~3~ 朧な約束
宿泊しているホテルのエレベーターに乗り込み、「今日も行くんですか?」とフランクが日本語で訊ねる。
「今日も行く」
呆れ顔のフランクに楽しそうに日本語で答えるのはエクトルだ。
羽琉と別れてからフランスに帰国したエクトルは仕事に追われていたものの、ずっとこの日を心待ちにしていた。忘れそうになる時ほど、タイミング良く羽琉の顔や羽琉の言葉を思い出す。そして会いたいと思う。そんな日々を繰り返してやっと半年過ぎた。来日してからたった6日会えなかったからといってギブアップする気にはなれない。
「小田桐さんの入所先に連絡をいれてみては?」
「ハルに嫌われる」
今日も提案を拒否されたことに、フランクは何度吐いたか分からない溜息を小さく洩らした。
半年前、フランクが依頼した優秀なディテクティブは羽琉のことを徹底的に調べ上げた。
今の世の中、ネットで名前を検索するだけでも情報はすぐに見つかる。そこに年齢や住んでいる地域も付け加えればその量も自ずと増えるだろう。
ただ羽琉の場合は特殊だった。名前に関連してネット上に掲載されている真偽のつかない当時の痛々しい記事も早々に見つけることが出来たのだ。その信憑性を確かめるため、関係者の聴き取り調査をしていたディテクティブは真相を知り、「あまりに惨い出来事だ」とフランクに零していた。その報告書を確認したフランクも同様の意見を持つ。エクトルに見せることを躊躇ってしまうほどに。
フランクから受け取った報告書を読み終えたエクトルの碧眼に、憂いの色が滲んでいたことをフランクは覚えている。
「……連絡をいれて会う方が確実だけど、勝手に調べていたことをハルが知ったらきっと激怒するよ」
「そうは言われましても……」
フランクの言いたいことも分かるエクトルは苦笑する。
こんなに効率の悪い待ち合わせなど聞いたことがないし、普段のエクトルなら絶対にしない。それでも時間が許す限り、羽琉を待ちたいとエクトルは思っていた。日時も場所も決まっていない、半年後という曖昧な約束……いや、2人の間に約束など存在していないのだが、羽琉とはちゃんと会えるような、そんな不思議な確信があった。
「大丈夫さ。それにハルのために頑張ったんだ。その成果を見てもらいたい」
嬉しそうに頬を緩めるエクトルに、フランクはそれ以上何も言えなくなった。
そして羽琉と出会った公園に今日も意気揚々と足を運ぶ。
昨夜、いつもより多めに仕事をこなしたため今日は少し時間があった。昨日は午前の2時間しか待てなかったが、今日はフランクが止めるまで羽琉を待てる。
「では、何かあったら電話で呼んで下さい」
そう言って低頭したフランクは、エクトルの前から去っていった。
「……」
フゥと息を吐き、自然の空気を肺に送り込む。
目に映る桜色の景色が日本の春を美しく見せていた。湖面に浮かぶ花弁も風情が漂っていて心を落ち着かせてくれる。エクトルは思わず頬を緩めていた。
そんな初めての日本の春を楽しみつつ、羽琉と出会った時とは違う雰囲気の公園で、羽琉が座っていたベンチにエクトルは腰を下ろした。
今日こそは会えるようにと願いを込めつつ手に持っていた洋書を開いた時、「エクトル」と先程去ったフランクが走って戻ってきた。
「どうした?」
自分の元まで来たフランクが息を整えるまで待っていると、「さっき公園の入り口で小田桐さんを見ました」と息も切れ切れに伝えてきた。
「本当か?」
「どなたかとご一緒でしたが、間違いなく小田桐さんでした」
エクトルが笑みを深める。
待ちわびていた再会の日をやっと迎えられると思うと、柄にもなく鼓動が速くなった。
「もうすぐ来ます」
フランクと共にエクトルも公園の入り口を見つめる。
しばらくしてやって来た人物に、エクトルは思わず息を呑んだ。
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