~5~ 無音の会話と愛しい笑顔

「話し掛けないんですか?」

 フランクの問いにエクトルはフッと笑って首を振った。

「ハルの隣にいる子は聾者なんだろうね。ハルが話せる言語はまだあったみたいだ」

 半年前と同じく楽しそうに笑う。

「フランス発祥の手話をハルが使っていると思ったら、何だかとても嬉しいね」

 とは言っても、手話自体は多くの国々で使われているが共通ではない。その国々で単語の表し方や文法なども異なる。そう分かっているのだが、こじ付けでもエクトルは嬉しかった。

「見てみろ、フランク。ハルの指が何かを伝えてる。見てるだけで何か声が聴こえてきそうだ」

 視線の先で優しく微笑む羽琉の指が滑らかに動き、それを受けて手話で返す相手の子を見ていると、内緒話をしているようで実に微笑ましい。2人して可愛く笑い合うからなおさらだ。頭上の桜も手助けして、穏やかでより優しい雰囲気に満ちている。

「あんな2人に話し掛けるなんてそんな野暮なこと出来るわけないだろう? 私は邪魔をしたくない」

 若干呆れてしまったフランクだったが、エクトルの言うことも分からなくはなかった。あの空気を壊すのは何となく憚られる。

「……小田桐さんは手話がお上手ですね」

 手話を読むことは出来ないが、感心したようにフランクも言葉を洩らした。

「知れば知るほどハルを好きになるな」

「どうしますか?」

 幸せそうなエクトルに、フランクが無粋な質問をする。

 エクトルは頭を悩ませた。

 出来ることなら見ていられるだけ見ていたいが、あの2人の空間に自分は絶対に入れない。目の前にいるのに、話すことも出来ないそんなジレンマと戦うのは精神的に参ってしまいそうな気がする。それにストーカーみたいにジッと見つめられていては羽琉たちも落ち着かなくなるだろう。

 気付かれたら絶対に嫌われるだろうしね。

 苦笑したエクトルは1つ大きな深呼吸をすると「帰るか」とフランクに告げた。

「よろしいので?」

「今日のうちに、明日の分の仕事をこなしておけば、それだけハルと会える時間を作ることが出来る。面談と会食以外の雑務は全て終わらせよう」

 フランクは微かに瞠目した。

 自分のやりたいようにやるエクトルではあるが、私事で仕事をキャンセルしたりスケジュールを変更することはこれまでになかった。決められた時間に決められたことをきちんとやりこなす。相手に足元を掬われないようにするための布石を打つことも忘れないし、下手に出ないといけなくなるようなヘマや隙を作ることもしない。エクトルは全てに対して完璧な態勢を整えておくことを忘れない人だ。

 そのエクトルが羽琉に対しては、もっと慎重で柔軟な対応を取ろうと心掛けている。出来るだけ羽琉に合わせようとしているのだ。それだけ羽琉のことを気に入っているのだろうが、この変わりようには正直驚かされた。

「今日はハルを見ることが出来たからいい。私自身の気持ちも確認出来たから収穫はあった」

「気持ち、ですか?」

 フランクの問いに、エクトルはふわりと笑うと「そう」と肯く。

「ハルを好きな気持ちに変わりはなかった。一目惚れというものを初めてしたから、どうも感覚が分からなくてね。ただ性格が好みで、たまに会って話せればいい友人関係を望んでいるのか、それともずっと共にいて穏やかなその空間を共有したい恋人関係を望んでいるのか。この半年、答えが見つからずにいたけど……」

「見つかったんですか?」

 エクトルが意味深に笑みを深める。

「ハルが許してくれるなら恋人。ダメなら友人」

 恋人が駄目でもせめて友人ではいたい。どんな形でも羽琉とは繋がりを持っていたいと思った。

「ハードルは高いですよ」

 フランクの言葉の意味をエクトルも理解していた。

「分かっている。でもそれを理由にして諦めようとは思わない」

 エクトルの不屈の精神は恋愛面でも発揮されるようだ。

 だがここまで誰かに執着するエクトルをフランクは見たことがない。これまでも何人かの女性と交際したことはあったが、基本来るもの拒まず去るもの追わずの上、仕事最優先なので女性側としたら愛されてる感はなかっただろう。一度それを問い詰めた怖いもの知らずの女性もいた。エクトルはうんざりした顔で『じゃあ別れよう』とばっさりと切り捨てていた。

 ただエクトルは物事の善し悪しを見抜く聡明な眼識を持っている。仕事にしても恋愛にしても、エクトルが切り捨てることが出来る、もしくは追う必要がないと感じたならば、それは自分にとって無くても良いものなのだ。

 そんなエクトルが羽琉にはかなり執着している。そんな状態で羽琉にフラれてしまえば、その反動は凄まじいものになるかもしれない。そのとばっちりを受けるであろう身のフランクが、願わくば成就させて欲しいという気持ちに駆られてしまうのも無理はなかった。

「……行こう。フランク」

 すごく名残惜しそうな顔をしつつ後ろ髪を引かれる思いで、エクトルはフランクと共に公園を後にした。

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