~55~ 友莉②
スマホ画面で発信者の名前を確認したフランクは「アロー」とその場で電話に出る。
【エクトルからの許可は出た?】
「あぁ。許可をもらって、たった今着いたところだ」
【え? 羽琉くんのところに?】
「あぁ」
【私と話すことは大丈夫そう?】
そう訊ねられ当初の目的をすっかり忘れていたフランクは「あ」と小さな声を洩らす。
【その様子だとまだ説明してないのね。いいわ、羽琉くんと代わって。私が説明する。代わったらフランクは外で待機ね】
「え?」
【あなたがいたら話せないこともあるかもしれないでしょ】
【いいから早く】と急かされ、フランクは渋々ながらもスマホを羽琉の前に差し出した。
「……?」
何故自分にスマホを渡したのか分からない羽琉は困惑表情でフランクとスマホを交互に見つめる。電話の相手がエクトルである可能性も考えたが、今のフランクの口調からそれはないと悟る。だが、それだとなおさら自分と代わる理由が分からなかった。
「私の妻です。日本人なので日本語が通じます。小田桐さんのことを話したら、私も話してみたいと言っていて……少し話してもらって良いですか?」
突然のことに首肯するのが遅れたが、先程のようにフランクとの会話が再開されるのも不安だったため、エクトルでなければ取り合えずは大丈夫だろうと思い、羽琉はフランクのスマホを受け取った。
「廊下にいます。終わったら声を掛けて下さい」
そう言って軽く頭を下げたフランクは、羽琉の部屋から出ていった。
わけの分からないまましばらく呆けていると、スマホから【もしもし】と声が聴こえた。
慌てて受話器を耳にあてた羽琉は「はい」と返事をする。
【こんにちは。初めまして。私はフランクの妻で友莉と言います。小田桐羽琉くんよね? 面識もないのに電話してごめんなさいね。そっちでエクトルやフランクが迷惑掛けてるんじゃない?】
苦笑混じりの問い掛けに、羽琉は返事が出来ず逡巡してしまう。
だがこの砕けた話し方から、歯に衣着せないサバサバした人柄が窺えた。同時に夫の上司であるエクトルに対しても全く物怖じしない様子から、社会の上下関係にも頓着しない坦懐な性格なのだろうと羽琉は推察した。
【フランクはともかく、エクトルは初恋だから何かあったとしても少し大目に見てやってくれないかしら。恋愛の仕方を知らないから、いろいろ詮索してしまうのよね。好きな子のことを知りたいっていう気持ちなら羽琉くんも理解出来るんじゃない?】
友莉の詮索という言葉にドキリと鼓動が跳ねたが、羽琉は取り敢えず「……はい」と無難な答えを返した。
だが正直、友莉が何を言いたいのか羽琉には分からなかった。
エクトルに対する弁護なのか、あるいはエクトルの恋愛を成就させようとする援護なのか。雰囲気からそう感じはしたが、先程自分が推測した友莉の性格がそれを確定させなかった。
【エクトルの日本語はどう? 聴き取りづらくない?】
「え? あ、いえ。すごく流暢に話されていて驚きました」
突然の質問に慌てて答えると、楽しそうに笑う声と共に【でしょうね】と返ってきた。
【半年前、急に日本語を教えろって言ってきた時はびっくりしたわ。何のために?って不思議に思ったけど、フランクから事の次第を聞いてそういうことかって納得した。実際エクトルは熱心に日本語の勉強をしていたわ。教室に通う時間はなかったから、仕事の合間を縫って邦画や邦楽で日本語を学んだり、文化や歴史、その他の流行りについても結構調べてた。分からないところは時間を問わず私に訊いてきたわ。多分、好きなものに対して知らないことがあるのが嫌なのね。そうそう。一番面白かったのは日本の女の子のアイドルの歌を聴いていたことかしら。ああいうのって流行語を使ってたりするでしょ? 略語とか古く言えばギャル語とか。そういうのを『どういう意味だ』って真剣に訊いてくるエクトルはかなり面白かったわね】
電話越しで思い出し笑いを始める友莉の声を聴きつつ、自分の知らないエクトルのことを知り、言い表しようのないムズムズとした感情が胸に渦巻いた。それが全て自分と話すためなのだと分かるから、なおさら胸が苦しくなる。
