~2~ 想起

 今日は晴れていた。

 昨日は小雨が降っていて外出出来なかったのだが、これなら大丈夫そうだ。きっとそろそろ優月がこの部屋のドアをノックしてくるだろう。

 窓枠に頬杖をつきながら自室の窓から見える公園を眺めていた羽琉は、ふと最近絵を描いていないことを思い出した。この頃は優月との外出が多く、外では優月の相手をしているので絵を描く余裕がなかった。スケッチをしていて、優月を見守ることが疎かになってしまうかもしれないと怖れたためもある。

 別に描けないからといって禁断症状が出るわけでもないし、スケッチブックを持って出掛けても何も描かずに帰ったこともある。羽琉にとってはスケッチもリハビリの一環であり、自分の描きたいものを描きたい時に描けるだけ描いているだけだった。

 だがしばらく描いていなかったからか、一度意識してしまうと無性に描きたくなってくる。窓から離れた羽琉は、床頭台の中に入れていたスケッチブックを取り出した。これまで描いた絵も見直しつつパラパラ捲っていると、気になる絵が目に止まった。

「あ……これ途中だ」

 一見描き終えているように見える絵も、描き手の羽琉には欠けているものがすぐに分かった。草木や建物のところにもう少し陰影を入れたかったこと、秋に近付いた紅葉の美しさと、散りゆく前のパリパリとした茶色の葉の硬さを強調したかったことを思い出す。

 そして何故描き終えられなかったのかと考えた時、予想外の人物と出会ったことを思い出した。

「そうか。あのフランス人と会ったからだ」

 スケッチブックに書いてある日付をもう一度見る。

 去年の十月十六日。今日が四月八日。

「半年……」

『半年後、もう一度日本に来る用事があります。その時、またハルに会いたい。私と会う時間を作ってもらうことは出来ませんか?』

 付随して思い出されたのはその言葉だった。

「約束出来ないと言ったことは憶えてるけど、名前……」

 会話の内容も途切れ途切れだが、羽琉は相手の名前すら忘れていた。

 でも半年後といっても明確な日時を交わした記憶はないし、相手も来るかどうか分からない。それに社会人で仕事をしている人ならば、羽琉のように忘れている可能性もある。

 コンコン。

 つらつら考えていた羽琉の耳にノックの音が聴こえた。

「羽琉くん。優月くんがお迎えに来たわよ」

 笹原の背後からひょこっと顔を出した優月が、羽琉に駆け寄ってくる。

『熱はなかった? 体調は大丈夫?』

 羽琉は優月の体を気遣った。これは日課である。

『大丈夫』

 いつもの羽琉の質問に優月はにっこりと答えた。

「今日は少し風が強いみたいだから、上に一枚羽織っていった方が良いわよ」

 笹原がハンガーに掛けてある水色のロングカーディガンを羽琉に手渡す。

「ありがとうございます」

「あら。今日は何か描いてくる?」

 羽琉の手にスケッチブックがあるのを見て笹原が訊ねてきた。

 そう言われ、羽琉も自分の手元を見やる。

 持っていく気はなかったのだが、外に出たら描きたい衝動に駆られるかもしれない。優月が一緒ではあるが、優月をモデルとして描けば目を離すこともないだろう。そう思った羽琉は「久し振りに描くかもしれません」と言い、スケッチ用具一式をバッグに詰め込んだ。

「はい。携帯。何かあった時は連絡をしてね」

 羽琉は自分の携帯電話を持っていないので、外出時は連絡用に施設から携帯電話が貸し出される。一人で外出する時も持たされているのだが、優月と二人になってからはその責任の重さ故か、いつも以上に携帯電話の大切さを感じる。羽琉はその携帯電話をギュッと握り締め、バッグの中にあるチャック付きのポケットに大事に仕舞った。


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