる……過去は消せない」

 エクトルさんとは、もう、会わない……会えない――。

 自分の中にやっと芽生えた感情を覆い隠すかのように蹲った羽琉は、抉るような胸の痛みを感じつつ、ベッドの上で小さな嗚咽を洩らしながら涙を流した。

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