【羽琉くんに本気なんだなって分かったのは、そんなエクトルの姿勢を見たからかな。こう言っちゃなんだけど、今までのエクトルの恋愛は見るに堪えなかったわ。まぁ相手も遊びっていうのが分かってたから泥沼なんてことはなかったらしいけどね。仕事面では人脈を大切にする人なのに、何ていうか……恋愛面に関してはどこか投げやりに見えたかな。そんなエクトルがビジネスに関係なく、羽琉くんに対しては異様な程までに執着してる。羽琉くんに好かれるよう努力してる。やっと本気の恋愛が出来たんだなってちょっと安心してたの】
エクトルの本気が本当に今までなかったのかどうかは羽琉には分からないが、日本語を習得することがどれほど困難なことなのか、語学が好きな羽琉には理解出来る。しかも半年でこれほどまで話せるようになるには相当勉強したはずだ。読み書きはまだ不得手だと言っていたが、その言葉から読み書きもマスターしたいというエクトルの意気込みが窺える。
【でも私はエクトルを後押しするつもりはないわ。エクトルには相手を思いやる心が少し欠けてる時がある。それは仕事での役職が影響しているからかもしれないけど、誰に対してもそうなら改めなくちゃいけない。ちょっと訊くけど、エクトル自身の気持ちが先走って、羽琉くんに強引なやり方をしていないかしら?】
窺うように訊ねる友莉に、羽琉は少し考えてから「いいえ」と答えた。
「強引というより戸惑いの方が強くて……、僕でなければならない理由も分からなかったので、どうしたらいいのかずっと悩んではいます」
【羽琉くんの中に、断る選択肢はなかったの?】
そう友莉に言われ、羽琉は以前エクトルが話していた言葉を思い出した。
「エクトルさんが言ってたんです。愛に境界はないと。どんな障害があろうと誰かを愛することは尊いものだと。その言葉は僕も共感出来ました。だから断る理由として同性とか外国人とか年齢とかいうものは、エクトルさんには通用しないことも何となく察しました」
溜息混じりに【先手を打たれた感じね】と不満そうに友莉が呟く。エクトルのやり方が気に入らないみたいだ。
「そうかもしれません。でも僕も共感したことは事実なんです。そう考えるとそれ以外で断る理由が見つかりませんでした」
【断る理由はまだあるわよ】
「え?」
【エクトルのことを好きじゃないのなら、そう言えばそれで答えになる。例え嫌いじゃないにしても、好きじゃないなら交際する理由はないもの。その時点できっぱりと縁が切れるか、仲の良い友人関係が新たに構築されるかってだけ】
あ、そうか。
友莉の言うことにも一理あると羽琉は心の中で得心した。
【断る理由として聞いたことない? 友達以上に想えないって。友達以上恋人未満なんて言葉もある。好きなんだけど付き合うまでの想いじゃないって、わりとありふれてるわ。交際してから好きになるケースもあるけど、それは最初の段階で好きになるかもしれない確率が5割以上ある場合にのみ成立するものだと私は思ってる。気持ちを割合で出すのはちょっと難しいと思うけどね】
そう言って友莉は苦笑するが、羽琉は自分がエクトルへの答えを出した時、その想いはどのくらいの割合だったのだろうかと黙考した。
決して低くはないはずだ。同性と付き合うという覚悟をしただけでも5割は超えているような気はする。
【フランクから、エクトルと羽琉くんが交際することになった話を聞いた時、嬉しくも思ったけど、羽琉くんが無理をしてないか不安にもなった。だから今回のこの電話は、私が羽琉くんの気持ちを確認したかったっていうのもあるんだけど……。さっきね、今日いつもの時間に羽琉くんからの連絡がなかったってフランクから聞いたの。やっぱり何か無理をしてるんじゃない?】
「……」
急に直球で訊ねられ、そのことについて何も用意してなかった羽琉は動揺してしまった。何かを言わなければ肯定していることになるので余計に焦ってしまう。
「あ……いえ、その……」
【もしかして気持ち的な要素以外に何か気になることがある?】
「!」
何かを察しているような友莉に羽琉も怪訝そうに眉根を寄せた。
だがエクトルの補佐であるフランクが知っていると仮定すれば、その妻である友莉が知っていてもおかしくはない。
いや。今の含み方は確実に知っている言い方だった。
苦し気に表情を歪め、何をどう言おうか悩んでいた時、羽琉の耳にふうっと友莉の吐息が聴こえた。
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